朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。
今回は前回に引き続き、違法パチスロ店「闇スロ」で稼働していた経験のある加藤修さん(仮名・45歳)が歩んできた壮絶な人生の後編をお届けする。
加藤さんは高校中退後、内装業を経てパチスロに出会い、やがて夜はボーイ、昼はパチスロという生活を始めた。鹿児島から東京、そして宮崎へと移住。パチプロとして大きな利益を上げるが、闇スロに出会ったことで人生が大きく変わっていくことになる——。
◆店のクセを見抜いて立ち回る
加藤さんが稼働していた当時、宮崎市内には全部で4軒ほどの闇スロが営業していたという。しばらくの間、往時を懐かしんで4号機を打ち込み、気がつけば1か月でマイナス30万円になってしまった。
「勝てないことに腹が立ってさ、それぞれの店の“クセ”を徹底的に調べたんだよ。当時の宮崎はこんな堂々と営業していいの?ってくらい闇スロがあった。それで、闇スロにしばらく通って、その店のクセを調べたんだ。A店は普段はあんまり出さないけどイベントは本気、B店は頻繁に設定変更している、C店は週に1度しか設定変更しない、D店はイベントはないけど突然設定6を入れることがあるとかね。どの店も店長とはすぐに仲良くなったんだけど、みんなスロット好きなんだよ。だから、客の“アガるポイント”をわかってて、スロ好きのツボを刺激しやがるんだ」
いくらツボを刺激されたとはいえ、負けたくないという強い気持ちでクセを見抜いて立ち回り、闇スロでも勝率を上げていったという。
◆闇スロ特有のおかしなことも
だが、そもそも違法な闇スロ。もちろん基盤をイジって裏モノ化させていたことは容易に想像が付くのだが、裏モノ化によって、あらぬことも起きてしまったようだ。
「そもそも存在が違法だから、どの台も裏モノで遠隔操作もやってたと思う。オレは経験してないけど、知り合いなんか、何にも揃ってないのに北斗の拳でバトルボーナスが始まったって言ってた。店長が『すいません! ちょっと故障でバグっちゃいました』って、3万円渡されて『今日のことは誰にも言わないでください』って(笑)。
オレは、『設定6確定! 確認OKです!』って札が刺さってる台を打ったことがあってね。ちゃんと確認もしたんだけど、まったく出ないんだよ。オマケにボーナスの連チャンもぜんぜんしない。だから店長に『なんかイジってんだろ!』って冗談っぽく言ったら真顔で『加藤さん、そういうイチャモン付けるなら出禁にしますよ』って返してきやがった。ほかにも怪しい挙動がいっぱいあったんだよ」
◆昼間は地元ホール、夜は闇スロを徘徊
加藤さんよると闇スロの営業は21時から朝6時までだったという。そこで加藤さんは昼間はこれまで通りにパチンコを打ち、夜は闇スロでイベントや設定変更を狙って打ちに行くという、表と裏の“二刀流プロ”として立ち回るようになった。
「文字通り朝から晩までパチンコ、パチスロ三昧だった。闇スロは1機種1台で台数もそんなにないから高設定を長時間打てりゃいいけど、そんなのはまず望めない。朝イチ台とゾーン狙いで連チャンを取り切ったらヤメるという“ヒットアンドアウェー”で攻めたんだけど、そうなるといつも勝ち逃げするオレは店からすると煙たい客なワケ。パチンコ屋から出禁にされたことはないけど、闇スロからは1軒出禁になったもんな。まぁ、それも勲章みたいなもんかなって」
◆闇スロの摘発でプロを引退する決意
気がつけばそんな生活を1年近く続けたある日、二刀流生活は突然終わりを告げる。闇スロの摘発である。
「パチンコ打ってたらツレから電話掛かってきて、闇スロが摘発された!って。まぁ当たり前だよね、違法なんだから。あんなもんが堂々とポスター貼って営業してたほうがおかしいんだよ(笑)。でも、なんかこう、大切なものがなくなったって感じはしたんだよね」
心にぽっかりと穴が空いてしまった加藤さんは、バーテンをしている店のママにそのことを伝えると意外なことを言われ、パチプロから足を洗うことになる。
「ママから『闇スロって犯罪なんでしょ? それを打ちに行ってた修ちゃんも同罪なんじゃない?』って言われて、言い返せなかった。ママはオレよりも5つ年上で、よく叱られたんだよ。『パチプロもいいけど、もうイイ歳なんだから正業に就いたら?』とも言われたな」
◆高校中退後にお世話になった内装屋へ
それから2ヵ月後、ママにバーテンをしていた店を辞めることを伝え、その足で向かったのは、高校を中退してひととき働いていた内装屋の社長だった。
「パチプロはやめることにしたんだけど、じゃあこれから何をやるの?ってなって、オヤジの跡を継ごうかとも思ったけど弟がすでに継いでてダメ。その弟とメシ食いながら話してたら内装屋の話が出てきて、『社長、いつも兄ちゃんのこと聞いてきて、今でも心配してるよ』って。弟は工務店やってっから、内装屋とは付き合いがあって、今でも社長と繋がってたんだ。じゃあ、久々に挨拶行ってみるかぁ〜って菓子折持って遊びに行ったら、『プラプラしてんなら、もう一回、ウチで働かないか?』って。それでそのまま今に至るワケ(笑)」
だが、30歳を過ぎてから職人の修行の毎日はツラくなかったのだろうか。
「やっぱ久々の現場仕事は体力的にキツかったね。パチプロ時代はホールもバーテンもずっと室内だから、運動不足で色白だったんだよ。もう、最初の2ヵ月は本当にキツかった。若いヤツから『加藤さん休んでてください。ペンキ、持ちますから』って言われて、情けねぇなぁ、オレ……って。でも、内装っていう仕事が合ってたし、社長や若いコたちもすごく仲いいし居心地よくて、結局8年くらいお世話になった」
◆パチンコ・パチスロが大好きだからヤメられた!?
ツラくてもパチプロには戻ることなく続けられたのは、周囲との関係性だけでなく、自身のパチンコ・パチスロに対するスタンスだったと加藤さんは振り返る。
「基本的にパチンコ、パチスロが大好きなんだよね。ゴリゴリに立ち回ってお金を稼ぐためだけに打ってたら、たぶん職人仕事なんて『割に合わねぇ!』って投げ出してたと思う。でも、基本が『好きだから打つ』っていうスタイルだったから、仕事帰りや休みの日に打てればいいやって。むしろ昔よりも短い時間しか打てないから、逆にシビアに打ってるよ。やっぱ負けたくないしね(笑)」
現在は独立もして、仕事も順調だという加藤さん。最近の悩みは人手不足でパチンコが打てないことだとか。
「コロナとかもいろいろあったけど、なんとかやってる。最近、九州は移住者が多くて内装の仕事がすごく増えたんだよ。今週は宮崎、来週は熊本みたいに飛び回ってる。でも、若いヤツがまったくもって雇えないから、全部自分でやんなきゃいけないのはキツい。オレらの頃って中退したヤンキーとかってだいたい建築関係で肉体労働やったもんだけど、最近はヤンキーがいなくなっちまったから若い労働力が足りないんだよね。だから、仕事ばっかで休みもねぇから嫁や子供から嫌味を言われて肩身が狭い(笑)。パチンコ打ちに行くなんてもってのほかだよ」
◆パチプロの成功体験が今を支える
パチンコ・パチスロだけで食っていけたことは羨ましい話ではあるが、加藤さんは「自分は本当に恵まれてただけ」と謙遜する。
「よく、パチンコ打って暮らすなんていいなぁ〜って言われるけど、スロプロなんかは23時の閉店時に状況をチェックしなきゃいけないし、朝は9時とかに抽選受けなきゃいけないから、実質的には14時間労働くらいじゃないかな。そこまでやっても高設定取れなかったら日当出ないからね。期待値は追い続けたら最後、勝つまで打ち切る忍耐力とカネが必要になる。オレ、高校中退してやりたい放題してきたけど、ずっと努力してきた、頑張ってきたって自負してるんだよ。じゃなきゃ、パチンコ・パチスロは勝ち続けることなんてできないって。勝つための立ち回りを徹底することって、半端な努力じゃなかったもんな」
筆者はこれまで何人も元パチプロに話を聞いてきたが、今の生活が苦しくても、プロ時代のことを後悔している人は意外に少ないように感じていた。だが、ここまで肯定的にプロ時代のことを振り返ったのは、加藤さんが初めてである。
取材・文/谷本ススム
【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター