明るい髪の色と、腕に規則正しく彫られた漢字の刺青。その華やいだ笑顔で会釈をされると、なぜかこちらが安心した。現在はBarの従業員をしている、まごみさんだ。
名前の由来を聞くと、「私、生ゴミみたいなもんなんで、『な』を取って『まごみ』です」とおどけた自己紹介で和ませる。だがそのユーモラスで自虐的な自己紹介の“つかみ”には、壮絶な人生の物語が隠されていた。
◆シングルマザーの母が彼氏に殴られて…
開口一番、まごみさんが語ったのは、こんな幼き日の記憶だ。
「私が小学校2年生くらいのときだと思います。部屋に血溜まりができていて、母が倒れていました。何度も殴られたであろう顔面は変形していました。当時、私は母と母方の親戚と一緒に暮らしていました。そこに扉を破壊して入ってきたのが、母の彼氏です。子どもだった私は押し入れに隠れるように言われ、諍いの音が消えて出てみると、さっきの光景だったのです」
◆「プレゼントを渡す様子」を見学させられた
シングルマザーとして育ててくれた母親は非常に魅力的な女性で、男性が絶えなかったという。だが、どの男性も暴力で解決しようとする傾向があった。
「あとから聞いた話では、母の彼氏は違法薬物の常用者で、その日も母が浮気をしているという妄想に取り憑かれて乗り込んできたようでした。病院でみた母は、ドラマでみるような包帯ぐるぐるの姿で、それまでと顔貌も大きく変わってしまいました」
ここまででも驚きを禁じ得ないが、さらに驚くのは事件の後日談だ。
「母は、事件があった年のうちにその彼氏と入籍しました。私は幼いながら、『絶対にやめたほうがいいよ』と切実に訴えましたが、母を止めることはできませんでした」
結局、まごみさんが中学校に入学するまでの間、婚姻生活は続いた。継父との地獄の日々をこう振り返る。
「身体に触る、口腔内に舌を深く突っ込まれるなどの性的いたずらから始まり、小学校高学年になると、性交の強要をされました。最初のうちは寝たふりをしてやり過ごしていたのですが、私が応じないことで継父の機嫌が悪くなり、母が殴られる頻度が増えたんです。母を守るためには、自分が継父を受け止めるしかないと思って過ごしていました。また、母と継父の間に子どもができると、継父は実子を猫可愛がりをするようになりました。クリスマスに突如正座をするように命じられ、プレゼントを渡す様子を見学させられたこともありました」
◆「まごみさんの機転」によって継父は逮捕
まごみさんは一時期、母親の実家へ「避難」させられていたものの、継父によって連れ戻されたのだという。
「あれほど凶暴な継父は祖父母の自宅に来るなり土下座をして、私のことを『引き取らせてほしい』と言ったんです。家庭内に“おもちゃ”がない状況が嫌だったのでしょうね。連れ戻されてからも、私はこれまで通り性的な虐待を受けました」
そんな生活に終止符を打ったのは、他ならぬまごみさん自身だ。
「私が中学1年生だったある日、酔った継父が『俺に隠し事をしているだろう、お前ら全員裸になれ』と怒鳴り散らし始めました。とにかく逃げ出す口実を考えて、『レンタルビデオの延滞料金が発生する頃だから返却させてほしい』と懇願しました。なんとか説き伏せ、飲酒をしていない母が運転手、私と妹(継父の実子)が同行する形で落ち着きました。ガラケーで継父の所持していた違法薬物をいくつも撮影していた私は、母に『これから警察署へ行くか、ここで全員死ぬか、選んで』と迫ったのです」
中学生だったまごみさんの機転によって継父は逮捕され、一家は決別することができた。
◆刺青を入れた理由も「継父」にあった
まごみさんが刺青を入れ始めたのは、7年ほど前、上京したタイミングと重なる。その理由を端的に言えば、「継父に見つかるのではないかという恐怖から」だという。
「私は山口県で生まれ育ったのですが、地元の子の動向をみんなが把握しているようなこじんまりした地域で、息苦しさを感じていました。くわえて、継父は“おもちゃ”だった私に執着して実家から連れ戻したような人です。どこかで『また探しにくるのではないか』という思いがありました。姿を変えることで、ほんの少しだけ安心できたんです。体重も20キロくらい落として、耳の裏に刺青を入れたのを皮切りに腕、手、太もも、スネ、首の真ん中などにも彫りました」
ここで全員死ぬか――中学1年生にして母親にそう迫ったまごみさんの胆力には驚かされるが、事実、彼女は死すら恐れていなかった。希死念慮について、こう振り返る。
「しばらくはリストカットなども繰り返していました。でも、刺青を入れてそれを眺めていると、不思議と気持ちが落ち着いたんです。継父と過ごしていた時期に比べれば『死にたい』という気持ちは薄くなっていたものの、やはり波はありました。一番大きな出来事は、およそ3年前、もうすべてどうでもよくなって、住んでいたマンションの6階から私は飛び降りました。確実に死ねるように、後ろ向きで飛んだんです」
◆「生きたい」と思い、写経に打ち込むように
だが、まごみさんは生き残った。
「当然、骨は複雑に折れていて、右半身には麻痺が残っていました。医師からは『もう動かなくなるかもしれない』なんて言われて。そのとき、『人生なんだったんだろう、私って“生ゴミ”みたいなもんだな』って思ったんです。それで、『まごみ』を名乗るようになりました」
生き残ったことによって、まごみさんの奥底からある思いが頭をもたげてきた。
「皮肉なもので、身体が思うように動かなくなって初めて『生きたい』と思ったんです。リハビリにも精を出しました。もっとも熱心に打ち込んだのは、写経です。般若心経を無心で紙に書きました。それだけで心が静まっていったんですが、そのうち、般若心経に書かれている内容を勉強したいと思って調べました。そこで得た価値観に魅せられて、より一層『生きよう』と思えました」
◆右腕に「般若心経の刺青」を入れ…
そう言って見せたまごみさんの右腕には、般若心経が並んでいる。自殺未遂の直後に入れたというその刺青を愛おしそうに撫でながら、まごみさんは言った。
「人生に悩むことは誰にでもあると思います。でも、般若心経を学ぶと、あらゆる悩みの受け止め方を自分のなかに落とし込むことができます。どんなに深く傷を負ったとしてもいつかは立ち直れる日が来るんだと、そう思えるんです」
現在、Barの従業員として日々多くの悩める客と話すというまごみさん。自らの人生をオープンにすることで、さまざまな人にこんなエールを送っている。
「私みたいな“ド底辺”の生活をしてきた人間ですら、その気になったら働いて日本経済を回す一助を担えます。身体中に刺青を入れて、およそ社会人にはみえない身なりですが、ありがたいことに、誰かしらの役に立つことくらいは可能なんです。どれほど八方塞がりにみえても、必ず糸口はあります。死のうとした私が言うのも変ですが、誰であっても、自らの人生を閉じる選択肢をしないでほしいなとは感じます」
◆「普通の生活に戻れない」ことはわかっている
「たまに『そんなに刺青を入れて、もう普通の生活に戻れない』というお叱りの声もいただくのですが、それは入れた本人が一番よくわかっているんですよね(笑)。それでも、刺青を入れることで何とか生き延びてきたんです。そして今、私の姿をみて『こんな感じでも楽しそうに生きてるんだ』って思ってくれる人がひとりでもいれば、私は全力でガッツポーズをします」
心温かい、慈しみ深い、愛情豊かなど、まごみさんを語るうえでそれっぽい美辞麗句は簡単に浮かぶ。だが彼女の最大の魅力は、自らの暗い過去さえ進んで万人の踏み台として差し出す気前の良さだろう。そこに誰もが身を委ねたくなる豪胆さが宿る。
筆舌しがたい辛酸を舐めたからこそ、似た状況で喘ぐ者たちへの言葉が説得力を帯びる。「こんな私でも生きてるんだから、もう少しこの世界に一緒にいようよ」。柔和で朗らかな、それでいて生きることに貪欲なまごみさんの魂の呼びかけに、世界が呼応するといい。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki