サラリーマンの給与の“地域格差”は「官製」だった?  現役裁判官が“国”を訴える異例の訴訟を提起「すべての国民の未来のために戦う」

7月2日、地方裁判所で民事部トップの裁判長を務める裁判官が、国を相手取って名古屋地方裁判所に「違憲訴訟」を提起した。提訴したのは津地方裁判所民事部 部総括の竹内浩史判事(61)。国家公務員の「地域手当」によって裁判官の給与が減るのは憲法80条2項などに違反すると主張した。訴状は名古屋地裁に受理され、提訴後に記者会見が行われた。会見では、竹内判事と弁護団から提訴の趣旨の説明と質疑応答が行われた。また、訴訟支援のクラウドファンディングの案内も行われた。

訴状の内容、記者会見での竹内判事らの発言からは、今回の提訴が裁判官や国家公務員・地方公務員だけでなく、民間企業のサラリーマンも含めたすべての労働者に関係する問題であることが浮き彫りにされた。

※本人インタビュー:「このままでは裁判制度が危ない…」国を相手に「違憲訴訟」を提起 “現職裁判官”が語る、裁判官・公務員の“地域手当”「深刻すぎる問題」とは

異動後3年分の「地域手当の差額」約240万円を求めて提訴


名古屋での記者会見の模様(前列右から2人目が竹内判事)(訴訟事務局提供)

訴状によれば、竹内判事は、異動後3年分の「地域手当の差額」238万7535円などの支払いを求めている(行政事件訴訟法4条参照)。また同時に自身に対する昇給・昇格差別の違憲・違法性についても争っている。

竹内判事はもともと弁護士で、市民オンブズマン等を務めた経歴がある。その業績により弁護士会から推薦を受け、2003年に40歳で裁判官に任官した。「近鉄・オリックス球団合併」事件で主任裁判官を務めるなど、数々の重要事件にもかかわっている。

竹内判事は2021年4月、名古屋高裁から津地裁に民事部の部総括(民事部のトップの裁判長)として異動した。この異動に伴い、「地域手当」が減額された。ちなみに地域手当は報酬額を基準としてパーセンテージで決まり、名古屋市(3級地)は15%、津市(6級地)は6%である。

そして、本件訴訟の請求額として提示されている238万7535円は、津地裁への異動以降、2024年3月までの3年間の給与減額分の合計額であるという。

地域手当の基準は「不明確」?

そもそも地域手当の支給基準はどうなっているか。【図表1】【図表2】は、国家公務員の地域手当の級地区分をまとめたものである。


【図表1】国家公務員の地域手当の級地区分(1級地~5級地、裁判官も同じ)(弁護士JP編集部作成)


【図表2】国家公務員の地域手当の級地区分(6級地~7級地、裁判官も同じ)(弁護士JP編集部作成)

竹内判事は、この級地区分の設定基準が不合理であると主張する。

竹内判事:「(統計の結果から)自動的にこの表ができたとは到底考えられない。全体的に、いわゆる統計不正的なものがあるのではないかと疑っている。

なぜかというと、1級地(20%)の『東京都特別区』に次ぐ2級地(16%)のなかに『埼玉県和光市』が含まれている。

埼玉県のトップが(県都・県内最大都市のさいたま市ではなく)和光市になっている。これはなぜかというと、(財務省の外局の国税庁の研修機関である)税務大学校があるからだとしか考えられない。

司法研修所や理化学研究所もあるが、それらのためとは考えにくい。そこが訴訟でどう説明されるのか。

その他にも、重要な国家の機関があるところが割と優遇されているという傾向があると思われる。この点について、きちんと緻密に論争をしたい」

「地域手当」は『裁判官の報酬』の一部か

本件訴訟のメインとなるのは、「憲法80条2項違反」の問題である。憲法80条2項は以下のように規定している。

「下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない」

地域手当の格差により給与が減額されたことは、この規定に違反するとの主張である。この主張は、地域手当が「報酬」に該当することを理由とする。

地域手当の制度が導入されたのは2006年からであり、これは人事院が2005年8月に行った「給与勧告」に基づく。

人事院は同勧告のなかで、一般職の非現業国家公務員の給与を全体として4.8%引き下げるのと同時に、民間賃金が高い地域には3%~18%の地域手当を支給するとの勧告を行った(現在の地域手当の最高は20%(東京23区))。そして、最高裁判所もこの人事院勧告の内容を受け入れたという経緯がある。

訴状では、この経緯を紹介したうえで、「地域手当は支給割合が勤務地によって異なるにもかかわらず、(中略)報酬の減額と引き換えに導入されたものであるから、(中略)実質的には報酬であるというべき」とする。

また、竹内判事は会見で、地域手当が報酬の一部をなすことの根拠として、他の『手当』とつく給付と質的に異なるということも挙げた。

竹内判事:「憲法が減額を禁じている『裁判官の報酬』とは何かが問題となる。

地域手当は『手当』という名前がついているが、他の『手当』とは性質がまったく違うものである。

たとえば、『住居手当』『通勤手当』は定額制で『利用者1人いくら』とか『交通費いくら』とか、『上限いくら』とかだいたい金額で決まる。

ところが、地域手当は『基本給×何%』。このような手当ては類例がない。また、最大で20%というのは大きすぎる。これを報酬と一体とみないならば、憲法80条2項の規定はなし崩しにされる」

看護師の「人手不足」に深刻な影響も

竹内判事は本件訴訟の提訴に先立ち、4月6日に提訴予告の記者会見を行った。その後、様々な反響が寄せられ、それらによって、地域手当の格差が、裁判官のみならず国家公務員や地方公務員にも重大な影響をもたらしていたことを知ったという。


会見で発言する竹内浩史判事(訴訟事務局提供)

竹内判事:「国家公務員のレベルでは、埼玉県の自衛隊員の方から、地域手当のせいで、隣の基地に勤務する隊員と比べて給与が10%超も低いという話をうかがった。

また、地域手当は国家公務員の問題だと思っていたが、地方公務員についても、国家公務員と連動して地域手当が設けられていることを知った。

私の出身地の愛知県蒲郡市に住む中学校の同級生からLINEをもらった。蒲郡市には地域手当がないせいで、市民病院の看護師さんが来てくれないんだと。

地方公務員の地域手当がなぜ定められているかというと、それを設けないといわゆる『ラスパイレス指数』が上がってしまい、財務省あたりから『おたくの自治体は裕福なんだね』といって地方交付税交付金が削られるということのようだ。

蒲郡市は地域手当がないので、近隣の看護師さんは、比較的近い豊田市(2級地・地域手当16%)などに流れていってしまうという。

私に悲痛な声を届けてくれた同級生は病院の患者さんの家族だった。涙が出た」

「同一労働・同一賃金」の問題と「地域間格差」

訴状では80条2項違反に加え、平等原則(憲法14条)違反の問題も主張されている。「同一労働同一賃金の原則」に反し、勤務地による不合理な差別にあたるという。

それに加え、国家公務員の地域手当の格差が、国家公務員のみならず、地方公務員、民間の労働者全般の給与・賃金水準の地域間格差にも重大な影響を及ぼしていると主張されている。

すなわち、まず、地方公務員の地域手当は、国家公務員の地域手当にほぼ連動し、看護・介護・保育等の「公定価格」などにも連動する。

そして、地方公務員の給与水準は、その地方の民間企業の賃金水準に大きな影響を及ぼし、ひいては、都道府県別の最低賃金にみられるように、現状の地域間の給与格差を生んでいるという。

竹内判事:「人事院は、民間賃金に準拠して国家公務員を定めたと説明している。

しかし、むしろ、国家公務員にこのような最大20%もの地域手当の差別を設けていることが、地方公務員にまで波及して、さらには地元の民間賃金の圧迫の原因になっているということ。

都道府県別の最低賃金の格差は最大20%超となっているが、全国一律の最低賃金の実現の妨げにすらなっていると思っている」

国家公務員の給与を決める「人事院勧告」においては「民間準拠」が重視されている。しかし、地域手当が全公務員、ひいては民間の労働者の給与水準に影響を及ぼし地域間格差を生んでいるとなると、地域間格差は作られた「官製」のものということになる。

「すべての勤労者の問題」として問いたい

訴状では、現行の地域手当の定めが「全体として不可分一体をなすものとして、違憲・違法である」とする。その意図について、竹内判事は述べた。

竹内判事:「本件は私だけでなく国民全体の問題だと考えている。

もし、私だけの裁判にしてしまうと、『大阪16%』『名古屋15%』『津6%』という数値のみを取り出し、それが妥当かどうかという点だけの判断になってしまう。それでは狭すぎる。

地域手当の定め全体として合理性があるのか、憲法に照らして正当化できるものなのか、ということを問いたい」

また、是正の方法についても、一つの案を提示した。

竹内判事:「仮に今の地域手当の水準が総体・総額として正しいとするならば、その平均値をとるという方法が合理的だと考えられる。

そして、その平均値に近づけるため『減給』にならないように、徐々に経過措置を設けて激変緩和措置をとりながら、全国一律の公務員の賃金に是正していく。それが正しいやり方、あるべき方法だと思われる」

岡口基一元判事も「辛口エール」

名古屋での会見が中継された東京会場には、弾劾裁判で裁判官を罷免された元仙台高裁判事の岡口基一氏も駆け付け、発言を行った。竹内判事は岡口氏の弾劾裁判の際に弁護側証人として出廷し証言している。

岡口氏は、現行の司法制度下で判事補などの新人法曹は多額の借金を抱えていることを指摘した。


東京の記者会見場で発言する岡口基一元判事(弁護士JP編集部)

現行制度下で法曹資格を得るには基本的に多額の学費がかかるロースクールで学ばざるを得ず、多くの人が奨学金の返済をしなければならない。また、特に2011年~2017年に司法修習を受けた人は無給であったため国から約300万円の借金を負っている。

岡口氏:「いま法曹になるには非常にお金がかかる。新任判事補の中には判事補になったときに800万円の借金を抱えている人もいる。そういう状況にあるということは国民の皆さんはご存じないのではないか。

また、今年3月に判事補が2桁も依願退官している。我々が新人の頃よりも、東京の同期と給与が20%も違うということによるモティベーションの低下は大きい。

かなり切実だ。地方回りの男性裁判官は奥さんも働けない。若い裁判官は給与も低く、税金や社会保険料の負担も増大しており、生活が苦しいなか借金を返している。そういう状況で、若い裁判官はどんどん辞めている。

若い声を吸い上げていくことが大切だ」

竹内判事は記者会見の最後を次の発言で締めくくった。

竹内判事:「『ぜひ弁護してあげたい』という事件が生じたら、裁判官を退官して弁護士に戻ってまた頑張ろうと思っていた。図らずも、まさか自分が原告になるとは思っていなかった。

探し求めていたライフワークが、ようやくこの『差別』のおかげで見つかったということで、実は少し喜んでいる。

これだけの皆さんに弁護していただいて、応援していただいて幸せ者だと思う。

私も残りの人生をかけて、公共訴訟という形で、地域手当の改正と裁判所の独立、そしてひいては地方で冷遇されている皆さんをはじめとする、すべての国民の未来のために戦うことをお誓いしたいと思う」