中村憲剛が感じた“オニさん”の凄みと人間性。鬼木達監督の下で心に刻まれた2試合と言葉

 サッカーダイジェストで毎号連載中の中村憲剛氏のコラム「蹴球賢語」。今回は今季限りで川崎の指揮官を退任することを発表した鬼木達監督への想いを語ってくれている。中村氏にとって鬼木監督とはどんな存在で、どんな歩みをともにしてきたのか。今の率直な胸の内を綴ってくれたコラムの後編を、WEB版としてお届けする(全2回の2回目)

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 紆余曲折あった2017年も含めて、オニさんは常に選手とコミュニケーションを取ってくれる監督でした。監督によっては選手と一線を引く方もいますが、オニさんは本当によく選手と会話をする。

 だから僕もいろんなことを話しましたし、逆に、名将・鬼木達を“取材”していました。だって、これだけ結果を残した監督の生の声を間近で聞き続けられる機会なんてめったにありませんし、僕は当時から朧気ながら将来は指導者を目指したいとの想いがあったので、その目線でもたくさん話をさせてもらいました。
 
「この時はどんな感情だったんですか?」「どうしてあの采配を決断したんですか?」など気になったことをぶつけ、オニさんはすべてを包み隠さず答えてくれました。その意味で僕は自然に名将のレクチャーを受けられたわけです。僕自身、関わったすべての監督からそれぞれ影響を受けましたが、指導者としてのベースには、オニさんから教えてもらったことが多分に含まれています。
 
 僕がオニさんにその時のチームに関する自分の考えを伝えると「お前は本当分かっているね。いつでも監督やれるよ(笑)」と冗談っぽく、あの笑顔を向けてくれたのもよく覚えています。だから麻生グランドに見に来てくれたファン・サポーターの皆さんも見たことがあるかもしれませんが、練習後に周りに誰もいなくなるほど長い間、ふたりで話していたことが何回あったか。

 あれだけ監督と選手として話せたのは、当時、キャプテンを(小林)悠に託していた面もあったと思います。だからこそ、悠を立てつつも、オニさんと選手の間に齟齬が生じないよう、選手たちにアドバイスを送るようにもしていました。その役割を担ったのは僕だけではありませんが、オニさんのやりたいことをチームに広げていく作業は自分がやるべきとの自負がありました。
 
 一方で2017年のACLの準々決勝・第2戦の浦和戦も鮮明に記憶に残っています。ホームでの初戦を3-1で制し、アウェーでの第2戦も先制に成功しました。しかし、前半の途中に(車屋)紳太郎が退場すると大逆転負けを喫したゲームです。

 左SBの紳太郎が退場した後、4-4-1のシステムへ移行するために交代でベンチに下がったのがトップ下の僕でした。悔しい気持ちもありましたが、これはセオリー通りの交代だと分かっていました。しかし、攻勢をかけられ逆転されてしまったチームをラインの外から見ることしかできない、手助けできないまま試合終了のホイッスルを聞いた時に、頭では理解していても納得ができない気持ちが溢れてしまいました。

 僕もACLに懸ける強い想いがありましたし、選手はどうしてもピッチで戦いたいもの。だからその偽らざる想いを後日、監督室で鬼さんに直接ぶつけました。そんなことしたら本来、干される可能性だってあります。でもオニさんは僕の気持ちを尊重して受け止めてくれながら、その後も変わらずに接してくれました。本当に懐が深い人だと思いましたし、個人的には2017シーズンの大きなターニングポイントのひとつでしたし、最終的に初タイトルを掴む要因にもなった試合なので、忘れられません。
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オニさんの下で最も印象に残っている出来事? それはやっぱり僕の選手人生最後の試合となった2021年元日の天皇杯決勝です。皆さんもご存知の通り、ガンバとの試合、1-0で天皇杯を制すことができましたが、ベンチスタートだった僕の名前が呼ばれることは最後までありませんでした。

 本音を言えばそりゃ試合に出たかったです。でも終盤にガンバに攻められた状況でしたし、延長戦を考えれば、オニさんが僕を交代カードとして残しておきたいという想いは十分すぎるほど理解できましたし、僕も自分が監督だったらその選択肢を残しておくと試合中に考えていました。あの試合は優勝することが絶対だったので、良かったと思います。
 
 そういう意味でもオニさんの勝利のために決断する力を改めて実感しました。オニさんは毎試合、シミュレーションを繰り返し、ベンチでも何度もマグネットを動かしながら最適な手を探し続け、自らの責任を持って決断する。そこを突き詰められたからこその7つのタイトルだとも思います。
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 オニさんの言葉で最も印象深いのは優勝争いをしている際にかけられた「自分たちから崩れない」というフレーズです。優勝争いというと、勝ち続けなくてはいけない、勝ち続けたチームが優勝するというイメージでした。それも間違いではないですが、オニさんは「他との我慢比べで負けない」という言い方をしたんです。
 
 それこそ一個一個、自分たちの試合にベクトルを向け、フォーカスする。先を見すぎず、一喜一憂しない。負けても連敗をしない、次はこぼさないなど、自分たちから大崩れしないことで相手にプレッシャーをかけるという考え方はすごく勉強になりました。

 それまでのフロンターレはどちらかと言うと、大事な試合を落とすと、引きずる傾向にあったんです。でも、負けても必要以上に落ち込まない、自分たちから崩れない、一喜一憂しないで戦い続けることの重要性は、自分の引き出しに貴重な学びとして入っています。
 
 言うなれば、勝ち続けようというロマンのある戦い方ではなく、自分たちから崩れないというリアリスティックな部分。自分たちが崩れなければ、相手が絶対に崩れてくると、オニさんは言い切ったんです。それは鹿島で学んだ部分でもあったのでしょう。
 
 オニさんの言葉は結果も伴って僕の血肉になっています。やっぱり勝つというこだわりに関しては、僕が指導を受けた監督のなかで随一でした。そして圧倒的に人を見ている。毎日選手がいなくなるまでグランドに残っていたからこそ、そこに裏付けされたアプローチが理にかなったものになり、選手も厚い信頼を置けるわけです。
 
 ここまで、改めてオニさんとの時間を振り返らさせていただきましたが、20年を超えた付き合いなので、正直ここでは書ききれません。オニさんとともにプレーできたこと、ともに優勝できたこと、本当に嬉しかったですし、30歳を超えてからも成長させてもらえたこと、オニさんだからこそ40歳までプレーすることができたこと、感謝しかありません。

 本当にありがとうございました。

 お疲れ様はまだ言いません。残りの試合もオニさんらしく戦ってほしいと思います。

構成●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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