醸造家の越後屋美和さんが設立した『東京ワイナリー』が、2024年9月に10周年を迎えた。東京都でのワイン醸造所は前例がなく、当初は無理だと言われていたものの、始めるやいなや瞬く間に多くの人に愛されるワイナリーとなった。ワインは造り手の人となりまでも語るといわれている。越後屋さんの造るワインには、どんな情熱が詰まっているのだろう。
未経験からの挑戦
横浜市出身、大学で農学を学び、東京の大田市場で働いていた越後屋美和さん。大田市場の都産都消の取り組みで、東京の農家を探そうと最初に訪れたのが、練馬区大泉学園町。のちに東京ワイナリーを構えることになる場所だ。
「東京に農業があるというイメージがなかったので、23区内に豊かな緑が広がり、家と家の間の狭い土地でも、ていねいに栽培された多様な野菜が作られていることに驚きました。私自身が東京農業の魅力を知らなかったように、多くの人々も知らないのではないかと思い、これらを広める仕事をしていました」と、当時の様子を語る越後屋さん。
そして、時間が経つにつれて、自分自身でも何かやってみたいという思いが強くなり、食や農業に関連することを模索するようになる。選択肢はさまざまあったが、もともとお酒が好きだったこともあり、「野菜とペアリングするワインを作る」というアイデアが浮かんだ。
「ワインはただ飲むだけのものではなく、料理があってこそ。同じ土地で育った食材と合わせることでより楽しめます。一緒に食べる魅力を発信できたら、豊かな体験が生まれると考えたのです」
それが『東京ワイナリー』を始めるきっかけになったのだが、現実は、そう簡単にはいかなかった。
「東京でワイナリーを始めるなんて無理」
これは、10年前に越後屋さんが周囲から幾度となく聞かされた言葉だ。練馬区でワイナリーを開業したいという強い思いがあった一方で、多くの壁に直面していた。
「特に大きな課題は、私が未経験でありながらワイン醸造の免許を取得できるかどうかでした。何度も税務署や行政機関に足を運び、話し合いを重ねながら一つ一つ進めていきました。どうしてもできないことなら仕方ありませんが、話を聞いていくうちに、不可能ではないという感触を得たんです」
農業や野菜に関しての知識はあったが、ワイン醸造については初心者。そこで、山梨県や広島県のワイナリーへ行き、畑作業や土、ブドウ栽培について実践しながら学ぶことに。さらに広島県の酒類総合研究所で醸造の基礎を学び、独自のワインを生み出す基盤を築いていった。
前例がないがゆえ、ひたすら、コツコツと道を切り開く――。出会った農家に「ワイナリーをやりたい」という熱意を伝え続け、応援してくれる人々が増えたことは、彼女の大きな支えになった。そうして2014年、晴れて東京で初のワイナリーをスタートさせることがかなった。
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普段の生活で飲んでほしいワイン
2024年に行われた「第7回 日本ワイナリーアワード」にて三つ星を受賞した東京ワイナリーのワインは、「普段の生活で飲めるワインを造る」を貫いて完成したものだ。
最大の特長は「濁りワイン」と呼ばれる無濾過(ろか)のワインだということ。濾過によって失われることがある繊細な旨味(うまみ)が残るため、複雑で奥深い味わいが実現。その奥深さは、日本の食材と合わせることでさらに広がり、香りのハーモニーが生まれる。山菜や旬の野菜、豆、みそやしょうゆともマッチする、類いまれなワインなのだ。
ワインになるブドウについては、練馬区をはじめとした東京産が約15~20%、その他は長野、山形、北海道などから仕入れて、東京ワイナリーの醸造所で発酵させている。
「ブドウが自然の力で変化し、酵母が糖分を食べてアルコールに変えていくんです。その瞬間、プチプチとした音が聞こえ始めるのが感動的ですね」と、発酵が始まる瞬間が一番好きだと言う越後屋さん。そして「ワインの味を決めるのはブドウが8割」と言い、こう続ける。
「選定は慎重にしてます。作物の品質には農家さんの人柄も表れるんですよ。だからコミュニケーションも大切にしています。あとは自分の好みや理想に合うブドウを選ぶために、特定の品種がある産地で探すことも。他には、自分の理想に近いブドウを育ててもらうように農家さんにお願いすることもあります」
ブドウは収穫時期も微妙で、糖度や酸度を測定しながら、最適なタイミングを決める必要がある。
「収穫日は“この日”というのがないんです。天候の変化に臨機応変に対応するしかなくて。例えば、大雨が予想されると急いで収穫する必要がありますし、気温が低くなって糖度が上がらない場合には収穫を遅らせることも。常に予定は流動的です」
ボランティアを募ってブドウの収穫やプレス作業などを行っているのも、東京ワイナリーの魅力のひとつだろう。収穫の時期は8月~9月にかけてで、参加方法は二通り。東京ワイナリーの<栽培くらぶ>に登録し定期的な活動に参加するか、非会員も参加できるイベントが開催されるので、そこに応募するか。イベントはSNSで募集される。
天候や環境の変化に対応しつつ、楽しみながらワイン造りに参加する人々とともに「今年の味」が造られてゆく。