新曲のMVが「史上最もセクシー」と話題をさらった、純烈の“マダムキラー”白川裕二郎さん。
その素顔に迫るべくお誘いしたのは、“体に優しい中華”が楽しめる中目黒の人気店。
いまや全国区で注目されている彼が、これから目指していく未来像とは?
白川裕二郎が見つけた、アイドルとしての居場所と次なる夢
「健康に対する意識は強い方かもしれません。小学校6年生の時に、父親が肺ガンで他界したんです。それ以降は母子家庭で育ち、ひとりで夜ごはんを食べることも珍しくなくなって。
中学生の頃には、みそ汁など簡単なものなら作れるようになっていました」
“体に優しい中華”の感想を求めると、こんなエピソードが語られた。
健康センターを中心としたライブ活動で“スーパー銭湯アイドル”という新たな地位を確立し、国民的番組『NHK紅白歌合戦』に出場。いまやトップ歌手の仲間入りを果たした、純烈の“セクシー担当”である白川裕二郎さん。
この日も入店シーンを撮影する際、フォトグラファーから「カウンターのイスを指でなぞって」と指示されると、目を見張るほど滑らかな指使いを披露。
「僕はダンスがうまくないから、所作で色気を出すように心がけているんです。“俳優座”時代に習っていた日本舞踊が大いに役立ってます」
そう、白川さんは歌手である前に俳優だった。さらに言えば、その前は大相撲の力士だった。けがに悩まされて入門からわずか1年で引退し、俳優に転身したのである。
だが、そこから先は甘くない。戦隊ヒーロードラマに出演するも、俳優としての芽はなかなか出なかった。
「そんな時、リーダーの酒井に出会って指摘されたんです。“うだつが上がらないままでいいのか?”と。
それまでの僕はどこか人生をなめていました。でも、このままでいいはずがない。そう思った瞬間、年老いた母の顔が頭に浮かびました。これまでさんざん迷惑をかけてきたし、親孝行をしたいと思った。
それで“一緒に紅白を目指そう”という誘いに乗り、歌い手として挑戦することを決めたんです」
「“スーパー銭湯アイドル”という地位は目的ではなく、結果なんです」
かくして白川さんは純烈のメンバーに。
だが、路線を変更したからといって成功する保証はない。実際、すぐ後悔することになったようだ。
「売れるうんぬんの前に、歌う場所がなくて。リーダーからはレコード会社もデビュー曲も決まっている、3年ぐらいしたら紅白にも出られるだろうと聞いていたのに、すべて嘘だった(笑)。
ムード歌謡を教えてくれる先生もいなかったから、YouTubeを頼りに見よう見まねで練習して、健康センターのステージに活路を見いだした。そしたら、おじいちゃんやおばあちゃんたちが喜んでくれて、人気者になれた。
“スーパー銭湯アイドル”という地位は目的ではなく、結果なんです」
目的とはゴールであり、達成したらそれで終わる。だが、純烈は“スーパー銭湯アイドル”であり続ける。
1,000人超を収容する「明治座」のような舞台に立ったり、3万円のディナーショーに出演したりする一方、庶民的な銭湯の100人に満たない客の前でも歌い続ける。それが“純烈”だからだ。
「“崩し方”が分かったいま、俳優という山を改めて登ってみたい」
では、ひとりの表現者として、これからどんな未来図を描いているのだろう?
47歳の遅咲きアイドルには無限の可能性がある。次なる夢について、白川さんは言った。
「俳優という“山”を改めて登ってみたいですね。最初から一直線に高みを目指せる人もいるけれど、僕にはそれができなかった。
ただ、純烈として紅白に出場し全国区になれたことで、芸能界に居場所ができた。それを活かしたいです。山を登るルートは、いろいろあっていいと思うので」
確かに。思いがけないルートをたどって視野が広がり、体力や精神力が養われ、己の可能性が高まることもある。
「グループを組んでみて、まさにそう感じました。俳優業は孤独な仕事で、僕はいつの間にか凝り固まった芝居しかできなくなっていたのですが、いまは違う視点からもアプローチできるようになったと実感しています。“崩し方”が分かった感じですね」
そう話す白川さんの目は、よりいっそうの輝きを帯びていた。
「気づいたら大河ドラマに出演しているかもしれませんよ。以前も役をちょうだいしましたが出番が限られていたので、1年をとおして存在感を発揮できるような役者になりたいです」
冗談まじりの話ぶりではあったが、まなざしには自信の色も感じられた。
気だるさや艶っぽさといった独特の情緒を漂わせるムード歌謡は、往年の映画スターによる名唱が誕生したジャンル。つまり、歌い手には豊かな表現力が求められる。
ニューシングル『夢みた果実』のミュージックビデオに登場する白川さんはキザで、非常に妖艶だ。曲中、色っぽい瞳をして「お前どうしてそんなにかわいいの?」と言うせりふも、やけに中毒性がある。
「あれは作曲してくださった幸 耕平先生による罰ゲームなんです(笑)。
初めて紅白歌合戦に出て歌った“プロポーズ”って曲を書いてくれた方で、一見すると強面なんですが、それをテレビで面白おかしくまねしていたら、先生がへそを曲げてしまって。僕におきゅうを据えようと、あの小っ恥ずかしいせりふが与えられました。
そういえば先日、あるライブでイタズラ心を出して、その部分をアドリブで言い換えたんですよ。“お前今日何色はいてるの?”って。
笑いが起こることを期待したのに、客席はシーンって静まり返っちゃった。めちゃくちゃ恥ずかしくて、もう二度とやらないって決めました」
そう話す白川さんはいたく楽しそうだった。目の前の人たちを喜ばせたいという愛情にあふれていた。
その姿勢はまさにアイドルそのものであり、堪らなく惹きつけられたのだった。
■プロフィール
白川裕二郎 1976年生まれ、神奈川県出身。2002年に特撮テレビドラマ『忍風戦隊ハリケンジャー』で俳優デビュー。2007年から歌謡コーラスグループ・純烈のメンバーとして活動。現在、全国ツアー「純烈コンサート2024」を開催中。
■衣装
ジャケット¥33,000、パンツ¥38,500〈ともにネフォロジスト URL:https://nephologist.com/〉、シャツ¥11,990〈アンフィーロ/オンワード樫山 TEL:03-5476-5811〉
▶このほか:JO1が全員集合!仲良しエピソードから垣間見えた、メンバーたちの強い結束力
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東カレに語ってくれた、白川さんが俳優の世界に飛び込んだきっかけとは?
インタビュー前に訪れた、港区のラグジュアリーサウナでの様子もご覧いただけます!
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