堅守速攻からポゼッションサッカーへ。J2降格も味わった新潟がクラブ初の決勝へ辿り着くまでの舞台裏【番記者コラム】

 伝統の堅守速攻から、ポゼッションを基調としたサッカーへと転換してから5年、新潟は、初めてルヴァンカップ決勝の舞台に挑んだ。ブレることなくスタイルを貫き、技術と連係を高め続けてきた結果だ。

 前回ルヴァンカップ(当時のヤマザキナビスコカップ)で4強入りを果たした2015年シーズンも、新潟にはブレないスタイルがあった。

 12年の途中に就任した柳下正明監督が戦術に落とし込んだのは、ハイプレス&ショートカウンター。代名詞となっていた堅守速攻スタイルはアグレッシブさを増し、サポーターを熱狂させた。そのスタイルは川又堅碁が23得点を挙げた13年には、後半戦だけなら首位になれるほどにリーグを席巻。J1でクラブ最高の6位(07年)に次ぐ7位という好成績を残した。その後、リーグ戦でそれを上回れなかったものの、リーグカップでは柳下体制4季目に公式戦で9年ぶりに浦和を下して準決勝に進出。初のベスト4入りを果たした。

 そのシーズンを最後に柳下監督は勇退。「『アルビのスタイルって、こうだよね』というものを、残せたんじゃないかな」と、磨いてきた戦い方を託すようにして新潟を去った。
 それから時を経て、再び快進撃を見せたのは、“新潟といえば、ポゼッションサッカー”という、当時とは異なるスタイルが定着した今季だった。新たな新潟スタイルの確立と継続。その始まりは、J2で3季目を迎えた20年シーズンに遡る。

 クラブは16年から4年連続でシーズン途中の監督交代に踏み切り、積み上げができずにいた。J2降格初年度の18年は16位と低迷。19年には10位まで持ち直したが、昇格争いには至らなかった。経営面も、J2に降格した段階でリーグからの均等配分金が3.5億円から1.5億円に減少。降格救済金(降格前のリーグの均等配分金の80㌫を支給。23年廃止)が支給されても、降格1年目でのJ1復帰は叶わなかった。

 苦しい状況下で、アルビレックス新潟を存続させるためにクラブが注力したのは、選手育成。白羽の矢を立てたのは、スペインの名門、バルセロナの育成部門で長く要職を務めた経験を持つアルベル氏だ。

 そのスペイン人新監督は「ボールを愛するサッカー」を標榜。プレシーズンキャンプからロンドとポゼッション練習を繰り返し行なった。だがその矢先、J2開幕戦の直後からコロナ禍に見舞われる。リーグは約4か月に渡り中断されたが、幸いにもこの期間が不慣れなスタイルを浸透させていくうえでプラスに働いた。リーグ再開後には、鮮やかなパスサッカーでサポーターを魅了。アルベル監督はこう語った。

「サッカーとはエンターテインメント。試合結果にばかり左右されるのは、決して幸せではありません。バルセロナというチームのどういう部分が日本人の記憶にとどまっているか、それはタイトルという結果以上に、グアルディオラ(監督)の下で表現していたスタイルではないでしょうか。攻撃的で、見ていて楽しい魅力的なプレーの数々は、地元バルセロナだけでなく世界中のサッカーファンの心を掴んでいます。我々は、新潟のサポーターが誇りに思えるようなサッカーを表現したい。そうすれば、全国でリスペクトされるようなチームになれると思います」

 明確な信念の下、アルベル監督は主導権を握るためにボールを保持するサッカーを浸透させていった。若手の起用にも積極的で、プロ2年目の本間至恩や藤田和輝に実戦経験を積ませながら成長を促した。

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 アルベル体制1年目は、前年を下回る11位でフィニッシュ。満足のいく成績ではなかったが、寺川能人強化部長は、確かな手応えを感じていた。「毎日同じ練習なんだけれど、続けていると、こんなにも上手くなるんだな」と振り返ったように、選手たちの足もとの技術が飛躍的に向上。継続性の意義を実感した。

 また、パスをつなぐだけでなく、奪われたらすぐに奪い返すというアグレッシブな守備も伴うスタイルには、新潟伝統のハードワークにも通じる面があり「共感できる部分があった」。さらに、翌年の加入が決まった選手からは口々に「新潟のサッカーがやりたい」と言われたそうだが、それは15年から強化部で働いていて初めての体験だったという。そうした実情を踏まえ、寺川強化部長はこのスタイルを今後のクラブの軸にしたいと展望し、指揮官の続投を決めた。

 翌21年は、チームのスタイルに沿った補強を展開。今度こそJ1昇格という結果を求め、適応力を重視してチームを編成。結果的に、ブラジル国籍のアタッカーを獲得する新潟伝統の強化は行われず、ベテランの千葉和彦をはじめ、現在も主力として活躍する谷口海斗や藤原奏哉、ルーキーの小見洋太ら、日本人選手9人を迎えた。これが奏功してか、日本人同士、スムーズに意思疎通を図り、キャンプから一気に連係が深まった。
 そしてJ2開幕5連勝を飾ると、13試合負けなしで首位を独走。なかでも、J1時代から勝てずにいた東京Vを相手にお株を奪うようなパスサッカーで7-0と圧勝した5節は、変化の象徴と言える一戦だった。

 後半戦は一転、対戦相手の新潟対策が進み最終的に6位に甘んじたが(前年からのコロナ禍の影響もありプレーオフは開催されず)、ようやく昇格争いが視野に入ってきた。
「自分たちのサッカーに誇りを持って、貫いてきた。J2でポゼッションサッカーといえば新潟だと言われるチームになった」と胸を張ったのは、J2降格初年度からチームの立て直しに貢献してきた高木善朗だ。

 実際この年、新潟のボール支配率は、前年のリーグ5位(55.7%)から1位(61.4%)へとアップしている。

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 迎えた22年、アルベル監督のFC東京へのステップアップに伴い、コーチから昇格した松橋力蔵監督の下、新たな体制がスタートした。新指揮官が打ち出したのは、「組織的で攻撃的なサッカー」。「J1昇格を目指すのであれば、勝利をもっと貪欲に求めなければいけない」と強調した。

 伊藤涼太郎や松田詠太郎ら、攻撃のタレントを新たに加えると、アルベル体制下で培ったビルドアップ力を基盤に、前方への推進力の向上を図りつつ、相手の隙を突くプレーを追求。シーズン終盤に失速した過去2年の反省も踏まえ、ゴールを目指すプレーの強度の重要性について見つめ直し、フィジカル強化も徹底した。

 ところが、キャンプ中に新型コロナウイルスの集団感染に見舞われ、罹患していない選手もホテルに10日間隔離され、練習は室内での自主トレのみという状況が続いた。そのため開幕時点でコンディション万全と言える選手は限られ、しばらくは動ける選手をローテーションで起用する方策が強いられた。

 影響は小さくなく、開幕から4試合、白星から遠ざかったが、ローテーションという苦肉の策は選手同士の競争をもたらし、松橋アルビが掲げる「全員戦力」につながった。多くの選手のコンディションが整った頃には結果が出始め、8節からは8戦負けなしで首位に浮上。以降は失速することなくトップ争いを続けた。そして、シーズン途中に主力の離脱に見舞われながらも、全員で戦い抜いた結果、J2を制してJ1昇格を成し遂げたのだった。

 昇格後もそのスタイルを貫き、ボール保持率はJ1でもリーグ1位を継続。昇格初年度の23年は10位。2年目の今季は16位(11月3日時点)と苦戦しているものの、ルヴァンカップでは逞しく勝ち上がってみせた。
 選手育成も、22年に本間(クラブ・ブルージュ/ベルギー)、23年に伊藤(シント=トロイデン/ベルギー)と三戸舜介(スパルタ/オランダ)を海外クラブに送り出したように、成果が出ていると言えるだろう。また新潟スタイルの継続は若手獲得にも好影響を及ぼし、本間強化部スカウトもこう明かす。

「初めてご挨拶に行く高校や大学のスタッフの方にも『良いサッカーをしますよね』と言ってもらえることが増えましたね。僕がスカウトを始めた20年はまだJ2だったので、そこまでではなかったんですけど、J1に上がって、それが大きく変わったと感じました。結果がついてきているからこそ、見てもらえる。やっぱり結果なんだなというのは感じますね」

 それは、大卒ルーキーの奥村仁、そして来季加入が内定し、すでに特別指定選手としてルヴァンカップで活躍している東洋大の稲村隼翔ら将来有望なタレントを獲得できている事実からも分かる。選手が育ち、見る者を楽しませ、それに憧れた選手がやってくる。求心力に富んだこのスタイルは、今の新潟の誇りだ。

 新潟のポゼッションは、J2時代以上に精度と強度の高い守備に阻まれることもあるが、それでも指揮官はスタイルを貫く

「“負けない”ことから逆算するなら、長いボールを蹴って相手のプレスを回避するというやり方もある。でも、“勝つ”ことから逆算するからこそ、自分たちのスタイルを大事にしていきますし、そこからブレることは、絶対にありません。相手の力を利用して、自分たちの良さを引き出しながら、ゲームをコントロールして勝利します」

 ルヴァンカップ決勝戦でも、築き上げたスタイルを全面に打ち出し、戦い抜いた。名古屋のハイプレスに動じることなくパスサッカーを展開。一度は0-2と劣勢になるが、そこから2度追いつき、120分+PK戦まで可能性を引き伸ばした。それでも優勝には一歩届かなかった。銀メダルを胸に、悔し涙を抑えきれない新潟の選手たちに、オレンジのサポーターからは万雷の拍手が送られた。試合後の会見で、松橋監督はこう振り返った。

「超えていかなければいけない境界線を、今日は1歩、右足は超えたかもしれないですね。左足を置くことが最後はできなかった。でも、本当に選手はよく頑張ってくれたと思います」

 初めて決勝まで来たからこそ、分かることがある。主将の堀米悠斗は「今までサッカーをやってきた中で、一番悔しかった。優勝に手が届きそうなところまでゲームを進めて、勝てなかった。『自分たちにもできるんだ』と思えたからこそ悔しかった。またあの舞台にみんなで戻れるように頑張ります」と、悔しさをあえて心に刻んだ。「何かちょっと妥協したくなった時に、思い出すことで、自分の規律を守れるのかな」と。

 日本一を決める舞台で見えた、足りなかったあと1歩。忘れたくても忘れられないほどの悔しさを味わった選手たちの想いが、これから先のクラブを強くする原動力となっていく。

取材・文●野本桂子(フリーライター)

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