
大相撲春場所は18日から横綱・豊昇龍が休場となった。2021年(照ノ富士)以来の横綱誕生で注目されていたが、この日まで5勝4敗と苦しい横綱デビューとなった。新横綱が休場するのは39年ぶりとなる。
朝青龍、白鵬とは違った豊昇龍への批判の声
新横綱・豊昇龍が早くも苦境に立たされている。
3月場所では9日目を終えて5勝4敗。初日から阿炎に一方的に攻められて敗れると、その後3つの金星を与えてしまい、10日目に休場することになった。
場所前の番付発表会見で「何が起きても休場はしない。負けても休場しない。僕がやらなきゃいけない。最後までやります」という言葉を残していたが、場所前から不安が伝えられていた肘の負傷に加えて頸椎捻挫もあり、苦渋の決断に至ったのだという。
立合いからの素早く激しい攻めが信条の横綱にとって、肘が伸ばせないという今の状況では本来の力が発揮できないのだから、個人的には休場は仕方ないとは思う。
ただ、休場を「仕方ない」で許してくれるほど“横綱”という地位は甘くない。それは新横綱として迎える場所であっても変わらないのだ。
世情が不安定で、世の中がさまざまな不満に満ち溢れている時代背景のせいか、豊昇龍に対する批判は歴代の横綱の中でもあまり類を見ないものになっている。
朝青龍や白鵬の時代は成績低迷への批判ではなく、相撲内容や土俵外での言動という側面に対するものだった。これは個々の「横綱としての品性」に対する考え方に、好き嫌いという要因が絡むからこそ事情は難しかった。
しかし、豊昇龍に関しては違う。純粋にパフォーマンスに対する不満なのである。
近年の横綱に対する批判の多くはその「弱さ」を問うものではなかった。そうした横綱たちと比較して、成績低迷の一点でSNSで多くの批判が散見されることに驚き、そこまで怒らなくても…と感じることもある。
さらに、ここまで批判を集めてしまっている原因は、豊昇龍自身の責任とは言い切れない点もいくつか挙げられるゆえに、私は今回豊昇龍に対して非常に同情的だ。それはまず、豊昇龍が「作られた横綱」という印象を与えてしまっている点だ。
実際、豊昇龍の横綱昇進については反対意見もかなりの割合で存在していたことは事実だ。
横綱昇進に必要な「大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績」という条件は確かに満たしている。しかし、それ以前の成績が振るわなかったことや、優勝場所でも平幕に3敗し、優勝争いから一時脱落しかけていることを理由として、その実力を疑問視する人も多かった。
条件を満たしているのだから本来であれば、昇進そのものが問題にはならないはず。だが、間の悪いことに横綱審議委員会が満場一致で、しかも議事を10分程度で終えてしまったのだ。
(広告の後にも続きます)
豊昇龍の横綱昇進は時期尚早だったのか
実力的な疑問について有識者がそれぞれの意見を交わし、議論を重ねた上でポジティブな見解を尊重しての昇進だったとすれば、特に問題はなかっただろう。ただ年6場所制に移行してからの横綱昇進としては最も低調な成績であり、最初から横綱にすることありきで全員が議事に臨んでいたのではないかという疑念が残る。
豊昇龍にとって痛恨事だったのは、横綱審議委員会の決定について世間的に「今年10月に行なわれる大相撲ロンドン巡業のために作られた横綱」と揶揄する余地を作ってしまったことではないかと私は思う。実際、SNSを見ているとロンドン公演に言及する批判の声は散見される。
また、新横綱として挑んだ今場所での低迷についても同情の余地はある。
歴代の横綱たちも新横綱として迎えた最初の場所では、半数もの力士たちが10勝以下で終わり、成績が低迷しやすいことはデータからも歴然だ。そこには日馬富士や鶴竜といった近年の力士もいれば、朝青龍や曙といった名横綱まで含まれている。新横綱のお披露目場所は、文字通り鬼門と言える。
さらに、豊昇龍といえば、その荒々しい個性もアンチ感情を煽る結果になっている。
闘志が表情に出やすく、相撲にもその気性の荒さが如実にあらわれる点については好き嫌いが明確に別れる。「武道の美」という視点からすると遠い位置にあるものだが、「格闘技的な強さ」だとこれほど分かりやすいものはない。
横綱に品位を求める好角家の間では、その激しさを受け入れられないファンも一定数いるため、アンチ感情が強まると勝っても負けてもその言動に厳しい言葉を投げかけられることになる。今場所の低迷に批判が多いのはそうしたアンチがいるという事情もある。
しかし、横綱に昇進した今場所ではそうした気性の荒さは抑えて、きわめて横綱らしい相撲をとろうとしているように見受けられた。横綱として、これまでに見せてきた立合いでの変化は封印すると公言していた。そうした技の選択肢が減った中で成績を伸ばすには相応の時間を要するかもしれない。