◆米津玄師の新アルバム、ビルボード3つのカテゴリーでトップ50入り
米津玄師のニューアルバム『LOST CORNER』がアメリカのビルボードチャート3つのカテゴリーでトップ50入りする快挙を達成しました。
CD売上枚数とダウンロード数を合計した「Top Current Album Sales」が41位、アメリカのアーティスト以外の「World Albums」が14位、要注目の新人を対象にした「Emerging Artists」が35位。ニューヨークの中心地で巨大な街頭広告も展開するなど、上々の全米デビューとなりました。
日本の各メディアもこぞって報じています。“これで米津も世界的スターの仲間入りか?”と思った人もいるかもしれません。
しかし、残念ながらそうはならないでしょう。米津がラインクインしたのはアメリカのトップアーティストがひしめくメインストリームのチャートではないので、そこで1位を獲得したBTSやNewJeansなどと同列に語ることはできないからです。
ともあれ、日本が誇る才能が全米デビューを果たしました。では、米津玄師の音楽はいまのアメリカのトレンドの中でどのような立ち位置を占めるのでしょうか? 果たしてK-POPのように成功を収める可能性はあるのか? 色々な角度から考えてみたいと思います。
◆アメリカの“売れ線”とは対照的な米津の作風
そもそもアメリカではどんな曲が売れているのでしょうか。この原稿を書いている9月13日時点のチャート上位は、1位「A Bar Song (Tipsy)」(Shaboozey)、2位「I Had Some Help」(Post Malone Featuring Morgan Wallen)、3位「Espresso」(Sabria Carpenter)でした。
「A Bar Song (Tipsy)」と「I Had Some Help」は、ギターのコードストロークが特徴的な、フォーク、カントリー風の曲調。「Espresso」は、タイトなダンス・ポップ。サブリナ・カーペンターのお茶目でセクシーなキャラも同世代の支持を得て、世界的なヒットになっています。
この3曲は、いずれも数少ない同じコード進行の繰り返しで成り立っています。歌いだし、つなぎ、サビ、どこを切り取ってもループ再生可能な構成。その中で歌詞の文脈にあわせた節回しの変化によって抑揚をつけているのですね。
これとは対照的なのが米津玄師の作風です。とにかく手が込んでいるのです。
たとえば、アニメ『チェンソーマン』のオープニングテーマとして大ヒットした「KICK BACK」。プログレッシブ・ロックの構築性と歌曲としてのJ-POPが高い純度で融合したこの曲と同じ要素を持つものは、アメリカのメインチャートにはありません。「KICK BACK」は、日本的な輸入と加工によるコラージュの、大衆音楽におけるひとつの極点だと言えるでしょう。
他にもループ的な要素を持つ「LADY」でさえ転調による場面転換がありますし、映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」は横に広がる大きなメロディのバラードですが、細かな音節に合わせてコンパクトにコードチェンジするあたりに演歌、歌謡曲の名残りを感じます。
◆米津がアメリカで受け入れられるのは難しい?
このように複雑な構造の曲を書くミュージシャンがトップを取るのですから、日本のリスナーは熱心に音楽を聴く人たちなのだと言えます。米津玄師の曲には、聴く側にある程度の積極性や能動性が求められます。何の気なしに聞いているようでも、「KICK BACK」が売れるのは、良い意味で異常な事態なのです。
では、そのような作風のままアメリカでも受け入れられるのでしょうか? 筆者は難しいのではないかと予想します。良し悪しではなく、いまの作風を貫けば、あくまでもエキゾチックなポップミュージックのひとつとして、マニアックなファンを獲得するにとどまるでしょう。いまのアメリカのヒットチャートには、米津の複雑さを味わう土壌がないのが明らかだからです。
さらに言えば、常田大希率いるmillennium paradeのように、洋楽的コンセプトを下敷きにしたアーティスティックなプロジェクトもあまり需要がないのではないかという恐れもあります。あちらからすれば、“そういうのもう間に合ってます”、なのですね。
◆アメリカの音楽ファンを楽しませたいなら…
米津玄師にグラミー賞への野望があるかはわかりません。少しでもそういう考えがあるのだとしたら、戦略を変える必要もあるのかもしれません。世界で成功したK-POPを見ていると、商売をする国の人々に好かれるためのアクションを惜しまないからです。たとえば、NewJeansのハニが松田聖子やTUBEを歌う。それは、NewJeansを売り込むこと以上に、日本人を喜ばせることを意識しているのです。
同じように米津がアメリカの音楽ファンを楽しませるとしたら、日本で日本人のファンに受け入れられている「アーティスト・米津玄師」像を、いったん解体して客体化する必要があるのではないか。異なる素材として、新たな米津の存在そのものを作品にしてしまうぐらいのアイデアがあれば、日本のファンにとっても大きなサプライズとなるでしょう。
ビジュアルからサウンドまでをトータルでセルフプロデュースしている現状から離れて、全くの他者によって作り直されれば、たくさんのまだ見ぬ面が引き出されるはずです。
今回の全米デビューが本格的な海外進出のきっかけとなるのかどうかはさておき。まずは、お披露目、ごあいさつということで、今後の米津玄師に期待しましょう。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4