東洋医学の原典 『黄帝内経』は健康で元気な人間生活を実現したいという強い願いの歴史

『黄帝内経』には二種類ある?

本やインターネットから引用するときには、『黄帝内経』と一言でまとめてしまいますが、実は、『黄帝内経』は二つの系統の書物に別れています。その2つの系統とは、『素問(そもん』と『霊枢(れいすう)』です。

『素問』は身体の成り立ち(東洋医学の生理学・解剖学)や自然界と身体との関係、養生のお話、病気のことなど、主に身体と疾病に関係することが網羅されています。

一方の『霊枢』は、『素問』よりも臨床的な内容が多くなり、『素問』に比べると鍼の話も多くあります。

『黄帝内経』は、基礎医学的なことは『素問』で学び、より実践的な内容を『霊枢』で学んでいくという構成にあります。つまり、この2つの『素問』と『霊枢』の両方をマスターすると、東洋医学の体系を身につけることができるということになります。一般の方が読むインターネットの記事でここまで細かく分ける必要はありませんが、より正確を期すために分ける場合もあります。

『素問』と『霊枢」は、それぞれ9巻ずつあります。そして、その9巻の一巻一巻にはそれぞれ9編の章に分かれています。これは、古来中国から由来する数にまつわるお話と関係します。

古来から現代に至るまで、中国では最高の数字が9になります。こういった背景から、「9」という数字には、永遠という意味もあるようです。現代でも、9月9日は重陽の節句と称して、一年の中で最もめでたい日のひとつとなります。

もうお分かりかと思いますが、『黄帝内経』の『素問』と『霊枢』はそれぞれに9巻で9編ありますので、とても価値がある古医書であるという意味が込められているわけです。さらに、9巻×9編=81編となりますが、9がかけ合わさっている81はとても強力な数と考えられています。

(広告の後にも続きます)

『黄帝内経』の写本は日本にある?

前述してきたように、『黄帝内経』は2000年も前に著された総合医学書です。おおよそ完成を迎えるまでに、多くの人達の手によって受け継がれ、改訂されながら続いてきました。しかし、いくら慎重に、大切にしてきたとはいえ、当初は紙がなく、細い竹に書かれていましたので、それらが伝承される間には、散逸したり、順番がバラバラになったりと、さまざまな困難がありました。それでも、中国の王朝は医学の書物をとても大事にしていたので、その後の王朝において、国の政策として完成版を制作してきました。特に宋の時代に本格的にまとめられたものが今日では定番となっています。 

実は、『黄帝内経』の伝承について、日本が登場してきます。

この『黄帝内経』の解説書で最も古いもので、『黄帝内経太素』というものがあります。隋・唐の時代の医家である楊上善(ようじょうぜん)が解説したものですので、600年代に書かれたと推定されています。残念ながらこの『黄帝内経太素』は、中国本土では失われていました。

ところが、なんと、この『黄帝内経太素』の写本が、19世紀に京都の仁和寺で発見されたのです。東洋医学・中医学発祥の地である中国で失われた書物が、巡り巡って日本にあるというのはとても奇跡的なことではないかと思います。この貴重性から1952年には仁和寺所蔵の『黄帝内経太素』は国宝に指定されています。

結び

東洋医学・中医学の原典である『黄帝内経』は、さまざまな歴史の洗礼を浴びながら、今日まで受け継がれてきました。これは、多くの人々が病に苦しむ中で、多くの医家達が、なんとか健康で元気な人間生活を実現したいという強い願いの歴史であります。そしてまた、歴代の中国王朝が医学を尊んできたこと、それが人民を治める皇帝の役割でもあったという証左でもあります。

成熟した現代の文明社会において、高血圧や糖尿病、脂質異常といった生活習慣病が増えてきていますが、これらは私たちの日々の生活の不具合によって生じているものです。それだけではく、がんや認知症といったものも、私たちの日常生活や精神活動の乱れがその原因の根底にあるといわれています。そういった中で、現代医学ではカバーしきれない範囲が広がり、ここ数年ますます東洋医学・中医学が見直されてきています。それによって、『黄帝内経』の基本に根ざした生活・暮らしが活かされるようになってきています。この傾向は、これからさらに続くと思われ、それとともに古代に書かれた『黄帝内経』の価値が注目されてくると思います。

また、『黄帝内経』に著された東洋医学・中医学の内容は、科学的にも証明されつつあり、まさに“温故知新”で東洋医学・中医学も前進しています。今後も『黄帝内経』を原点にした東洋医学・中医学に注目していただき、それを実践していただき、健康で明るい人生を送っていただきたいと願っています。