藤田シェフがパン職人になるきっかけは?

会社員だった頃、自宅から会社までスクーターで通っていた井の頭通り沿いにお店ができ、気になって立ち寄ったのが今でも富ヶ谷にある自家製酵母と国産小麦を使ったパン屋「ルヴァン」でした。

試しに買って食べてみたら酸っぱいし硬いし旨くはないなあと思いました(笑)。

その頃流行っていたのはチェーン店の甘くてやわらかいパン。

でも、月1ペースで会社帰りにコンプレ、カンパーニュ、クロワッサン、マフィンなどいろいろな商品を食べ続けたら美味しく感じてきて通う頻度が月2→週1と増え、思い出したらもう食べたくて仕方ない中毒状態に。

あるとき、車で仕事場まで行く際にどうにも具合が悪く、でも薬を飲む前に何か口にしなければと「ルヴァン」のチーズパンを食べながら現場に到着すると「あれ?ふらつかないし薬も飲まなくてもいいくらい元気だ!」と回復していました。

またその頃、体調を崩して2週間ほど入院生活を送り、退院時には食事制限もなくなり「食べたいものが食べられる!」と意気揚々と街に繰り出したものの何を見てもさほど食べたいと思えない自分に驚き、人間の生活に大事な『衣・食・住』の「食」に対する自分の根本が定まっていないことに気づきました。

この状況下で「ルヴァン」のパンを思いだしたのです。

『単にパンが好きなのではない、パンを作る人になりたいのだ』

『人に何かしらいい影響を与えられる人になりたい、与え続けるものを作りたい』

導かれるようにパン屋になることを決めました。

「ルヴァン」の甲田シェフの作るパンは前述のとおり最初の一口から「美味しい」とはならなかったのですが、その味に慣れてきた頃に気づいたのです。

あのパンは『語る』のだと。

食べるとはどういうことなのかを考えさせられるのです。

甲田さん自身は飄々として優しくて多くを語らない代わりにパンが語ってきます。

「ルヴァンに入りたい!入りたい!」とお店に通ったけれど人気店のため従業員は足りていると言われ撃沈。

諦められず会社を辞めてお店に通っていたら、当時店長だった中島孝一さんに「長野県に面白いレストランがあるからそこに行ってみたら?」と紹介されたのが長野県原村にある「カナディアンファーム」でした。

ここは中島さんがルヴァンに来る前に居候していたお店で、1982年の創業時から有機農法とサスティナブルな生活を目指していて、薪窯でパンを焼きハンバーグなどの料理も出しています。

オーナーの長谷川豊さん(通称ハセヤン)から「平日に若い男が仕事もせず何をブラブラしているんだ?」と聞かれここに来た経緯を説明すると「じゃあ、うちでパンを焼けばいいじゃん」と言われてそのまま住むことに。

「どれだけここで働く気?」との問いに「2年です!」と勘で言いましたが実際2年で焼けるようになり出身地の金沢へ戻りました。

1998年、今とは別の場所に「ラ・フィセル」という名前でパン屋を開店。

その後、2005年に今の場所に移転し「パン屋たね」として再オープン。

地元の皆さんに支えられ、今年の3月で19周年を迎えました。

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店名の由来

いくつか意味があるのですが、

・パンはパン種(酵母)をちゃんと管理して膨らませて商品になっていくもの。“パンの種”が基本であること。

・今のお店の場所は当初は畑でした。紹介された時には更地でしたがいくつか候補地を見た時にこの土地だけ建物の姿が思い浮かんだのです。

7年テナントでやってきて得た成果、失敗なども含めた経験を一つの“種”にしてこの地に蒔くイメージが見えました。

・私の作るパンをお客様が家に持ち帰った時に家族皆で分かち合ったり、喧嘩していたとしてもパンが仲直りのきっかけになったり、パンを通じて私や接客を担当している妻がお客様と会話を楽しむ“種”になってくれるように。

などですね。