今放送されているNHK連続テレビ小説『虎に翼』は、物語のはじまりに「憲法」の条文が読み上げられ大きな反響を呼びました。
日中戦争や太平洋戦争という悲惨な戦争を体験した日本が、戦後、「平和な国になろう」という決意を込めて制定した「日本国憲法」は、平和憲法とも呼ばれています。
先人たちの作った憲法を大切にしていくべきとする意見がある一方で、時代に合わせて変えるべきだとする意見もあります。憲法はどうあるべきか、それぞれが自分自身で考えていくために知っておきたい「基礎知識」を、ジャーナリストの池上彰氏が解説します。
※この記事は、池上彰氏の著作『知らないではすまされない日本国憲法について池上彰先生に聞いてみた』(学研)より一部抜粋・再構成しています。
「その国らしさ」は憲法に表れる
憲法と聞くと、思わず居住まいを正すような、重々しく厳粛なものというイメージがありますが、これは無理もありません。憲法とは、さまざまな法律の上に位置する「法律の親分」であり、さらにいえば、その国のかたちを決めるものだからです。
日本では、かつて明治維新を迎えて近代国家へと歩みはじめたときに大日本帝国憲法が制定され、第二次世界大戦で敗戦国になったのち、現在の日本国憲法ができました。
現代においても、国を再建するにあたり、まず取り組むのは憲法の制定です。それは政権が崩壊したアフガニスタンやイラクの例を見ても明らかです。
日本国憲法は、第1条で天皇を「日本国の象徴」と定めて主権は国民にあるとし、第9条で戦争放棄を定めています。つまり、日本は国民主権で、戦争をしない平和主義の国であるという基本的な「かたち」を、憲法が定めているわけです。
憲法で国民主権を定めている国は多いですが、世界はそうした国ばかりではありません。
中国や北朝鮮の憲法(これらの国にも憲法はあります)を読むと、国民の上に中国共産党や朝鮮労働党が位置しており、憲法の解釈権も党が握っていることがわかります。
したがって、憲法に明記された国民の権利が実際は保障の限りではないのが中国や北朝鮮の実情です。
このように、憲法はその国の「かたち」を定めるとともに、そこからは「その国らしさ」を見てとることができます。
憲法に国民の権利ばかりが書かれているのはなぜか?
憲法は「法律の親分」だと述べましたが、じつは憲法と法律には大きな違いがあります。
それは、法律は国民が守るべきものであるのに対し、憲法は国会議員や官僚、裁判官、公務員といった権力側の人たちが守るべきものだという違いです。
憲法には国民の権利ばかり書かれていて義務について書かれていないといわれますが、これは当然です。国民の権利を権力者がきちんと守るために定められているのが憲法だからです。
このような憲法の考え方のベースにあるのは、17世紀に登場したイギリスの思想家ジョン・ロックの社会契約説です。
人間はもともと自由で平等、平和であり、そうした生まれもった自然権を確かなものとするために、人々はその権利の一部を代表者である政府に委託する。そして政府が権力を乱用することがあれば、人々は政府を変える権利をもつ、というのが社会契約説です。
そのジョン・ロックが活躍した時代、イギリス国民は国王ジェームズ2世の身勝手によって苦しめられることが多く、これに怒った議会は国王を追放し、「権利の章典」を制定しました。こうした経緯を経て、近代ヨーロッパの憲法はできあがっています。
このように国家権力を制限する憲法によって政治をおこなうことを立憲主義といいます。日本の憲法もまた、立憲主義に基づいています。