どれだけそのときの経営者が優れていても、次へ繋ぐ「承継」の準備ができていなければ、企業経営としては失敗といっても過言ではありません。育ててきた自社を守り継ぐ、その準備はいざとなってからでは遅いのです。本記事では、A社の事例とともに中小企業における事業承継の事前準備について、中小企業の経営支援をおこなうアイエスピー合同会社の代表で中小企業診断士の豊田元幹氏が解説します。

ピーク時の年商10億円弱も…

【対象会社データ】
業種:食品加工業 
エリア:東日本
従業員数:50名以下
有利子負債:約3億円
家族構成:A社長(70歳)、奥様(69歳)、長男(43歳・会社員)、長女(40歳・主婦)
※本ケースは個社名が特定できないよう、一部情報を加工しております。

東日本にあった、とある食品加工業を営むA社の話です。A社は数十年のあいだ、所在する市内の顧客向けに弁当用の総菜を中心とした食品加工業を展開してきました。コロナ禍前の年商は10億までは届かないものの、長年の顧客からの引き合いがあったことに加え、社長主導での生産管理によるコストダウンが功を奏しており、厳しい環境のなかでも毎年安定した売上・利益を確保することができていました。

日配品ということもあり顧客からのコストダウン要求水準は高い一方、魚や肉・野菜などの原材料や燃料・電気や水などの水道光熱費は高騰が続き採算面が悪化してきているうえ、労働法規制が厳しくなり、一時は工場内作業者の労働環境について、労働基準監督署のから改善の指導を受け冷房設備を大幅に刷新する多額の設備費用を捻出するなど、経営環境の厳しさは年々増す一方でした。

ただ、A社長はそのような環境下でも、幼少期から続けてきた野球で培われた体力を武器に、なんとか数々の難局を乗り越えてきていました。

社長が突然倒れ…

事態が急変したのは2019年秋口のことです。取引先の開催するゴルフコンペに社長が参加した際、途中の昼食後に体調が急変。ゴルフ場から救急車で病院へ運ばれる事態となりました。医師の診察を受けたところ、長年の高血圧から動脈硬化が進行しており、即入院かつ1週間は絶対安静となってしまいました。このとき、A社長は自分の身体が自分の思うようにならなくなってしまったことに気づいたそうです。

工場では受注を電話かファックスで当日受けた分を生産し配送するためなんとかなっていましたが、大変なのは取引先への支払いでした。この規模の会社ではあまりないことですが、すべての支払い作業をA社長が自ら行っていたのです。
 

(広告の後にも続きます)

社長不在で会社は大混乱

各取引先への支払いタイミングは5日、10日、15日……と5日単位だったため、入院期間中に支払い漏れが発生し、取引先に迷惑をかけることになってしまいました。

奥様は諸事情で社長と不仲であったことからA社長の会社とは関係のない企業で仕事をしており、該当業務にまったくタッチできる状況にありませんでした。

急きょ会社員として勤務している長男が、仕事の合間を見て手伝いに来てくれたものの焼け石に水。最終的にA社長は3週間近く入院したのち、週に3日程度しか勤務できない状態となってしまいました。

トドメとなったコロナショック

さらに追い打ちをかけるようにコロナショックが発生。法人需要が一気になくなり、当社としても売上高がコロナ禍前の4割程度まで激減してしまいました。当面は融資や給付金などを活用し、しのいでいたものの、法人需要が以前のとおりに戻ることはありませんでした。A社長自身の健康面の不安からオンライン注文システム導入の判断ができなかったことで個人消費を取り込むこともままならず、売り上げ回復は叶いませんでした。

最終的に金融機関への返済も困難になり、倒産という結末を迎えた事例でした。

「後悔しています」A社長は無念で仕方ないといった様子でした。要因は、A社長が自身の健康状態を過信し、仕事を自分で抱え込み、いざというときに相談できる相手を周囲に作っていなかったことです。