スーツ姿のサラリーマン、大学生、自営業の男性…。職業も年齢もバラバラの彼らが平日夜、東京都心にある駅前の病院に集まる目的は「痴漢外来での治療」を受けることだ。
再犯率がも高い痴漢は「犯罪」であると同時に、その一部は「性的依存症」という病でもあるとされている。本連載のテーマは、痴漢外来の治療プログラムを担当する心理学者が、研究および臨床経験を通して見た痴漢加害者の実態だ。
第4回目は、痴漢外来を含む性的依存症の治療モデルについて見ていく。
※ この記事は、筑波大学教授・保健学博士の原田隆之氏による書籍『痴漢外来 ──性犯罪と闘う科学 』(ちくま新書、2019年)より一部抜粋・構成。
性的依存症の治療モデル
性的依存症の治療モデルとして、かつては精神分析が中心であった。精神分析では性的依存症を含め、われわれ人間の不適応行動の背景には、幼少期の抑圧された葛藤やネガティブな体験(被虐待体験などのトラウマ)があると考える。そして、その解決こそが治療であるとの前提に立ち、治療のなかで過去の体験などを想起させ、無意識のなかに抑圧された葛藤を意識に浮かび上がらせて、その解決を図ろうとする。
精神分析的治療は、かつてはあらゆる心理的、行動的問題の治療として、代表的なものであった。しかし、病気の原因に対する考え方や前提に誤りがあるうえ、メタアナリシス(編注:複数の先行研究の結果を統合し分析すること)では、治療効果のエビデンスがほとんど見出されていない。
ドイツの心理学者アイゼンク(Hans Eysenck)は、いち早く1950年代から精神分析を批判し、「フロイト帝国の没落」(編注:フロイトは精神分析の創始者)を予言したが、現在はまさにそのとおりのことが起こっている。
リスクファクターと治療
精神分析に代わって、現在あらゆる心理的問題に対する治療の第一選択肢となるのは、認知行動療法である。性的問題行動の治療においても、それは例外ではない。その最も初期には、認知行動療法のなかでも、より行動面に重きを置いた行動療法による治療が、欧米では盛んに行われていた。行動療法とは、研究によって導かれた人間行動の原則にしたがって、不適応的な行動の修正を図る治療法である。
たとえば、不適切な性的ファンタジーや性行動に対し、不快な刺激を与えることで、それらを徐々に抑制していくというシンプルな方法が取られる。小児性愛者であれば、子どもに対する性行動のファンタジーを想起させ、そのあと電気刺激や臭気などの不快刺激を呈示する。
これまで本人は、子どもに対する性的ファンタジーのあと、マスターベーションをしたり、実際に性行動に出たりして、性的快感を得て、その性的ファンタジーや行動が強化されていたわけである。しかし、治療においては、快感ではなく、意図的に不快な刺激を繰り返し与える。それによって、ファンタジーと不快な状態を結びつけ、その結果、問題のある性的行動を抑制しようとする。
あるいは、適切な性的ファンタジー(大人の女性との親密な恋愛に基づく性行動など)によってマスターベーションをさせ、すでに性的欲動が減退した状態で、今度は不適切な性的ファンタジー(子どもとの性行動など)を想起しながら、さらにマスターベーションを続けさせる。そして、嫌というほど何度も繰り返しマスターベーションをさせ、性的飽和状態に置く。これも言ってみれば、不快な状態であるので、それを繰り返すことによって不適切なファンタジーに対する性的興奮が湧かないようにするのである。
しかし、純粋に行動的な介入だけでは効果は限定的であり、本人の態度、期待、価値観、感情などの認知的要因や情緒的要因にも働きかける必要があることが、次第に明白になってきた。つまり、それは第3回で述べたリスクファクター ―― そのなかでも「変えられる」要因 ―― を標的にした治療である。
具体的には、女性や子どもに対するゆがんだ認知の修正を図ったり、不適切な性的価値観や対人関係の持ち方を改めたりする。さらに、ストレスやネガティブな感情への適切なコーピングなどの学習をさせる。このように、多様な治療的要素を組み込むことが有効であるということから、治療の軸足は認知行動療法へと移っていったのである。