ウクライナ避難民それぞれの思い

家族に背中を押されて、来てみたかった日本へ

次にお話を聞かせてくれたのは、福岡県にある日本経済大学の避難民支援制度(外部リンク)を利用して2022年度に同校へ入学した、キーウ国立言語大学日本語専攻のカテリナ・ボジョクさんです。

2023年に卒業を迎え、現在は商船で資源輸送を行う海上運送企業の社員となって2年目。以前の記事(別タブで開く)でも日本での就職に苦労した話を聞かせてくれましたが、当インタビューに日本語で対応するほどの語学力を身につけ、生活基盤を着々と固めています。


日本で暮らすことを決めた理由について話すカテリナ・ボジョクさん

――最初に、日本に避難を決めた経緯を教えてください。

カテリナさん(以下、敬称略):私の通っていたキーウ国立言語大学はもともと日本経済大学と留学の提携制度がありました。そのため、2022年3月にロシアの侵攻が始まったとき、留学生用の避難プログラムが立ち上がったのです。

日本語専攻ですし、以前から日本へ留学してみたいと考えていたのですが、現地で暮らせるほどの語学力があるのか自信がありませんでした。でも、安全な国でしっかり学んでほしい、という家族の応援を受けて、単身で来日することを決めました。

戦争が契機になったことに、少し心が痛みます。

――現在は、海上運送企業の社員として働いています。どのような仕事を担当しているのでしょうか?

カテリナ:陸上から船の安全運行をサポートする仕事を担当しています。船長と日々英語を使って連絡を取りながら、天候の状況や途中停泊する港の情報などをやり取りするほか、予算の管理も行います。

1カ月半以上にもなる長い航行ですから、船長とは会話を通じて自然と仲良くなります。船に予期せぬトラブルが起こったときなど、無事に解決されると自分もクルーの一員のように本当に嬉しくなります。

――仕事をする上で、今どういうところに課題を感じ、今後どういう力を伸ばしていきたい、とお考えですか?

カテリナ:去年(2023年)は入社1年目だったので、自分が仕事を通じて何をしなければいけないのか、その役割と責任を考え、きちんとまっとうできるように努力しました。2年目になった現在は、もう少し同僚や先輩が何の仕事をしているのかに目を向けていきたいです。

それは迷惑をかけない、という観点もありますが、私たちの役割は全てつながっていますから、周囲の仕事を理解することで、仕事全体がよりスムーズに動くと考えています。

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毎日は充実しているけれど、将来はまだ描けない

――ウクライナ避難民の中には帰国を決断した人もいますが、カテリナさんは日本に残って働く道を選びました。どういう理由でその決断に至ったのでしょう?

カテリナ:戦争中のウクライナに帰るのは怖いですし、大学生活を通じて日本は良い国だと思ったので、このまま就職してビザを得ることにあまり迷いはありませんでした。両親が「平和な日本で伸び伸び働きなさい」と言ってくれているのも大きいと思います。

ただ、ずっと家族に会えないのは寂しいので、この夏は実家のあるキエフに帰省しようと考えています。ウクライナを出られない父のことを考えて、母も出国したがらないんです。安全のことを考えると、本当は海外で集まれるといいのですが。

――避難を経て海外で働く、という日々を支えるエネルギーになっているものはなんですか?

カテリナ:職場の雰囲気が良く、楽しく仕事ができるのが一番ですね。上司や同僚のほとんどが日本人ですが、みな国際関係の業務をしているので英語が話せます。日本語でうまく伝えられないときは英語に切り替えても分かってもらえるので、かなり気が楽になります。

またウクライナから一緒に日本経済大学に避難した大学の同級生たちも元気の源です。それぞれ働いているので集まるのは主に週末ですが、よくボードゲームをしながらおしゃべりを楽しんでいます。連れだって小旅行に出かけたこともあるんですよ。

――今後、日本でどのような暮らしを築いていきたいとお考えですか?

カテリナ:日本政府からビザをいただいたので5年間は日本に住めると思うと安心ですが、将来について考えるのはまだ難しいのが正直な気持ちです。

日本に来て、勉強や就職活動をとても頑張りましたし、新しい国の生活に慣れるよう努力もしました。でも、自分が定住地を持たない “ノマド(遊牧民)” であるかのように思えて、この先のことをうまく想像できません。

いつか家族を持ちたいという思いはあるけれど、家庭を築くなら定住したほうがいいし、海外の他の国で働くことに興味もあるけれど、また一からその国の生活に慣れるのはものすごくエネルギーが要る。仕事という軸ができたので生活は落ち着いていますが、母国での戦争が続く中、日々揺れ動く心と向き合っています。

ただ、今回の避難経験で自分の適応力を磨くことができたのは間違いなく、どういう環境におかれても対応していけるはずだ、という自信が身につきました。

――最後に、日本の人たちにメッセージをいただけますか。

カテリナ:日本に避難したウクライナ人の中には、帰国する人も残る人もいます。私が楽しく暮らせているのは、日本人の考え方に共感できたことが大きいと思います。

例えば日本人は初めて会う人にも笑顔で接して、優しい雰囲気をつくりますよね。最初は心からの笑顔じゃないかもしれないけれど、そのお陰で話しやすくなるし、仲良くなりやすい。そういう文化はウクライナにないのですごく新鮮でした。

私は日本に来たことで成長でき、自分のことを好きになれました。

ウクライナの若者が将来のことを考えていくためには、仕事に役立つスキルを身につける場や心理的なサポートを必要としています。日本の方々にはそういった面でこれからも支援していただければありがたいです。


日本で暮らし成長できた自分のことについて話すカテリナ・ボジョクさん