ビビる大木 (C)週刊実話Web

――大木さんは1995年にデビューされました。来年で芸歴30年ですね。

ビビる大木(以下、大木)「実感がないですね。芸能界って定年がないですから、40年、50年やってる先輩がいっぱいいるんです。なんだったら、まだ若手扱いされることもあるくらいです」

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――芸歴30年は、芸能界ではまだまだ若手だと。

大木「だけど、『ラヴィット!』(TBS系)だと僕が一番先輩になっちゃうし、別の番組に行くと一番後輩になり、また次の番組では真ん中くらいかな、とか。どれが本当の自分か分かんなくなっちゃいますよ」

――デビュー当時はお笑いコンビ『ビビる』として活動されてましたが、コンビ結成が独特だったとか。

大木「僕が専門学校時代に、NHKの“お笑い芸人を目指す学生”みたいなドキュメンタリー番組に出たんです。それを見ていた元相方がNHKに手紙を送ってきて、実際に会って『じゃあコンビ組もうか』となりました。ダメならダメで辞めればいいし、とりあえずやってみようと」

――それですぐにテレビにも出られるようになった。

大木「運が良かったです。当時はテレビも元気で番組オーディションも多かったんで、自分たちで電話してネタ見せに行ってました。養成所も吉本興業と人力舎くらいしかなかったから、今ほどコンビも多くなかったし、ライバルが少なかったと思います。本当にこの30年、運だけでここまで来たような感じです(笑)」

ビビる大木 (C)週刊実話Web

――そもそも芸人になろうと思ったきっかけは?

大木「小学校2年の頃に『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)を見て、すごく面白くて、その世界に自分も行ってみたいと思いました。ザ・ドリフターズさん、(ビート)たけしさん、(明石家)さんまさん、タモリさん、ダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさん、とんねるずさん…もう全部見てました。深夜もネタ番組がたくさんあったし、テレビが面白い時代でした」

――デビュー当時のお笑い界はどんな状況でしたか?

大木「猿岩石、おぎやはぎ、劇団ひとりが同期に当たりますけど、僕らのときはお笑いブームがなかったんです。ちょっと上の先輩たちは『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出ていたボキャ天世代、僕らは賞レースが始まる前の空白期間みたいな感じで“第○世代”みたいなネーミングもなくて」

――大木さんの世代は、売れるためにどういう道がありました?

大木「漠然としてました。売れるのは『ゴールデンタイムで冠番組を持つこと』という風潮でしたね。最初は劇場でライブに出て、深夜番組でテレビに出だすとライブを卒業し、だんだん時間帯の浅い番組に出ていって…と、ステップアップしていく感じです」

「こんばんみ」誕生秘話

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――当時は深夜番組を見ていると、「次はこの人たちがブレイクするのか」と分かりやすかったです。

大木「ただ、有吉(弘行)が『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク旅で一気に売れて、当時の太田プロのライブに行くと、猿岩石はネタをやらずにトリで1曲歌って帰るんです。ブレイクすると、こうなるのかと思いました。あと、その後の苦しみも見てたんで、新人が力をつける前にすぐ世に出るって、こんなに怖いことなんだっていうのも知りました」

――実感がこもってます。

大木「賞レースができて、今はそういうテレビの風潮もなくなりましたね。テレビにバンバン出てても、ライブでネタをやり続けてる人が増えましたし、『ネタをやってないやつは芸人じゃない』みたいな感じです。だから、もうあまりでかい顔ができないですよ。ネタもやってないんで」

――大木さんといえば、つかみの「こんばんみ」があるじゃないですか。

大木「若い子は僕が言ったって知らないんですよ。みちょぱ(池田美優)が『中学のときから使ってたけど、大木さんなの? えー!』って驚いてました。知らないで使ってたの?と聞いたら、『知ってたら使わないよ』と。いや、使ってくれよ!みたいな(笑)。一人歩きしてるのはうれしいんですけど」

――「こんばんみ」が生まれたきっかけは?

大木「もともとは、ただのあいさつです。20代の仕事がなかったときに、お笑いライブのエンディングで言ってただけなんですよ。テレビに出られるようになっても使ってたら、うっすら浸透したんです。ここでも運が良かったのは、ちょうどその頃に携帯電話が普及して、メールで『こんばんみ』が使われるようになるんです。そういう時代の潮流に乗ったんですけど、大木発だって知らない世代がいっぱいいるみたいです」

――出どころが分からなくなり、大木さんのギャグと知らない人が増えた、と。

大木「原口あきまさ君が『どうもこんばんみ。ビビる大木です』みたいな感じで、僕のモノマネをしてくれたんです。原口君が言うとオンエアされるけど、僕がロケとかオープニングで言うとカットされるんですよ。原口君のモノマネで自分の『こんばんみ』を見るという逆転現象が起きてます(笑)」

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コンビ解散後に迷走

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――難しいものですね。でも、大木さんはどの番組でもピタッとフィットするのが強みだと感じます。

大木「そうですね。初めて出た番組でも、レギュラー面するのは平気です(笑)。後輩と喋ってても、実は3つか4つしか違わない人っていっぱいいるんですけど、すごい年上の先輩扱いされるんです。これは多分、印象なんです。『笑う犬の冒険』(フジテレビ系)に入れてもらったのが99年で、25歳くらい。よく入れてもらえたと思いますけど、それでずいぶん前からいるって印象を持たれてるのかなと思うんです」

――ウッチャンナンチャン、ネプチューンという売れっ子の先輩に混じって、デビューして数年の大木さんが一緒に「はっぱ隊」をやっていたのがすごいです。CDも出ましたよね。

大木「本当に奇跡的な20代でした。僕の世代は、面白い芸人ありきの番組じゃなくて、面白い企画があってそこに僕が呼ばれていくので、自分からフィットしなければいけなかったんです」

――番組から求められるものにきっちり応えてきたからこそ、今があるんですね。

大木「でも、自分を見失っていた時期もありました。コンビを解散したあと、忙殺されていた数年間は記憶が薄いです。番組中に意見を求められても自分自身の言葉がなくて、それに気づいたときは本気でヤバいと思いました」

――いまや芸歴30年、少しは自分の言いたいことが言えるようになったのでは? 歴史好き(特に幕末)としてジョン万次郎のことを語ったり。

大木「ジョン万次郎に関しては、『ラヴィット!』のおかげで語れる時間をいただいてます。『ラヴィット!』はVTRを見て感想を言うのではなく、自分から『これやってみたい』という提案をして、採用されたら実際にやってみる番組なので、もう本当に勝負です。出演している面々もMCの麒麟・川島明くんを筆頭に、面白い人や芸達者がいっぱいいるので、なんか変なことやっても、誰かがどうにかしてくれる安心感があります。だから好き勝手に言えますね」

――大木さんの芸人キャリアを発揮できる絶好の番組ですね。

大木「僕は火曜レギュラーとして、視聴者の皆さんになんとしても『火曜日が一番面白い』と言ってもらえるようにしたいと思って毎週やってます」

――燃えてますね! 30周年を迎えるに当たり、これからやりたいことはありますか?

大木「まだ具体的なプランはないですけど、歴史上の人間をプロデュースしてみたいです。過去の人物をブレイクさせてもいいわけですから、まだみんなの目が届いてない幕末の偉人を発掘して、ブレイクさせるのも面白いですよね。これからも幕末と昭和プロレスを語っていきます」

――頑張って下さい!

ビビる大木(びびる・おおき)
1974年9月29日生まれ。埼玉県出身。95年、大内登とお笑いコンビ『ビビる』を結成。「こんばんみ!」などのギャグで注目される。2002年、大内が引退を表明し、現在の芸名に改めピン芸人となる。『ラヴィット!』(TBS系)の火曜レギュラーを務めるなど数多くのテレビ番組に出演中。