エアコンの設定温度でケンカに…。夏のお家デートで露呈した、29歳男の本性

東京に点在する、いくつものバー。

そこはお酒を楽しむ場にとどまらず、都会で目まぐるしい日々をすごす人々にとっての、止まり木のような場所だ。

どんなバーにも共通しているのは、そこには人々のドラマがあるということ。

カクテルの数ほどある喜怒哀楽のドラマを、グラスに満たしてお届けします──。

▶前回:「俺ってズルいのかも…」27歳男が、10歳上の女の魅力にハマった理由

Vol.8 <モヒート> 重谷快利(シゲヤカイリ)(29)の場合



真夏の日差しが差し込む11時の部屋は、まるでサウナのように蒸し暑い。

体に張り付くリネンのブランケットを無意識に跳ね飛ばした快利(カイリ)は、寝ぼけた頭でようやくその理由を理解した。

快利の腕に巻き付き寝息を立てている、半裸の女の姿…。

素肌が触れ合うぺったりとした感触に不快感を覚えた快利は、そっとその腕を外してベッドから降り、19度に設定したエアコンの運転ボタンを押す。

普段ならつけっぱなしのエアコンが切れていたのも、きっとこの子がやったのに違いない。

ゴウゴウと冷たい風を全身に浴びてようやく目が覚めてきた快利は、小さくため息をつき寝室を出る。

リビングにもエアコンの冷気を満遍なく行き渡らせるため、高い天井のシーリングファンを回すと、快利はコーヒーメーカーのスイッチを入れた。

― あぁ〜、今日も暑くなりそうだな…。

抽出されたコーヒーにロックアイスを放り込んでいた、その時だった。

ブランケットを羽織った女が髪をかきあげながら、開きっぱなしの寝室からのそのそと出てきて快利に声をかける。

そして、おもむろにエアコンのスイッチを切って言った。

「おはよぉ、カイリ。てか、エアコン寒くない?あたし冷え性なんだけど」

けれど快利は、すぐにもう一度スイッチを入れて言い返す。

「じゃあ出てけば?俺は暑いの苦手なんだわ」

「はあ…?」



「なにその言い方。ひどくない?」

「えー、そうかな。ひとんちに来といて空調勝手に弄るのもひどくない?…てかごめん、キミ名前なんだっけ?」

「…うっざ。ありえないんですけど…!」

よほど腹を立てたのか、女は怒りで顔を赤くしながら手早く服を身につけ、大きな音を立てながら部屋から出ていく。

しかし、快利は全く気にせずにひらひらと手を振る。

「バイバーイ。俺のモットー、去るもの追わず…ってね」

そしてハッと真剣な表情を浮かべたと思うと、ひとりつぶやくのだった。

「…待てよ?冷蔵庫にビールあったよな。このコーヒー、この前教えてもらったカフェ・コン・セルベッサにしちゃおっかな!」

剥き出しの不機嫌をぶつけられても飄々としていられるのは、快利にとってはこういった出来事が、ごくありふれた日常の風景だからだ。

慶應SFC在学中に立ち上げたIT関連の会社を、27歳の時にバイアウトしてから2年。投資が順調なこともあいまって、はっきり言って快利の生活は悠々自適だ。

ひとり気ままな生活を送る分には十分すぎる財布事情なため、正直なことを言えば、働く必要性も感じていない。

それでも表参道で小さなアパレルブランドを経営しているのは、「ファッションが好き」という半ば趣味の気持ちと、“ある人”に勧められたからという理由が半分。

そしてなにより、快利が何よりも、人と関わり合うことが好きだからなのだった。

気の合う仲間たちと遊びのようにビジネスを営み、夜は毎晩のように飲み歩く。気心知れた仲間だけで騒ぐのも好きだし、バーやクラブで出会ったばかりの、名前も知らない人たちと仲良くなるのも大好きだ。

当然今朝のように、名前も知らない女の子と一夜を共にすることも珍しくない。

けれど、人間も女の子も大好きなのにもかかわらず…特定の恋人を作る気は、これっぽっちも無いのだった。

― だって女の子って、可愛くて楽しいけど…めんどくさいんだもんなぁぁ〜…!

見よう見まねで作ったカフェ・コン・セルベッサを味わいながら、快利はふとベランダの外に目をやる。

代々木の閑静な街並みが広がる低層マンションのベランダには、所狭しと鉢植えが並んでいて───そのほとんどが葉をカラカラに枯らし、土を渇ききらせていた。

たった1ヶ月サボっただけで、植物がこうなってしまうのだ。もっとマメに手をかけ、愛情を注がなくてはならない女の子なんて、快利にはとうてい荷が重すぎる。

― 仕事だってめんどくさいのに、真面目に女の子の相手するなんてマジでムリムリ(笑)。…それができなくて、9年付き合ったアイツにも見限られたんだから。

ベランダの土よりも乾ききった笑いを浮かべると、快利はチラと時計を確認する。

時計の針は、すでに11時半だ。13時に店をオープンさせるためには、代々木から表参道までそう遠くはないとはいえ、そろそろ出かける準備をしなくてはなけない。

快利は、枯れ果てたベランダガーデニングを見てチクリと痛む心を吹っ切るように、手元のグラスを一気に飲み干す。

そして、空になったグラスを食洗機に放り込むと、自分の心に何枚もの鎧を着こむために、クローゼットへと向かった。

ショップでの1日の業務をどうにか終えた快利は、張り付いたような笑顔を浮かべていた。

「え〜でもさでもさ、カイリくんって自分でブランド持ってるの、超〜カッコいいよねー!」

「いや〜、そうかな?まあ楽しいこともあるけど、めんどくさいことのほうが多いよ」

「ええ〜そうなのぉ?でもでも、ウチはカイリくんめっちゃすごいと思う!だって、ウチの元彼なんてね…」

渋谷の雑居ビルの中にある小さなカウンターバーは、きっと観光客用なのだろう。ときおり炎や金粉などを駆使したフレアバーテンダーの真似事のようなパフォーマンスを披露しながら、毒にも薬にもならないようなカクテルを提供している。

隣に座ってひっきりなしに元カレの悪口を言っているのは、たしか、TikTokでインフルエンサーをしているニナちゃん…とか言っただろうか?

閉店間際の20時にカイリの店に飛び込んできたまま意気投合し、ニナちゃんのオススメだというバーに流れてきたものの──。

延々と続く身のない話と、騒がしい店内。そしてなにより効きの悪い空調に、快利は珍しく苛立ちが募るのを自覚する。

― あ〜…。やっぱ女の子って、めんどくせぇな〜…。

いつもなら、アルコールさえ入ればどんな話でも楽しめるはずなのに。

そうならないのは今朝、ひさしぶりに“アイツ”のことを思い出してしまったこともあるのかもしれない。

― なんでだろう。アイツ…由紀には、こんなふうにイライラすることなんて、全然なかったな…。

由紀。

それは、快利が長年付き合っていた元恋人の名前だ。

大学で同級生として出会い、9年もの時を一緒に過ごした由紀は、アパレル経営の背中を押してくれたその人でもある。

自由奔放な快利の気質についに愛想をつかしてしまったのか、1ヶ月ほど前に突如別れを突きつけられてしまったものの、由紀は一緒にいた9年の間、快利の前ではつまらない愚痴など一切吐くことはなかった。

物静かでありながら、いつも優しい笑顔を浮かべ、どんなときでも快利のことを応援してくれた由紀。

彼女のことを思うと快利の胸には、いてもたってもいられないようなムシャクシャした感情が湧き起こる。

ましてこの、妙に生ぬるい雑居ビルの地下の小さなバーでは、その行き場のない苛立ちは増幅するばかりだ。

汗ばむシャツ。

上滑りする会話。

ため息のような空調。

名前も定かでない女の子──。

押し寄せる不快感のなかで、快利ははたと思いつく。

この、立ち込める暗雲のような気持ちを払拭する、たった一つの方法は…。

― そうだ。こんなときこそ、モヒートを飲めばいいんだ。



モヒートは言わずと知れた、キューバはハバナ発祥のロングカクテルだ。

砂糖とライム、たっぷりのミントをつぶして、氷とラムと炭酸水を注ぎ入れた爽快感あふれる味わい。

年間を通じて30度近い気候のキューバのレシピというだけあり、暑がりな快利はハタチを超えてからというもの、猛暑のたびにモヒートの爽快感に救われてきたのだった。

ニナちゃんのオススメだというシロップのように甘ったるいトロピカルカクテルを急いで空にすると、快利は今の苦痛から逃れるために、慌ててモヒートを注文する。

「はい!モヒート、かーしこまりました〜」

南国の鳥のようなカラフルな髪色のバーテンダーが、浮ついた返事とともに、目の前で手早くモヒートを作っていく。

― そうそう、これこれ!

きっと、さっぱりとしたモヒートを飲んだら、こんなモヤモヤした気持ちは吹き飛ばすことができる。

まるで未練みたいなベタベタしたみっともない気分は、どこかに消えてしまう。

快利の気持ちを汲み取ったのか、特にパフォーマンスもなく思いのほかキチンとしたモヒートが提供されたことにホッとした快利は、安心してグラスに口をつける。

けれど、次の瞬間。一口モヒートに口をつけるなり、快利は思わず眉をひそめた。

「ん…?美味いけど…これ、本当にモヒートか?」

うるうると瞳を潤ませながら、ニナちゃんが膝の上にそっとその手を乗せてくる。

「カイリ。なんか変な顔してるけど、どうしたの〜?」

けれど快利はそんなことには全く気にも留めず、たったいま出されたばかりのモヒートのグラスを凝視した。

南国の鳥のようなバーテンダーは、たしかにきちんとモヒートを作っていた。

グラスにブラウンシュガーを入れ、ライムを絞る。生のミントをたっぷりと加え、ペストルでつぶす。グラスを満たさんばかりのクラッシュアイス入れたら、ラムと炭酸水を注いでステアし、ミントを飾る…。

― それなのに、どうして…?

どうして、由紀が自宅でよく作ってくれたモヒートと、ここまで味が違うのか。

解決しようのない混乱に放り込まれた快利は、じわじわと水滴が浮かび上がるグラスをじっと見つめる。

そして、ハッとあることに気がついたかと思うと──。

「えっ、ちょっとカイリ!どぉしたの?なんでニナ置いたまま帰っちゃうの?」

そう騒ぐニナちゃんを放ったらかしたまま、弾かれるようにして小さなバーから駆け出していくのだった。

バーを出た快利がタクシーに飛び乗って向かった先は、代々木の自宅マンションだ。

今朝、名無しの女が出て行った時と同じくらい大きな音を立てて、玄関に駆け込む。そして慌ただしく靴を脱ぎ散らかしたまま、快利はベランダへと転がり出た。

4畳ほどのベランダにひしめき合う、枯れ果てた鉢植えたち。

どれもこれも快利が欲しがった観葉植物だが、結局すぐに飽きてしまう快利に代わって、由紀が世話をしていたものだ。

ひと月前に由紀と別れてからは、鉢植えを見ることすら未練がましいようで気が乗らず、遊びに興じて無視している間にこんな有様になってしまった。

けれど、そんなディストピアのような景色のなかで──たったひとつだけ、青々と生い茂っている鉢がある。

出しっぱなしでザラザラとした感触になったクロックスに足を突っ込み、快利はゆっくりとその鉢に一歩ずつ近づき、確信した。

― ああ、やっぱり…!

鉢に生い茂っているのは、ミントだ。それも、ギザギザとした形の葉の。

『カイちゃんは普通に使うスペアミントじゃなくて、ペパーミントのモヒートが好きでしょ?この近くではあんまり売ってないから、もう自分で育てちゃおうと思って』

そう言って由紀がペパーミントの種を買ってきた時、自分はなんて返事をしただろうか?

全く思い出すことができない。きっと、長年の付き合いの末にそうしていたように、生返事で受け流してしまったのかもしれない。

だけど…由紀が目の前から消えてしまった今、これだけは快利にも理解することができた。

さっき店で飲んだモヒートは、おそらくスペアミントで作られたものだったこと。

そして、由紀がどれだけ自分を大切にしてくれていたのかということと──。

自分がどれだけ由紀を大切にできていなかったかということが。

ミントは生命力が強く、ちょっとやそっとのことでは枯れることがないという。

きっと、夏の雨を頼りに、しぶとく生き抜いて来たのだろう。

どれだけ目を逸らしても、どれだけ無視し続けても、青々と葉を茂らせつづけてきた。

そんなミントを見ていると快利は、自分でも気づかなかった気持ちを突きつけられているような気がするのだった。

― なんか…。どうして居なくなっちゃったのかわからないのに、めちゃくちゃ気持ちも未練もあるのに、「去るもの追わず」とか言ってビビってるのって…すげーダセぇよな…。

「なあ。やっぱり俺、どうしてもペパーミントのモヒートが好きだからさ。…かっこ悪くっても、もう一度すがってみても、いいのかな」

荒れ果てたベランダでひとり、快利はペパーミントの鉢に向かって話しかける。

その手には、快利が初めて「大好きだ」と気づいた自家製のペパーミントのモヒートのグラスと、1ヶ月ぶりにかける通話の画面が光っていた。

7月の夜風は生ぬるいけれど、不思議と不快感はない。



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※公開4日後にプレミアム記事になります。

▶1話目はこちら:国立大卒の22歳女。メガバンクに入社早々、打ちのめされたコト

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9年間もの間、献身的に快利を支え続けた由紀。何も言わずに彼の元を去った理由は…