「決めるのは患者さんかもしれません」キャリア38年現役医師が語る“名医”との出会い方の真意

病気になった際には、「最適な治療を受けたい」と多くの人は熱心に病院選びをする。そんな患者の思いをどのように医師側が受け止め、考えているのか…。

本連載では、現役のベテラン医師が医師や病院にまつわる不満や疑問などについて、本心を明かし、病院との付き合い方、病院の選び方などをガイダンスする。

第4回のテーマは「名医の基準」。キャリア38年の現役医師は「意外とどこにでもいるが、名医を決めるのは患者自身」という。その言葉の真意とは(全4回)。

※ この記事は松永正訓氏の書籍『患者の前で医師が考えていること』(三笠書房)より一部抜粋・再構成しています。

名医は意外とどこにでもいる

「名医」に巡り合いたいというのは、患者であれば誰でも考えることでしょう。「名医」とは何か、という問いに答えるのは非常に難しいと言えます。私は医者になって38年目ですが、いまだにいい医者とは何だろうとよく考えます。そしてまた、今でももっといい医者になることができるかどうかを日々考えています。

前に「いい病院とは手術数の多い病院」と説明しました。これは医者個人においても同様で、多くの手術を経験した外科医、多くの患者さんを診断・治療した経験のある内科医は、名医である必要条件を有しています。

逆に言えば、経験の浅い若い医師に名医はいません。医者というのは、生涯をかけて成長していく職業ですので、20代、30代の名医は存在しません。
ただし、必要条件であっても十分条件ではありません。経験は誰にでもできるけど、その経験を「経験知」にすることは簡単ではありません。

長く医者をやれば自然と経験が積み上がっていきます。そういうのを「経験値」といいます。しかしここでいう「経験知」というのは、経験から学んだ物事の真髄のようなものです。それを身につけているかどうかが重要になります。

数字で表せない「経験知」

大学病院と公立病院では、内科でも外科でも、患者さんの一人ひとりに対する向き合い方に少し違いがあります。一般的に、大学病院のほうが公立病院より、一人の患者さんに対して医師数が多いと言えます。そのため、大学病院では臨床カンファレンス(症例検討会)が、十分な時間をかけて行なわれます。

たとえば、手術。一つの手術に対して手術前はみっちりと手術の術式についてみんなで話し合い、手術後にはその手術の何がよくて何がよくなかったかを徹底的に話し合います。つまり、1例が重いのです。

手術のうまさは確かに「数」ですが、大学病院での数と公立病院での数には違いがあると私は考えています。大学病院では1例から学ぶことがとても多く、1例を経験するだけで、多くの「知」を得ることができるのです。したがって、手術でも診断でも「質」が高くなります。この「数」と「質」を掛け合わせたものが「経験知」ではないでしょうか。

ですから、医者にとって重要なのは、1例からどれだけ学ぶことができるかです。もちろん公立病院の医者だって、1例から深く学べば経験知が上がります。こうしたことを積み上げて、名医が誕生していくのだと思います。これは内科医でも外科医でも同じです。だから、私は単純に、「外科医の名医とは手術数が多い医者だ」と言ってほしくありません。

誠実さと責任感は欠かせない

医者の勉強は、前に述べたように論文をたくさん読んだり、仲間とディスカッションしたりすることで深まっていきます。ですが、それだけではありません。

医者は、治療を通して患者さんから学ぶことが非常に多いのです。したがって、経験知の高い医者は患者さんから学ばせてもらったという思いがありますから、たいてい、患者さんに対して非常に謙虚です。だって、患者さんは師になるのですから。

そして、生涯学ぶ姿勢を貫くためには、患者さんに対して「誠実」であることと、「責任感」が強いことが重要な鍵になると思います。

「誠実」というのは、真摯に患者さんに向き合い、自分のすべての能力を振り絞って病気を治していくこと、そして患者さんの気持ちのそばに行って、その心を支えることです。そこに噓偽りがあってはいけないし、謙虚でなければ患者さんにも病気にも向かい合うことはできません。

「責任感」というのは、妥協しない気持ちです。闘病が長くなり、思った通りの治療経過を取らないと、患者さんは当然つらい思いをしますが、医師もつらい思いをします。心の中で梁のようなものが揺らぎそうになります。そういうときに、決して弛まず、強い心で治療を続けるのが責任感です。手術でも同じです。12時間を超える長い手術になると、細かい部分で集中力が緩みそうになります。ですが、そこで集中力をもう一度持ち上げる、そういうことが責任感です。

これはどんな職業でも同じですよね。医療とは患者さんと医者という、人と人との関係で成り立っていますから、医者が患者さんに接するときは誠実である必要があるのです。

人類への奉仕に自分の人生を捧げる

でも実は、医師というのは少し特殊な仕事なんです。「プロフェッション」という言葉を聞いたことはありますか? これは西欧の言葉で、宗教家・弁護士・医師の三つを指します。「人のために尽くすように天地神明に誓うことが求められる専門職」をいいます。

つまり、医師は、神の前で告白する・誓う人なのです。だからといって、医者が偉いわけではありません。逆です。この誓いのもとに働かなくてはいけないのです。

ジュネーブ宣言という医師の倫理規定を定めた13条からなる宣言があります。その第1条にこう書いてあります。

「私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う」

これはプロフェッションの定義ともつながっていると思います。私は診察室の正面にジュネーブ宣言を印刷した紙を貼り出しています。たとえ開業医であっても、人へ尽くそうという思いを決して忘れないようにしようと自分で誓っているのです(逆に言えば、すぐに忘れそうになる)。

ですから最終的には名医の定義は「人間性」に行き着くのだと思います。

名医を決めるのは、患者自身

名医はめったにいないように見えるかもしれませんが、患者さんからよく学んでいる人間性に優れた医者は、けっこういろいろなところにいるかもしれません。つまり、名医はどこにでもいる可能性があります。

私も長年医者をやってきましたので、たくさんの医師を見てきました。倫理観の欠如した医師というのを見たことがないわけではありませんが、そういう人は本当に例外的です。ほとんどすべての医師は、誠実さと責任感を持っています。

ただ、ときどきコミュニケーションの上手でない医師を見るときがあります。そういう人は、自分の人間性が患者さんに伝わらなくて損をしているなと感じます。患者さんから信頼を得るためにも、医者はコミュニケーションの力を付けておくべきです。

名医というのは、患者さんの側からは簡単に分からない? ええ、そうかもしれません。出版物を探すと名医ガイドとかが売られていますし、週刊誌なども名医の特集などがありますよね。でもそういうのって、手術がうまいとか、手術の数が多いとか、稀な病気をたくさん診たとかの「数」を指しているにすぎないのです。

その数に対して「質」はどうなっているか。そして患者さんに相対するときに、「誠実」で「責任感」があるか。こういうものは、本や週刊誌では分からないと思います。

でも患者さんというのは、医者をよく見ており、その人間性を知らず知らずに見抜いています。結局、その医者が名医かどうかを決めるのは患者さんかもしれません。読者のみなさんは、あなたなりの名医を見つけてください。かかりつけの医者でも病院の医者でも、名医の基準は同じです。

最初の医者選びは、相性のいい医師でいいでしょう。でも、あなたの人間性をぶつけたときに、人としてちゃんとした反応が返ってくれば、その医者はあなたにとって十分名医だと思います。