センペルヴィレンス(R. sempervirens)- 原種、春一季咲き


krolya25/Shutterstock.com

小輪、シングル咲きで浅いカップ形の花となります。花数は多いものの、房咲きとなるより、株全体に飾り付けたように間隔を置いて開花するといった印象を受けます。

フック気味の赤みを帯びた鋭いトゲ。細い枝ぶりですが旺盛に枝を伸ばし、350cmから500cm高さへ及ぶ大型のランブラーとなります。

ポルトガルから以西のスペインなどの地中海地域、北アフリカ、トルコなど、乾燥気味で温暖な地域に自生しています。

分類学の父カール・リンネ(Carl von Linné)が1753年に発刊した『植物の種/Species plantarum』の中で記述されたのが、学術上の最初の公表となりました。センペルヴィレンスとは“常緑の”という意味のラテン語。そのため英語圏ではエバー・グリーン・ローズ(Evergreen Rose)と呼ばれることもあります。

センペルヴィレンスを交配親としたランブラーの育種に多大な貢献をしたのはフランスの育種家で、フランス最後の王ルイ=フィリップの庭園丁であったアントワーヌ・A・ジャック(Antoine A. Jacques)。園芸種としてのランブラーを世に紹介した先駆者です。

【バラ誕生物語】アンリ・アントワーヌ・ジャック~フランスの先駆的な育種家

多くの美しいセンペルヴィレンス系ランブラーがジャックの手により育種されましたが、そのうち代表的な白花種をご紹介しましょう。

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アデライド・ドルレアン(Adélaïde d’Orléans)- センペルヴィレンス系、1826年


‘アデライド・ドルレアン’ Photo/田中敏夫

中輪、開花しはじめは丸弁咲き、成熟すると平咲きの花形となります。                                                                                                                                          

どんぐりのような愛らしい丸みを帯びたつぼみは、濃いピンク。開花当初は、その色合いが残って淡いピンクとなることもありますが、次第にクリーム色、さらに純白へと変化します。

細めの深めの緑となるつや消し葉。細く柔らかな枝ぶりで、高さ350cmから500cmとなるランブラーです。

1826年、フランスのアントワーヌ・A・ジャックが育種・公表しました。センペルヴィレンスが交配親のひとつと見なされていますが、詳細は不明です。

オルレアン公ルイ・フィリップ(後のフランス国王)お抱えの庭師であったジャックは、この品種を公の妹、アデライド(1777-1847)へ捧げました。


‘Portrait of Adélaïde d’Orléans’ Painting/unknown [Public Domain via Wikimedia Commons]

アデライドは、オルレアン公である兄ルイが、1794年にフランス共和制議会から”反革命”の烙印を押されて亡命を余儀なくされた後、1801年にアメリカへ亡命しました。アメリカの富裕な商人と結婚し、4人の子供をもうけましたが、ルイがナポレオン失脚後の王制復古の機運により1814年にフランスへ帰国した折、アメリカの家族の許を離れ、兄ルイと暮らす道を選択しました。

生まれながらの聡明さと長い海外生活から、母国語であるフランス語のほか、英語、イタリア語、ドイツ語に堪能で、兄ルイ・フィリップを政策上でもよく支えました。

この品種が彼女へ捧げられたときは、フランスは王制復古派の勢力が優勢で、それゆえに安寧な毎日を送っていた時期でした。4年後の1830年、ルイ・フィリップはフランス国王となります。ルイ・フィリップは1848年に王位を追われ、フランス最後の王となってしまいましたが、アデライドはそれ以前に生涯を終えたため、ルイ・フィリップの零落を見ることはありませんでした。

アデライドはボタニカルアートを趣味としていて、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの指導を受けていました。今日まで美しい植物画が残されています。


Botanical Painting/ Adélaïde d’Orléans [Public Domain via Wikimedia Commons]