12月8日、53年間にわたり独裁を維持してきたシリアのアサド政権が崩壊した。11月27日に、「シャーム解放機構(HTS)」を中核とする反体制派が、拠点であるイドリブから進撃を始め、首都ダマスカスを手中におさめるまで、わずか12日間。現地ではいったい何が起きていたのか。シリア内戦・難民をテーマに撮影を続けるフォトグラファー・小松由佳氏の手記。
シリアで今起きていることは「覚めない夢のようだ」
12月8日夜、シリア人移民の取材のため、ロンドンに到着した私は、スマートフォンに流れている報道に目を疑った。53年間にわたり独裁を維持してきたシリアのアサド政権が、12月8日に崩壊したというのだ。
その幕切れは劇的なものだった。政権の打倒を掲げる反体制派が、シリア北部のイドリブから、アレッポやホムスなどの主要都市を次々と占領し、アサド大統領のいる首都ダマスカスへと進軍。防衛を担うはずの政府軍の兵士たちは、次々と武器を置いて逃亡し、ダマスカスはほぼ無抵抗のまま陥落した。
待ち受ける運命を悟った大統領はロシアの首都モスクワへと亡命し、ここに、親子2代にわたって一党独裁を行ったアサド政権が終わりを迎えたのだった。
アサド政権下ではこれまで、人々は抑圧を強いられてきた。市民の自由意志による政治参加が許されず、厳しい言論統制下に置かれ、わずかでも体制に反対する者は、政治犯として逮捕や収監をされた。そこで非人道的な拷問を受け、殺害されることも珍しくはなかった。
また2011年以降は内戦状態が続き、空爆や戦闘の激化などによって50万人以上が死亡。現在も国外では500万人が難民となり、国内では720万人が避難生活を余儀なくされていた。
そうした中での政権の崩壊は、14年続いた内戦の終結と、市民が置かれてきた抑圧からの解放を告げるものだった。そして、故郷を離れた多くのシリア人たちが、再び故郷に戻れる可能性を示すものでもあった。この突然の展開に、シリア人の多くが驚き、涙し、歓喜している。
日本に暮らす私の夫、ラドワン・アブドュルラティーフもその一人だ。彼はシリア中部のオアシス都市パルミラに生まれた。実家はラクダの放牧業を営む大家族で、16人兄弟の末っ子。
その暮らしは家族の絆とイスラムの宗教文化を核とする穏やかで満たされたものだったが、2011年3月、徴兵を受けた二カ月後に、シリアで民主化運動が始まった。
政府がこれに武力で弾圧を加え、市民に多くの死傷者が生まれると、市民も武装するようになり、自由シリア軍として知られる反体制派が各地に結成されていく。そこに、イラン、アメリカ、ロシア、トルコなどの大国や地域勢力などが加わり、紛争は拡大。シリアは内戦状態へと突入したのである。
夫は、その内戦状態の初期に、政府軍兵士の立場から、市民の弾圧に加担することに悩んだ一人だ。そして2012年に、市民に銃を向けることへの良心の呵責から脱走兵となってシリアを離れた。以来、政権が倒れない限りは二度とシリアに戻れない立場にあった。
その夫は、このアサド政権崩壊をどう捉えているのだろう。ロンドンの空港から電話をかけると、「幸福感で夜も眠れない」と興奮していた。
彼は、自分が生きているうちに二度と故郷の地を踏めないかもしれないと覚悟していたという。そのため、シリアで今起きていることを「覚めない夢のようだ」と語った。
アサド大統領の亡命と政権崩壊。この展開を、一体誰が予想しただろうか。11月27日に、「シャーム解放機構(HTS)」を中核とする反体制派が、拠点であるイドリブから進撃を始め、アレッポ、ハマ、ホムスを次々と陥落させてから首都ダマスカスを手中におさめるまで、わずか12日間のことだった。
夫やその兄たちによれば、今回、以前とは全く異なることが起きていると確信したのは、アレッポを制圧した時だったらしい。
この街はかつて、政府軍と反体制派との激しい争奪戦の舞台となり、2016年以来、政府側が掌握していた。そのアレッポを、わずか一日で反体制派が掌握したのだ。
これには本当に驚いたが、もっと驚いたことがあった。
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じつは砂上の楼閣だったアサド政権
それは、これまで政権側を強力に支援してきたロシアが、今回ほぼ何も支援をしなかったことだったという。2015年以降、ロシアは、イランやレバノンの武装組織ヒズボラなどと共に、アサド政権の後ろ盾となってきた。
特に、ロシア空軍による空爆の影響は大きく、これまでと同様にロシア軍による空爆が行われたなら、反体制派による進撃は止まっていたかもしれない。空軍を持たない反体制派にとって、空からの激しい攻撃は致命的だった。
しかし、ロシア空軍による空爆はほとんど行われず、反体制派はその機を逃さなかった。〝アサド政権打倒〟を掲げて南下を続けると、12月5日には中部のハマを、さらにシリア第三の都市ホムスを占領。ついには首都ダマスカスへと進軍した。
勢いに乗った反体制派には、多くの賛同者が合流して膨れ上がり、もともと士気の低かった政府軍を圧倒していった。さらには、シリア各地に点在する反体制派勢力もこの動きに呼応し、アブ・ムハンマド・ジャウラーニーという一人のリーダーのもとで、政権の打倒を掲げて団結をした。
そうしてダマスカスで何が起きたのかを、私たちは知っている。それは歴史的な出来事として語り継がれていくだろう。民衆の力が、半世紀以上続いた独裁政権を倒したのだ。
市民に対し強権支配を行い、ロシアやイラン、ヒズボラなどの軍事協力によって安定を保っていたかのように見えたアサド政権。
しかし、こうした協力者たちが国際情勢の変化のなかで力を失い、その手を引かざるを得なくなったとき、最後までアサド政権のために戦おうとした者は、ほぼ皆無に等しかった。
堅固に固められていたかのように見えた支配体制は、協力者たちの存在によってそう見えるよう取り繕われていただけで、その手が引かれたとき、あっという間に崩れ去ってしまう砂上の楼閣だった。
12月8日を境に、シリアは今後、大きな転換を迎えていくだろう。故郷を離れていた何十万、何百万もの人々が、次々とシリア帰還の準備を始めている。また、これまで政権が自らを守るために隠し続けてきたものが、次々と明るみになりつつある。
政権に反する言動を行った者たちへの非人道的な扱い、刑務所での囚人の拷問や殺害。人々が長らく、いかに深刻な抑圧に耐え続けてきたのか。一体シリアで何が起きてきたのか。その過去を検証し、より良いシリアを実現するための模索が、人々の手で始まっている。
「いつかまた、シリアに帰ろう」。この13年、写真家としてシリア難民の取材を行ってきた私が、幾度となく、耳にしてきた難民たちの言葉。その言葉が、現実のものとなる日が、今、訪れようとしている。
文/小松由佳 写真/共同通信社