7月7日(日)投開票の東京都知事選挙の立候補者らが「告示前」に行った街頭演説などの内容について、公職選挙法(公選法)が禁じる「事前運動」に該当するのではないかと話題になっている。他方で、これまでも告示前の「事実上の選挙戦」は当然のように許容されてきている。実際の法律の規定や判例、選挙実務はどうなっているのか。
今日は、東京都知事選挙の告示日です。
立候補の届け出をした人は、本日から投票日の前日まで選挙運動ができます。いよいよ選挙期間がはじまります!#東京都知事選挙2024 #都知事選2024— 東京都選挙管理委員会 (@tocho_senkyo) June 20, 2024
公職選挙法は「事前運動」をどう規制しているか
公職選挙法は「事前運動」についてどのように規定しているのか。
公職選挙法129条は、「選挙運動は、各選挙につき、(中略)届出のあつた日から当該選挙の期日の前日まででなければ、することができない」と規定している。つまり、事前運動とは、立候補の届出の前に行う選挙運動をさす。
そもそもなぜ、公職選挙法は事前運動を禁止しているのか。市議会議員の経歴があり選挙実務に詳しい三葛敦志弁護士に聞いた。
三葛弁護士:「まず、公職選挙法が選挙運動の期間を区切っているのはなぜかを考える必要があります。
選挙運動は多岐にわたるので、選挙運動期間が長いほど、『お金を持っている人』に有利になります。
お金がない人でもそれなりに選挙ができるようにするには、選挙運動の期間に制限を加えることが合理的です。
したがって、事前運動の禁止は、候補者の実質的平等を確保し、公正な選挙を実現するために、必要やむを得ない制約だということになります」
「選挙運動」の意義についての「判例の3要件」
では、「選挙運動」とはなにか。実は、公選法はその内容について定めておらず、最高裁の判例によって以下の基準が示されている(最高裁昭和38年10月22日決定)。
「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接的に必要かつ有利な行為」
つまり、以下の3要件をすべてみたせば「選挙運動」に該当する。
1. 特定の選挙に関するものであること
2. 特定の候補者を当選させる目的であること
3. 投票を得る、または得させるために直接・間接に必要かつ有利な行為であること
1と2についてはわかりやすいが、「3. 投票を得る、または得させるために直接・間接に必要かつ有利な行為であること」の解釈については、問題がある。
三葛弁護士:「正直にいって、専門家からみても非常に悩ましい規定です。広く解釈すると、ありとあらゆる活動が含まれかねません。
もちろん、先述した法の趣旨からすれば、広く解釈して『みんな一律にアウト』という考え方はあり得るでしょう。
しかし、それでは、法的観点からも、選挙実務の観点からも、困難な問題が生じます」
多くの候補者が告示前になんらかの「活動」を行っている(弁護士JP編集部撮影)
事前運動を広くとらえることの「重大な問題」
法的観点からはどのような問題が生じるのか。
三葛弁護士:「なんでもかんでも禁止ということになると、今度は憲法21条で保障されている『政治活動の自由』が過度に萎縮してしまうおそれがあります。これは三つの意味で不都合です。
第一に、候補者は自分の考え方を十分に示すことが困難になるおそれがあります。第二に、有権者は投票するための判断材料を得られないということになりかねません。
第三に、これがもっとも深刻な問題かもしれませんが、戦前のような官憲による選挙干渉を招くおそれがあります。
先述のように、公選法129条が定める事前運動の禁止は、選挙における実質的平等と選挙の公正をはかるためのものです。しかし、かえって政治活動の自由が萎縮してしまうとなると、本末転倒になりかねません」
選挙実務の観点からはどうか。
三葛弁護士:「実務上も、広く解釈することは現実的ではありません。たとえば、ほとんどの立候補者は、立候補の表明を選挙告示前に行っています。しかし、広く解釈すると、それさえも認められないということになりかねません。
『ぜひ私に一票を投じてください』という直接的な投票の呼びかけであれば、アウトといわざるを得ないかもしれません。
一方、『私は立候補します。頑張ります。以上です』ではいかにも不自然だし、有権者に対するメッセージとしては中途半端な感じがします。わざわざ聞きに来た人によっては非礼と受け取られるおそれもあります。
たとえば、ただ『よろしくお願いいたします』程度であれば、常識的・儀礼的な、締めくくりの言葉の範囲にとどまると考えてよいのではないでしょうか」
たしかに、現実問題として、立候補表明は事務的なものではなく政治活動の一環である以上、「お願い」の要素を一切排除するのは難しいかもしれない。
事実、これまでも、選挙の立候補者が選挙前に立候補表明と公約発表を行う際には「お願いします」に類する言葉が伴われるのが通例であった。
また、選挙の告示・公示前に、与野党問わず、政党の党首や幹部が立候補予定者の応援に駆け付け、支持を訴えるのはよくある光景である。
マスコミも、たとえば「事実上の選挙戦がスタート」などの表現を使い、告示前の街頭演説で支持を訴える様子を当然のように報道してきていた。
つまり、政治家、有権者、マスコミのそれぞれが、選挙実務上、選挙運動(事前運動)に該当する「投票を得る、または得させるために直接・間接に必要かつ有利な行為」の意味を限定的・抑制的に解釈し運用してきたことを意味する。
捜査機関・裁判所による実務の運用はどうなっているか?
しかし、そうであるにもかかわらず、今回の東京都知事選挙において、SNSなどの場を中心に、立候補者らの告示前の発言などが「事前運動」に該当すると、ことさらに“断定”するケースが見受けられる。
一方で、これまで見てきたとおり、「事前運動」を広くとらえた場合には、候補者を過度に萎縮させるおそれがあり、健全な民主主義の発展のためには必ずしも望ましいものではない。
では、どのように考えればいいのか。
ここで特に重要な視点は、捜査機関・裁判所による実際の運用がどうなっているのかということである。三葛弁護士は「画然と線引きをするのは難しい」としつつ、先例についての分析を加える。
三葛弁護士:「捜査機関の側では、政治活動の自由に対する萎縮効果をもたらすリスクがあることから、慎重な態度をとっていることがみてとれます。
裁判所も、たとえば、買収が絡んでいるなど、『明らかにアウト』といえるケースを除くと、ケースバイケースで判断していると考えられます(東京高裁平成29年(2017年)5月18日判決、大阪高裁令和5年(2023年)7月19日判決など)。
ただし、大まかな傾向として、『書面・メール』などが用いられた場合と演説や会話等の『発せられたことば』にとどまった場合とに区別することが可能でしょう」
「書面・メール」と「ことば」はどのように区別することができるのか。
三葛弁護士:「まず『書面・メール』についてはその性質上、記載内容を吟味したうえで世に出すものであり、捜査機関もその内容をじっくり分析して事前運動の要件をみたすかの判断は比較的可能でしょう。
これに対し、『ことば』の場合は起訴することは簡単ではありません。過去に『ことば』だけで刑事責任を問われた事例はすぐには思い浮かびません。
『ことば』は流れていくものだし、加えて『言い間違い』や『口がすべる』ということは往々にして起こり得るものです。
ある『ことば』が『言い間違い』ではないことを立証するのは困難です。刑事罰や公民権停止のような重い制裁に値するかということも考えてみる必要があります。
どこまでがセーフでどこからがアウトかの線引きは、実際上きわめて困難でしょう。すべての候補者の演説の内容を録音して、AIを用いて言語学者が分析したら何らかの基準は出てくるかもしれません。この点は夢物語ではない時代になってきています」
専門家ですら判断に悩む「事前運動」の該当性
三葛弁護士は、市議会議員及び国会議員政策担当秘書の20年以上の経歴をもち、選挙実務・議員法務の経験が豊富な筋金入りの専門家である。
その三葛弁護士をもってしても、公職選挙法129条が禁じる事前運動すなわち「立候補届け出前の選挙運動」に該当するかどうかの判断は悩ましく、困難であるという。
三葛弁護士:「選挙に関連して、どんな行為がどこまで許されるのかということは、必ずしも明確になっているとはいえず、かなり『ケースバイケース』です。
時代や地域差もかなりあるばかりか、激戦の注目選挙区であるのか、候補者が法律の専門家であるのか、他に違法行為が指摘されているかどうか、背景にお金の問題が絡みうるのか、など総合的かつ立体的に考える必要があります。
あとから『あれはアウトだった』と言われかねないため、常にリスクを抱える状態です。
もしも判断に迷った場合には、選挙実務に通じた弁護士に相談することをおすすめします」
公職選挙法が定める事前運動の規制は、選挙の平等・公正を実現するために不可欠なものである。しかし、その解釈適用が恣意的に行われると、結果的に「政治活動の自由」への萎縮効果をもたらし、健全な民主主義の発展・成熟が阻害されるおそれがあることを忘れてはならない。
このことは、戦前に往々にして行われた官憲による露骨な選挙干渉の例をみるまでもなく明らかである。
選挙活動の自由に関連する言論は、それを発する側と受け取る側のいずれも、有権者としての責任を自覚し、慎重を期する必要があるといえよう。