56歳女性「生きるのが面倒くさい…」中年期に直面する「ミッドライフクライシス」の乗り越え方

「50代からの女性のための人生相談」は、専門家の方に読者のお悩みにお答えいただくQ&A連載です。今回は、56歳女性の「生きるのが面倒」というお悩みに、仏教の教えをわかりやすく説いて「穏やかな心」へ導く住職・名取芳彦さんが回答します。

56歳女性の「生きるのが面倒くさい」というお悩み

56歳、既婚者で子どもはいません。夫は3歳上で、54歳で早期リタイアしています。世帯収入は、私自身のささやかなアルバイト代がほとんどです。

40代あたりでは、まだやりたい事などありましたが、現在は仕事と家事の繰り返しの日々です。

夫の両親は他界しており、私の母は高齢の域ですが、まだとりあえず元気です。

平和で何よりなのですが、何も生きがいも感じることなく過ごす日々が恐ろしく空虚に思われ、人生が終わってくれないかと思いつつ、かと言って自殺とまではいかない状態です。

大好きだった音楽さえ心に響かなくなって久しいです。甘いのは承知しています。しんどいと言っても、私は仕事を続けるしかない。でも、生きるのが面倒くさいです。

(56歳女性・Y.Mさん)

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名取芳彦さんの回答:「人生は面倒である」は一つの悟り

 「生きるのが面倒くさい」とのことですが、私も同感です。生きるというのはまったく面倒です。しかし、「髪の毛を洗うのは面倒だから、今日はやめておこう」というレベルと違って、「生きるのは面倒だから、生きるのをやめてしまおう」とはなりません。

太宰治の短編に『トカトントン』があります。ある読者が作家へ送った手紙形式で書かれています。この中で、読者が何かをやっていると、あるとき、突然、トカトントンという金槌で釘を打つ音が聞こえくることがあると訴えます。その音を聞くと何の気力もなくなってしまうというのです。

「この不思議な現象を起こすあの音は、いったい何でしょう」と作家に問います。最後は作家からの短い返事が付されます(青空文庫で読めます)。

20代でこの作品を読んで以来、私にもトカトントンという音が聞こえるようになりました。おそらく何かの緊張の糸が切れると、トカトントンが聞こえる気がするだけでしょう。いろいろなことが「面倒だ。もういいや」と思えてしまうのです。

あなたもつい最近、トカトントンを聞いたのかもしれませんね。