杉並・母子死亡事故、元自動車整備士に禁錮3年 実刑背景に「保険未加入」整備事業者の“安全意識”問われる

東京都杉並区で昨年12月、幹線道路に面した自動車整備工場から急発進した車にひかれ、歩道を歩いていた母子が死亡した。東京地裁(今井理裁判長)は19日、車を運転していた元自動車整備士で、過失運転致死罪に問われた漆原宏太被告(51)に禁錮3年の実刑判決を言い渡した。

先月27日に開かれた初公判で、被告人は公訴事実について「間違いありません」と認めており、その日のうちに結審。検察側は禁錮5年を求刑し、弁護側は執行猶予付きの判決を求めていた。

実刑判決とした理由について、今井裁判長は「本人も勤務先の自動車整備工場も保険に加入していなかったことから、結果は極めて重大であるにもかかわらず、いまだ遺族に対する補償がなされていない。本人が反省し、捜査に協力的であるという事情を考慮しても、執行猶予付きの判決とする理由にはならない」と説明した。

被害者遺族「保険に入っていなかったことに驚がく」

事故を起こした車は、車検のために当該自動車整備工場へ預けられていた。被告人は整備した車を試運転するために後退させて出庫しようとしたところ、ブレーキとアクセルの踏み間違いにより時速16kmに急加速。歩道を歩いていた母子をひいて死亡させた。なお、この車のアクセルやブレーキに異常はみられなかったという。

初公判では、亡くなった母子の夫、そして父親である男性の意見陳述も、遺族側の代理人弁護士が代読するかたちで行われた。

男性は被告人へ「悔しさや残念な気持ちはあるものの、事故当初から憎しみや恨みはない」「事故を起こしたことは彼(被告人)の本意でないにせよ、しっかりと罪に向き合って償ってほしい。その後はいち早く社会復帰して、少しでも世の中のためになる行動をしてほしい」と言及。

一方で、被告人と勤務先の自動車整備工場が今回のような事故に備える保険に加入していなかったことなど、安全対策には強い疑問を示した。

「他人の車を預かる以上、ミスがある前提で安全対策するべきだった。その備えであるはずの保険に入っていなかったことに驚がくしている。人通りの多い路面店で平気で車を預かり整備していた、そういう工場は他にもたくさんあるのではないか。国や自治体は、自動車整備会社の保険加入を義務化してほしい」

自動車整備工場の保険加入率は?

今回のような事故に備えて、自動車整備工場が加入する保険にはどのようなものがあるのだろうか。

日本自動車整備振興会連合会(以下、日整連/※1)によれば、「整備事業者が業務上の賠償責任の発生に備える保険としては、当連合会の『自動車整備業賠償共済保険』のほか、各損保会社が取り扱う『整備受託自動車保険特約』等がある」と説明する。

※1 自動車整備工場等を会員とする一般社団法人の自動車整備振興会(都道府県ごとに組織)等から構成。道路運送車両法第95条に基づく全国的な公益団体

初公判で遺族が触れたように、整備事業者の保険加入は現状として義務化されていない。今回の事故のように往来が多い通りに面した整備工場もあり、安全対策としてどのくらいの事業者が保険加入しているのか気になるところだ。

日整連は「自動車整備業賠償共済保険」の加入状況について、「今年5月末現在で2万6608事業場が加入しています。同時点における各都道府県の自動車整備振興会の総会員数は8万3904事業者であり、会員事業者数と事業場数はイコールではないため正確な計算はできないものの、会員のうち3割程度が加入しているものと推定されます」と明かす。

もし整備事業者が保険加入していなかった場合などに、整備士個人が加入できる保険はあるのだろうか。

自動車整備業賠償共済保険の引受損害保険会社によると、「整備事業者が業務として行っている整備作業(納車や引き取りなども含め)に伴う賠償責任については、一般的には使用者である事業者に帰結するものとなります。したがって、今般の事故のようなケースにおいて、整備士個人向けの保険は基本的にありません」とのことだった。


日整連「自動車整備業賠償共済保険」の補償範囲(日整連サイトより)

従業員による業務中の不法行為、責任の所在は?

損害保険会社が指摘するように、一般的に整備事業者が業務として行っている整備作業に伴う賠償責任は、使用者である事業者に帰結するものだ。しかし判決によれば、被告人の勤務していた自動車整備工場は遺族に賠償金を支払っていないという。

民法715条には、従業員が業務中に起こした不法行為の責任を雇用主である会社が負う「使用者責任」(※2)について定められているが、同様のケースにおいて、会社側は当然に賠償金の支払い義務を負うものではないのだろうか。

企業法務に詳しい青沼貴之弁護士は「雇用主(使用者)が民法715条第1項(※2)の責任を負うためには、従業員(被用者)の問題となった行為が『事業の執行について』なされているか否かという点が特に問題になります」と説明する。

※2 民法715条第1項:ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

「『事業の執行について』なされたか否かについては、問題となった行為の外形に着目して、社会通念上、雇用主(使用者)の事業範囲に属するか、そして当該従業員(被用者)の職務範囲に属するかという2段階で判断されます。

なぜなら、民法715条の趣旨は、①雇用主(使用者)は従業員(被用者)を働かせることによって利益を得るため、その職務行為について責任を負わせるのが公平に資すること(報償責任の原理)、②事業に伴う危険が現実化した場合には雇用主(使用者)が損害を賠償すべきであること(危険責任の原理)にあるためです。また、従業員(被用者)の職務行為の外形に対する被害者の信頼を保護する必要もあります。

本件で、被告人は従業員(被用者)として整備作業や試運転を行っており、その過程で事故が発生しています。したがって、職務行為の外形から見て、雇用主(使用者)の事業範囲に属するとともに、当該従業員(被用者)の職務範囲に属するといえ、『事業の執行について』なされたものと判断される可能性があると考えられます。

ただし、雇用主(使用者)が従業員(被用者)の選任・事業の監督について相当の注意をしたとき、または相当の注意をしても損害を避けられなかった場合、雇用主(使用者)側は責任を負いません(民法715条1項但書)」(同前)

保険未加入の場合、賠償金の支払いはどうなる?

今回のように自動車整備工場が保険に加入しておらず、事故を起こした車が顧客の持ち物でその保険も適用できない場合、被害者への賠償金はどこから捻出するのだろうか。

青沼弁護士によれば、損害賠償の具体的な金額を計算し、被告人(被用者)または雇用主(使用者)に請求することになるという。

「まず被告人(被用者)に請求する場合、損害賠償の金額が高額であり、本人の支払能力から一括で支払えないケースが多くみられます。そのような場合には分割での支払いも検討することになるでしょう。

他方、前述のように民法715条第1項の要件を満たして雇用主(使用者)に請求したとしても、支払われない可能性もあります。その場合は、訴訟手続において勝訴判決を得た上で強制執行することも考えられますが、実際には訴訟手続の中で、被害者と雇用主(使用者)との間で和解したうえで、一括または分割で支払ってもらうケースの方が多いように思われます。

したがって、被告人(被用者)または雇用主(使用者)の支払能力、支払意思、損害賠償額の多寡等によって、回収可能性はまったく異なるということになります」(青沼弁護士)