●こぼれ話
宮崎晃一朗さんが何冊もの開発ノートを見せてくださった。同行したカメラマンと一緒に、思わず「おー!」と歓声を上げる。とても細かく丁寧に書かれた開発ノートは、きれいで何かに印刷したら、デザインとしてもとてもかっこいいなと思えるほどだった。この中には、先を越されてしまったアイデアやボツになったアイデアも詰まっているとのこと。感慨深そうに過去のノートをめくって振り返る宮崎さん。
小学生の頃は、授業中にロボットなどをつくって、それを休み時間中にみんなに見せる――ということを毎日繰り返していたそう。親に勉強しなさいと言われた覚えがないというのも驚きだ。親も先生もあきらめていたと宮崎さんはおっしゃるが、本当はどうだろうか。その人並外れた集中力や好奇心に期待していたからではないだろうか。そして、その秘めた力を信じていたからとも思える。
「Wi-Fiで音を飛ばすことができると思ったのですか? 大手企業もやっていないのに」。ずいぶん失礼な質問を投げかけた。「何かできそうだなって思った」と、ひょうひょうとした表情で答える宮崎さん。ただ、大変そうだと思ったとも。誰も成し遂げていないことを実現する課程では、いきなりひらめいて成功への道が照らされるわけではないようだ。既存の常識や不可能という思い込みを一つ一つ否定して、潰していくようなそんな地道な作業に思えた。誰も見たことのない製品をつくりたいと宮崎さんは語る。半導体設計とデジタルオーディオの分野で、豊富な経験をもつベテランエンジニアでありながら、まだ世の中にないものをつくり出したいというチャレンジ精神を常に抱いている。ものづくりが好きな思いは小学生の頃のまま。年を重ね、技術を手にして、より一層ものづくりを楽しんでいるように見える。アイデアはどんどん湧き出ていて、枯渇するイメージはないとか。なんだか頭の中が忙しそうだが、いつも何かを考えて、つくることを繰り返しているのが、宮崎さんらしいのかもしれない。
一見、やり尽くされたように感じるオーディオの世界に、新風を巻き起こした宮崎さん。これからも新たな感動と発見をもたらしてくれるだろう。「この手があったか!」と思わせる何かを。(奥田芳恵)
心にく人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第360回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。