「間違いなく住みやすい。ノンストレス」「歴史を深く感じられる」V・ファーレン主将が長崎の街、平和を語る。“当事者”となって初めて――

「異国情緒溢れる街」とは言い得て妙である。長崎では日本が鎖国をしてきた時代から、唯一の窓として西洋と交流を続け、異国の文化と融合し、独自の発展を遂げてきた。

 そして同時に、広島とともに原子爆弾を落とされた被爆地でもある。長崎を歩いていると、歴史を感じられる跡や、平和への願いを込めたモニュメントに自然と触れられる。

 来年で終戦から80年。J1昇格を目ざすV・ファーレン長崎のキャプテン、秋野央樹に長崎の街の話を訊いた。

――◆――◆――
 
 現在30歳で千葉県出身の秋野は、ユース年代は柏レイソルで過ごし、2013年に中村航輔らと共に同クラブのトップチームに昇格。その後、湘南ベルマーレを経て、2019年の夏にV・ファーレンの一員となった。

 今季で加入6年目。関東を離れての暮らしにもだいぶ慣れてきたなか、長崎の街は父親としても「間違いなく住みやすい」と断言する。

「すごい子育てしやすいです。困っている人がいたら手助けしてくれる人も多いですし、自然も豊かだし、食事も美味しいし。ノンストレスで過ごせる街かなと思いますね」

 おすすめの食べ物は、これまた「間違いなく」魚だという。

「お刺身です。長崎の海で捕れるお魚をすぐ食べられるので。個人では釣り竿とかは持っていないですけど、知り合いに釣りに連れて行ってもらって、その場で釣ったものを持ち帰って、家でさばいてすぐ食べたりしています。千葉にいた時などはそういった経験はしてきませんでした。長崎でしかできない良い経験をさせてもらっています」

【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「J歴代ベスト11」を一挙公開!
 長崎県民は平和について考える機会が非常に多い。原爆が投下された8月9日の11時2分にはサイレンが響き渡り、県内の小中学生は夏休み期間中ではあるものの登校し、改めて歴史を学び、平和への想いを発信する。

 全国的にはあまり知られていない恒例行事だ。秋野もまた、長崎に来て“当事者”となって初めて知る事実が多くあり、「長崎の人が平和について感じること、考えていることは、他の街に住んでいる人よりも多いのかな」と思いを巡らせる。

「原爆資料館も行きますし、年に1回、僕たちV・ファーレンは平和学習があります。長崎と広島、この2都市しか被爆を経験していないので、戦争や平和について考えることが多いですね。

 実際、僕も千葉と湘南に住んでいた時は、あまり関心を持っていなかった部分に、長崎に来てからは触れていますし、被爆した日は学校に登校するというのも長崎に来てから知りました。投下された時間にはサイレンが鳴って、みんなで黙祷したりというのを今までしてこなかったので、そういう意味でも歴史を深く感じられる街だと思います」

【記事】「子供たちに何を残したいか。戦争を止めろ」吉田麻也が“長崎原爆の日”に平和への願いを発信「1年に一度は考えてみよう」
 
 そんな長崎に今年10月、新名所がオープンした。V・ファーレンとバスケットボールチームの長崎ヴェルカ、それぞれの本拠地「PEACE STADIUM Connected by SoftBank」「HAPPINESS ARENA」とホテル、ショッピングモール、オフィスビルが一体となった「長崎スタジアムシティ」だ。

 キャプテン秋野は「新スタジアム、ファン・サポーターの力をしっかり自分たちの力に変えて、最終的にどんな形であれ、J1昇格を成し遂げたい」と誓う。県一丸で長崎の新たな歴史を作れるか。

取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

【PHOTO】編集部が厳選!ゲームを彩るJクラブ”美女チアリーダー”を一挙紹介!

【記事】「大谷翔平って何であんなに凄いの?」中村俊輔の素朴な疑問。指導者としてスーパースター育成にも思考を巡らせる