“恋のから騒ぎ”出演の元地下アイドルが双極性障害を発症…「人の命を預かる仕事に就けないな」と思った矢先に見つけたやりがい

「躁の時期には、突発的に陶芸をしたくなり、窯を含む道具を100万円分購入したこともあります。その窯は、今ではベランダに放置しています」とARACO(あらこ)さんは苦笑いしながら語った。双極性障害でADHD(注意欠如・多動症)の彼女は、小中学生時代は壮絶ないじめに遭い、不登校になった。不登校をきっかけに、地下アイドルとしてデビューし、現在は同じくADHDの仲間4人で飲食店の共同経営をしている彼女の人生に迫った。

壮絶ないじめに遭い地下アイドル・モデルに

ARACOさん(39歳)は、兵庫県在住の女性で、大阪ミナミにある「Cafe Bar アデハデ!」の共同経営者の1人だ。

ADHDで、その二次障害として双極性障害を発症した。

現在は、1日3回服薬しながら、シングルマザーとして、育児もこなす。

ARACOさんは、小中学校では、女性の輪に入っていくのが苦手で、給食に画びょうを入れられる、物を隠されるなどのいじめに遭った。

学生時代は、人間関係に悩む日々だったという。

「女性が何でもつるんで行動するノリが苦手でした。幸いなことに、不登校になったものの親には理解があり、気分転換になればと、CMタレントのオーディションを受けることを勧めてくれました」

彼女はオーディションを通過し、CM出演を経て芸能活動をすることになる。同時に、週2日のみ登校すれば済む、通信制高校に進学。

「地下アイドルとしては2人のグループで活動していました。1ステージは3000円ほどの薄給でしたが、楽しくて気にならなかったです。

明石家さんまさんが司会をしていた “恋のから騒ぎ” の高校生スペシャルにも出たことがあります。地方CMにも出ていました」

やりがいがあった芸能活動だが、19歳で結婚したことを機に引退。しかし、結婚生活は1年くらいしか続かなかった。彼女は、これまで2度の離婚を経験している。

「2度目の旦那さんとの間に、息子ができましたが、私は人との共同生活は合わないです」

ARACOさんのメンタルは安定せず、うつになり、突発的に死にたくなることがあった。

「25歳~27歳、直近では35歳のときに、精神科病院に入院したこともあります」

原因が分からず、病院を転々とし、服薬し続けた。

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言語聴覚士を目指すも実習でコミュニケーションが取れずに受診

31歳のときに、モデルに復帰するが、芸能活動はいつまでもできる仕事とは思えなかった。

手に職をつけたくて、音声機能や言語機能、聴覚に障害のある人の機能の維持や向上を図る国家資格である、言語聴覚士(ST)を目指し、専門学校に通いだす。

「学校のカリキュラムで、座学のときは問題がありませんでした。だけど、実習のときに、コミュニケーションが取れなかったり、聞きながらメモを取ったりしていても、理解することができませんでした。

学校から、このままでは進級できないと言われて、精神科病院を受診しました。座学で、発達障害についての勉強もしましたが、教科書を読んでいて、 “私に当てはまる” と思いました」

政府広報オンラインによると、発達障害は、脳機能の発達が関係する障害で、当事者はコミュニケーションや対人関係を築くのが苦手だ。受診した病院で下ったのは、発達障害(ADHD)と双極性障害の診断だった。

「今までの経緯を話すと、医師からはうつ病ではなく、双極性障害だと言われました。双極性障害よりも発達障害だと診断されたことがショックでした。双極性障害は薬で管理できますが、発達障害は薬でどうにかなるものじゃないので……」

双極性障害は、躁の時期には、万能感があったり、無敵な感覚があったりするため、受診に至らないことが多い。うつの時期は、躁の時期にやったことへの後悔など、気分が落ちるため、うつ病と誤診されることが多い障害だ。

作家で精神科医の北杜夫氏も、生前に双極性障害だとカミングアウトしている。厚生労働省の調査によれば、受診中の患者数は 80 万人程度と推計される。

「躁の時期に、衝動的に陶芸道具一式を、貯金100万円を使って購入したことがあります。躁の時期はとにかく楽しい。没頭して寝ずに、作品を作ってましたが、80㎝×80㎝の窯は今ではベランダに置いてあります」

診断を受け、人の命を預かる仕事には就けないと思った彼女は、学校を退学した。