角田裕毅、苦しんだF1参戦初年度は「ガスリーのレベルでは戦えなかった」と吐露。支えになった元僚友は“ご近所さん”に

 今年でF1参戦4年目を迎えたRBの角田裕毅は、現在はアルピーヌに所属するピエール・ガスリーとコンビを組んだデビューイヤーを振り返った。

 そして、その時点ではガスリーにはパフォーマンス面で後れを取っていたと角田は語る一方、より経験を重ねたチームメイトから多くのアドバイスを得ることができたと説明した。

 角田はレッドブル、そしてホンダの育成ドライバーとしてFIA F3、FIA F2を単年で駆け上がると、2021年に旧アルファタウリからF1に昇格。開幕戦バーレーンで9位入賞と鮮烈なデビューを果たしたものの、翌戦エミリア・ロマーニャGPの予選ではクラッシュを喫し、シーズン前半戦は苦戦を強いられた。

 その後、角田は度々入賞にたどり着き、最終戦アブダビGPで自己最高位となる4位入賞を記録。計32ポイントを獲得したが、ガスリーは1回の表彰台を含め110ポイントを獲得するなど、大きく水をあけられた。

 ガスリーは2022年を最後に、アルファタウリを離れアルピーヌへ加入した。一方で角田はチームに残留し、これまでニック・デ・フリーズやダニエル・リカルド、そしてリアム・ローソンといったチームメイトとコンビを組んできた。

 ただ、F1で初めてのチームメイトだったガスリーと角田の関係は特別。仲の良さは周知のことだ。

「特にチームメイトとしてパドック内で良い関係を築くというのは、特別なモノだと思います」

 The Red Flags Podcastに出演した際に角田はそう語った。

「チームメイトはとても近い存在で、話していて楽しい相手です。しかし同時に、コース上では最大のライバルですよね? だから、確かに珍しいことです」

 また角田は、デビューイヤーにはガスリーからパフォーマンス面で大きく離されていたことを認め、だからこそチームメイトから学ぶ環境が整っていたと続けた。

「その後(ガスリーのアルファタウリ離脱後)も、彼が僕に親切にしてくれたのには感謝しています。彼と一緒にいた1年目は、僕がルーキーで特にシーズン前半はかなり苦しんでいました。その時は彼が色々助けてくれました」と角田は言う。

「正直に言って、かなり僕は離されていました。彼は『チームメイトが苦戦している』という感じでした。自分を倒そうとしているチームメイトを考える必要はあまりないですよね」

「だから扱いやすかったんでしょうね。たぶん僕は彼のレベルでは戦えませんでした。彼にとっても、どうすればいいのかアドバイスがしやすかったでしょうし、楽しく話すこともできたんだと思います」

「レース中はかなり厳しかったので、あの時点では実際に僕としては非常に大切なことでした。でもコースの外では楽しく話ができて、レースから気を逸らすことができる相手がいるんです」

 そして角田は、現時点で仮にガスリーとチームメイトを組んだら違った状況になるのではないか? との質問に対してこう語った。

「彼がチームメイトだったら、1年目のように僕とお喋りすることはできないでしょうね(笑) それでもいい感じですよ」

 なお角田はガスリーが住むミラノへの移住する予定だと語っていた(実際には既に引越しは完了)。そして引越しが完了した後は、歓迎会を開いてもらう予定だという。

「まず僕はミラノに引っ越すつもりで、たぶん彼もその辺に住んでいます」と角田は言う。

「きっとまた会うことになると思います。何度か話しをしました。それで彼は僕がミラノに引っ越すことをとても喜んでくれていて、ミラノで歓迎会を開いてくれることになりました。素晴らしいことです」

「あと、今年や去年もそうでしたが、シーズンの初めにドバイで何度も会いました。全くの偶然ですが、ドバイで会って一緒にトレーニングキャンプをしたり、色々なアクティビティをしたりしました」

「こういうことをしながら、この関係を維持していこうと思います」