萬田久子(C)週刊実話Web
今年10月15日放送の『踊る!さんま御殿!! 3時間SP』(日本テレビ系)に出演した萬田久子が、明石家さんまとの過去の関係について「恋愛しそうだったんだもん」とぶっちゃけ告白した。
さんまも「噂になってたんですよ」とこれに応じて、お互いに交際寸前の仲だったことを認めた。
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その時期は番組中で明かされなかったが、おそらくさんま主演のドラマシリーズ『心はロンリー気持ちは「…」Ⅱ』(フジテレビ系)で共演した1985年あたりのことだと思われる。
萬田は『さんま御殿』が放送された直後、自身のインスタグラムを更新。さんまと一緒に仲むつまじいツーショットを公開している。
同月には『萬田久子 オトナのお洒落術』(講談社)と題したファッション解説本も発売され、「年齢なんてただの数字よ!」と言ってはばからない。
帝塚山短期大学在学中の78年、ミス・ユニバース日本代表に選ばれて以来、萬田は「ずっときれいでいたいという思いがあった」という。
メキシコのアカプルコで開催された世界大会では無冠に終わるが、80年にNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』において、主人公(星野知子)の親友役で女優デビュー。翌年には映画『夏の別れ』に出演し、妖艶さの中に少女の面影を残したその姿は大きな話題を呼ぶことになった。
こうして上々のデビューを飾った萬田は、それから50年近くが経過した現在でも、ドラマや映画などで活躍を続けている。
「女子高生の役でも、私はできますよ」と冗談めかすが、実際に時代劇のお姫様から敏腕刑事、ホームドラマの主婦まで、これまで幅広い役柄を演じてきた。
だが、それでいて萬田には「代表作」と呼べる作品がほとんどない。
美貌に加え実力もありながら、なぜ大きな仕事に恵まれないのか。
その理由として考えられるのが、かつての不倫騒動の影響だ。
「20代はワンナイトがたくさんあった」
2018年に出演した『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で、萬田本人が「20代はワンナイトがたくさんあった」「有名人もたくさんいた」などと話したように、デビュー間もなくから「プレイガール女優」として浮名を流してきた。
有名なところでは作曲家の都倉俊一との熱愛が、当時のマスコミを騒がせている。
1985年末には、アパレル関係の実業家である佐々木力氏との交際が表沙汰になり、これは相手方に妻子のある不倫だった。
佐々木氏の会社が主催したファッションショーのモデルとして、萬田が出演したことがきっかけだったという。
同年の暮れから正月にかけて、ハワイで佐々木氏との「不倫ハネムーン」を過ごした萬田は、帰国すると芸能マスコミから「略奪愛」として猛烈なバッシングを浴び、一時は円形脱毛症になったという。
それでも関係は続いて、萬田は87年に妊娠。臨月を迎えたところでニューヨークへ渡り、10月に長男を出産した。
翌年1月に萬田が帰国すると、成田空港に大挙押し掛けた芸能マスコミは「相手男性の妻子の気持ちを考えたことがあるのか」「生まれてきた子供の将来を思えば無責任ではないか」などといった厳しい質問を浴びせた。
しかし、萬田は「未婚の母の状態は快適。自信があるから産んだんです」と気丈に語ってみせた。
佐々木氏が前妻と正式に離婚した後も、萬田は「本当の愛というのは形じゃない」と「事実婚」の状態を続けた(佐々木氏と前妻との離婚に際し、「互いに再婚はしない」との約束がなされていたとの話もある)。
だが、不倫行為に対する世間からの反発は大きかったようで、出産からしばらくの間は仕事量がガクンと減ってしまった。
萬田本人もこの頃には引退を覚悟していたようだが、時がたつにつれてバッシングは収まり、90年代に入ったあたりからは再度、表舞台へ立つ機会が増えていった。
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事実婚のパートナーにも愛人が…
2011年4月には国民的人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)へのレギュラー出演が決まり、いよいよこれからというタイミングで思わぬ不幸が訪れる。
パートナーの佐々木氏がスキルス性胃がんで急逝してしまったのだ。
しかも亡くなる直前になって、別に愛人と隠し子がいることを打ち明けられた。
さまざまなショックが重なったことから、萬田は『いいとも!』をわずか半年ほどで降板することになった。
それでも苛烈なバッシングを含めて、多くの人生経験を積んだことにより、女優としての幅が広がった部分もあったのだろう。
「もともと演技は好きではなかった」という萬田だが、23年には18年ぶりとなる主演の連続ドラマ『グランマの憂鬱』(フジテレビ系)が放送された。
また、近年は「マダムのファッションリーダー」として人気上昇中というから、まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉がピッタリである。
文/脇本深八
「週刊実話」11月21日号より
萬田久子(まんだひさこ)
1958(昭和33)年4月13日生まれ。大阪府出身。短大在学中の78年にミス・ユニバース日本代表に選出され、翌年上京。80年にNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で女優デビュー。以来、ドラマや映画のほか、舞台、バラエティー、CMなどで幅広く活躍する。現在も19歳の頃の体形を維持し、美の追求に余念がない。