「SNS上での不適切な投稿」を理由に4月に弾劾裁判で罷免された岡口基一元判事に対して行われた退職手当の不支給処分(4月19日付け)に対し、岡口氏が法律上の不服申し立ての手続きである「審査請求」を行ったことが分かった(7月9日付)。
審査請求書に記載された「退職手当不支給処分」の内容、および不服申し立ての内容からは、一般国民にとっても他人事として見過ごしにできない重大な問題が浮かび上がる。
最高裁に対し処分の「再考」を求めるもの
審査請求は、行政不服審査法(以下「行審法」)が定める不服申し立ての手続きである。
岡口氏は、退職手当不支給の処分を行った「処分庁」である最高裁判所に対し、審査請求を行っている。
審査請求は、基本的には処分庁より上級の行政庁に対して行うものである(行審法4条4号参照)。その趣旨は、客観的かつ公正な判断を得るためである。
しかし、処分庁が最高裁判所のように最上級行政庁である場合には、処分庁に対して行うほかない(同1号参照)。つまり、処分の是非について審査を行う「審査庁」が「処分庁」と一致することになってしまうが、他に手段がなく、やむを得ずこのしくみがとられている。
その意味で、岡口氏の審査請求は実質的に、最高裁判所に対し、不支給処分の「再考」を求めるものといえる。
岡口基一元判事(弁護士JP編集部撮影)
「退職手当不支給処分」が「違法」となる場合とは
退職手当不支給処分は、行政手続法に定められた「不利益処分」(同法2条4号)にあたる。不利益処分については行政庁は処分基準を公にする努力義務がある。また、不利益処分を科す場合には理由を付記しなければならない(同法14条)。
岡口氏に対する退職金不支給処分について、これら必須の要件が充たされているだろうか。
まず、「処分基準」については、法律・政令により公表されている。すなわち、裁判官を含む国家公務員の退職手当については「国家公務員退職手当法」という法律がある。そのなかで、「懲戒免職等処分を受けた場合等の退職手当の支給制限」の定めがおかれている(国家公務員退職手当法12条)。同条によると、退職手当管理機関(本件では最高裁判所)は、以下の事情を勘案して、当該一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができると定めている。
・職務および責任
・非違行為の内容および程度
・非違行為が公務に対する国民の信頼に及ぼす影響
・その他の政令で定める事情
これを受け、「その他の政令で定める事情」として、国家公務員退職手当法施行令(以下「施行令」)17条が以下のとおり定めている。
・職務および責任
・当該退職をした者の勤務の状況
・非違行為の内容および程度
・非違行為に至った経緯
・非違行為後の言動
・非違行為が公務の遂行に及ぼす支障の程度
・非違行為が公務に対する国民の信頼に及ぼす影響
したがって、退職金不支給処分を行う場合には、これらの要素を考慮に入れて判断されなければならず、かつ、理由付記が求められる。
岡口氏が主張する「理由不備の違法」の重大性
では、本件では「適法な理由付記」が行われたといえるか。
理由付記については、判例において、処分の根拠となる法令の条文のみならず、処分の原因となる事実関係を示さなければならないとされている(最高裁昭和38年(1963年)5月31日判決、最高裁昭和60年(1985年)1月22日判決等参照)。
不利益処分の場合にはそれに加え、根拠となる法律と処分基準の適用関係を示す必要があるとされている(最高裁平成23年(2011年)6月7日判決等参照)。
つまり、具体的な事実を示したうえで、それがなぜ法令の基準に当てはまるのかを示さなければならないということである。
この点について、岡口氏の審査請求書の記載によると、最高裁は、不支給処分の理由を「裁判官弾劾裁判所から罷免の裁判の宣告を受けて罷免された」こととしている。
そして、「処分書」では「国家公務員退職手当法施行令17条で定める事情に関し勘案した内容についての説明」として、岡口氏が「裁判官弾劾裁判所から、次の行為につき裁判官弾劾法第2条2項を適用して罷免する旨の判決を受けた」として、その「行為」を記載しているという。
これに対し、岡口氏は、以下のとおり主張している(以下、岡口氏の審査請求書より引用)。
「単に、弾劾裁判所の判決の対象となった行為が記載されているのみであり、最高裁判所長官が、同行為をどのように評価し、また、上記柱書(※)に列挙された諸事情をどのように勘案して、その結果、いかなる理由で、退職手当の全部を不支給としたのかが何ら記載されていないから、上記処分がされた理由は何ら記載されていないに等しいといわざるを得ない」
※国家公務員退職手当法12条1項
岡口氏は、最高裁の「理由付記」が、「岡口氏が行為を行ったこと」とそれに基づいて「弾劾裁判で罷免の判決を受けたこと」の記載にとどまっていることを批判しているといえる。
つまり、行為の記載にとどまり、「行為に対する評価」や、「行為と法令所定の事情がどう結びつくか」などの論証がされていないとの主張である。
最高裁判例の理屈に従えば、理由付記の不備があり、退職手当不支給処分は「違法」ということになる。これは、最高裁が法令と、みずから設定した法解釈ルールである判例に違反しているのではないかという指摘を行っているにほかならない。
すべての国民が「不利益処分」を受ける可能性がある
このことは重大な問題といえる。つまり、すべての国民が行政による「不利益処分」を受ける可能性がある。たとえば、許認可や免許の「取り消し」、何らかの行為に対する「禁止命令」、金銭の「納付命令」などである。そして、たびたび報道されるように、行政機関は誤りを犯し違法な「処分」を行うことがある。しかもその違法を是正するには、長い年月を要することもある。
そのようなリスクをはらむ「不利益処分」に、もし「理由付記」さえきちんとなされていなかった場合、私たちは重大な不利益を被ることになりかねない。
また、法の番人である裁判所が、理由付記に関する法令・判例のルールを遵守しなかった場合、法治主義はなし崩しになるおそれがある。
岡口氏は、最高裁に対し、最高裁自身が行った不利益処分ないし「理由付記」の適正性について、納得のいく説明を求めているといえる。これに対し、最高裁はどのように応えるのか。対応を誤ると、行政側に「理由付記はこの程度でよいのか」という悪しき先例を作ってしまうことになりかねない。すべての国民の利益にかかわる問題であるといえる。
最高裁に対し事実上「弾劾裁判の判決」の是非の判断を迫るもの
岡口氏は、理由付記の不備という「手続き上の違法」に加え、「非違の内容及び程度が、退職手当の全部を不支給とするに足りるものとは到底認められない」という「実体上の違法」も主張している。
本件で岡口氏の罷免を行った懲戒権者は弾劾裁判所である。弾劾裁判所は国会議員により組織された「特別裁判所」である(憲法64条参照)。つまり、罷免の理由となった弾劾事由については、職業裁判官による審査は行われていないということである。
したがって、単に岡口氏の行為の列挙と、弾劾裁判で罷免された事実の指摘だけでは、先述した国家公務員退職手当法12条1項・同施行令17条の処分基準に挙げられた各要素の審査としては不十分といわざるを得ないことになろう。あくまでもそれらの法令の処分基準に該当しているか、各要素をどの程度みたしているかの「実体」の審査が要求されることになる。
なお、「実体の問題」については5月10日公開の武蔵野美術大学・志田陽子教授へのインタビュー記事を参照されたい。
また、それに先立ち、裁判所内部での懲戒処分はすでに行われている。岡口氏は「分限裁判」にかけられ、「戒告」の判決を受けている。また、分限裁判の判決には「戒告」と「1万円以下の過料」があるが、あえて軽いほうの「戒告」にとどめられている。そのことと、退職手当の不支給という、老後の生活の糧を奪いかねない重大な効果をもたらす処分との整合性も問われよう。
このように、岡口氏の審査請求は、単に最高裁に対し処分の「再考」を求めるのみならず、最高裁自身が行った処分が法の要件や判例に則っているか、つまり最高裁の「法の番人」としての役割の検証を迫るものであり、その意味で一般国民にとっても決して他人事ではない。最高裁がどのような判断を下すかが注目される。