2022年に広島県福山市の一般道で、時速120キロでスポーツカーを運転していた30代の医師が、交差点で右折してきた軽乗用車に衝突して当時9歳の女の子を死亡させた事件で、今年6月、広島地方裁判所福山支部は過失運転致死傷の罪に問われた医師に対し、禁錮3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。
執行猶予付きの判決に対し、SNS等を中心に「執行猶予なしでいいでしょ 一般道で120キロは許されない」「理不尽極まりない」など刑が軽すぎるという批判が噴出した。
また、この事故をめぐっては、起訴当初から加害者が「危険運転致死傷罪」ではなく、より量刑が軽い「過失運転致死傷罪」(※)に問われたことを疑問視する声が多く上がっていた。
※人を死亡させた場合、危険運転致死傷罪の罰則が「1年以上の有期懲役(最長20年)」であるのに対し、過失運転致死傷罪の罰則は「7年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰金」である。
なぜ危険運転致死傷罪が適用されなかったのか。そしてなぜ、執行猶予がついたのか。交通事故に多く対応する天野克則弁護士に聞いた。
「危険運転致死傷罪」適用されなかったワケ
自動車運転死傷処罰法では、「アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為」や、「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」を、危険運転致死傷罪の構成要件としている。
高速道路の法定速度も超える“時速120キロ”は「その進行を制御することが困難な高速度」のように思えるが、今回の事件で「危険運転致死傷罪」が適用されなかった理由について、天野弁護士は次のように説明する。
「法律上の『その進行を制御することが困難な高速度』とは、わずかな誤操作で、進行しようとしていた進路を外れてしまい、事故を発生させることになる速度とされており、その判断にあたっては、速度だけでなく、道路状況や車両の性能も考慮されます。
一方で、他の走行車両は考慮しないこととされています。他の走行車両との接触を避けるための進路は、“事前の予測”が困難であり、他の走行車両を考慮すると、過失による事故にすぎない場合も、故意犯として処罰してしまうおそれが否定できないからです。
他の走行車両を考慮しないとすると、性能が高いスポーツカーで直線道路を直進していたのであれば、いくら速度が速くとも、わずかな誤操作で進路から外れてしまうような状況であったとはいいがたいと考えられます。
つまり検察が『その進行を制御することが困難な高速度』とは言えないと判断したか、そうであることの“立証”が難しかったために危険運転致死傷罪ではなく過失運転致死傷罪での起訴になったと考えられます」
執行猶予付き判決は、平等原則から「妥当」
では、執行猶予付き判決はどうか。
報道によれば、裁判官は「被害者側の車が右折する際、直進してくる被告の車を十分に確認しなかったことも結果(事故)に影響を及ぼしているとみることができ、実刑はちゅうちょされる」として、執行猶予付きの判決を言い渡したという。
これに対し天野弁護士は、「判決では、被告人に有利な一事情として挙げられただけであって、仮に右折車に過失があったとしても、そのことだけが執行猶予か実刑かを分けたわけではないと考えられます。私自身も、本件に関しては、裁判例の傾向と一致していることから、判決は妥当であると思います」と話し、その理由について詳述する。
「個別の事件において、合理的理由なく裁判例の傾向から離れることは、平等原則に違反すると考えているからです。また、実質的にも、過失犯については、被告人が反省している場合には、原則として、罰金刑か執行猶予付き判決とすることが相当であると考えています。確かに、人の死という結果は重いです。しかし、結果だけから刑罰の重さを正当化できるものではありません。
たとえば、過失運転致死や業務上過失致死などではない、単純な過失致死罪の法定刑は、50万円以下の罰金だけで、身体刑はありません。運転免許の停止や取り消しなど、交通事故の予防策が他にあるにもかかわらず、自動車の運転についてだけ過失犯の処罰を重くする理由というのはあまりないように思います。
なお、飲酒運転や無免許運転、ひき逃げなどがある場合や、故意で危険運転を行った場合については単純な過失犯とは事情が異なります」
加害者への誹謗中傷「好ましくない」
交通事故の被害者・加害者ともに弁護を引き受けている天野弁護士。近年増加する、報道された交通事故の加害者に集まる誹謗中傷について「好ましくない状況」と感じているという。
「実名報道は、犯人の制裁のためにされるものではありません。複数の報道の関連性を明らかにして、検証を可能にするために行われるものです。
もちろん報道された事件について意見を述べることは自由ですが、その意見に理由があるのか、その理由付けが、他の事件や自分自身に起きた出来事にも当てはまるのかということは、常に吟味する必要があると思います。自分の意見の理由を常に吟味していれば、悲惨な事件の報道に触れても、義憤に突き動かされて誹謗中傷をしてしまうというようなことにはならないはずです」(天野弁護士)
批判の的となる加害者の弁護を引き受ける際、天野弁護士が大切にしているのは「加害者の主体性を回復させること」だという。
「加害者は、刑事手続きの中では“客体”として、つまり取り調べや制裁の対象として扱われます。加害者の弁明は、単なる言いわけとして切り捨てられることが多いです。加害者が捜査機関や裁判所と双方向のやりとりができるようにすることは、弁護活動の目的のひとつだと思っています」(同前)
医師であることやスポーツカーを運転していたことがクローズアップされていた加害者。裁判では「被害者の方にはおわびの言葉しかない。一生をもって償えたら」と語り、日弁連交通事故相談センターに100万円を寄付していたことも分かっている。