◆前編のあらすじ
大手食品メーカーに勤める萌絵(26)は、社内運動会に参加し、同僚たちに手作り弁当を振る舞って高評価を得た。その流れで、同僚の板垣に毎週昼食を差し入れることに。しかし、実は萌絵は料理が苦手。弁当は、家事代行スタッフに依頼したものだった…。
▶前回:週1回、意中の彼にお弁当を作る25歳女。料理に隠された“後ろめたい秘密”とは
頼もしい味方【後編】
「板垣くん。実はあのお弁当、私が作ったものじゃないの…」
萌絵は、正直に伝えようと思っている言葉を頭の中で繰り返しながら、職場から帰宅した。
― やっぱりガッカリしちゃうかなぁ…。
板垣には、すでに3回も弁当を差し入れている。
どれも大好評で、作成者が別にいるなどと疑う様子もないので、今さら事実を公表できる状況ではない。
玄関からリビングドアを開けて中に入った萌絵は、出勤時の部屋の様子と若干の違いを感じる。火曜日の今日は、家事代行サービスを依頼している日なのだ。
担当してくれているのは、須間という30代後半の女性で、何度か顔を合わせたことがある。ややふっくらとした体形の穏やかそうなタイプの女性だ。
須間が、昼間のうちに訪ねて綺麗に部屋を掃除してくれているので、漂う空気がどこか澄んでいるように感じられる。
萌絵は、すぐにキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。
作り置きのおかずの入った容器の隣に、板垣に渡す弁当箱が並んでいる。
弁当箱を取り出し、蓋を開けてみる。
― うわぁ!美味しそう!
梅ぼし入りの鶏つくねにパプリカのマリネ、大葉入りの卵焼き。彩りのいいおかずがバランスよく盛り付けられていた。
にわかに湧きたった食欲に、先ほどまで頭を悩ませていた事案はかき消される。
萌絵はふと、リビングのほうに目を向ける。
― あれ…?何かしら…。
テーブルの上に、封筒のようなものが置かれていた。
たまに弁当に関するメモ書きが残されていることがあるが、それではなさそうだ。
封筒を手に取り、中に入った便箋を開いて目を通す。
かしこまったような文面を読み進めると、ある言葉が目に留まり、萌絵は眉をひそめた。
『しばらくお休みを頂きます。』
萌絵は、ゾワゾワッと胸がざわつくのを感じた。
須間からの手紙の内容は、日ごろのお礼や挨拶が主で、休みに関する具体的な理由は記されていなかった。
― ええ…どうして?私、何かしたかなぁ…。
突然のことに、萌絵は戸惑う。
自分の行動を顧みても、思い当たる節はない。
萌絵は、須間が働きやすいよう配慮してきたつもりだ。
弁当を作ってくれていることに強い恩を感じていたこともあって、快適に仕事ができるように、日ごろからあまり部屋を散らかさないようにしてきた。
目に余るところがあるときは、須間が来る前にあらかじめ軽く掃除をして迎えることもあった。
― まあ、それなら家事代行になんて頼まないで自分で掃除しろって話だけど…。
ときには、須間に差し入れを用意しておくこともあった。
今日も、仕事帰りに寄り道して買った「ÉCHIRÉ」のクッキーを、『よかったら召し上がってください』とメッセージを添えて置いておいたばかりだ。
突然距離を取られるかのような状況を、萌絵は受け入れきれない。
― 明日はいいとしても、来週からの板垣くんに渡すお弁当、どうしよう…。
須間に丸投げしていただけに、急にいなくなってしまうと、すぐには打つ手が見つからない。
― 私が作る?いやぁ、無理だなぁ…。
料理に取り組んだときの惨状が頭に浮かんだ。
少しずつでも練習を続けておけばよかったと後悔する。
恋の道のりは順調かと思いきや、突然大きな障壁が立ちはだかった。
◆
翌週の水曜日。
昼休みに入り、萌絵はランチバッグを片手に、板垣を伴っていつもの公園に出た。
秋とはいえ、東京はまだまだ蒸し暑く、不快指数が高い。
周囲を高いビルで囲まれているため、淀んだ空気が逃げ場なく溜まっているようにも感じる。
屋根のあるベンチを選んで、萌絵と板垣は腰をおろした。
「はい。今日のお弁当」
毎週恒例となった弁当を、板垣に手渡す。
板垣は蓋を開けると、「おお、うまそう!」と顔を綻ばせた。
弁当箱にはいつも通り、彩りのいいおかずが並び、華やかな様相を見せる。
だが、これは須間が作ったものではなく、ましてや萌絵が作ったものでもない。
須間の代わりでやって来た家事代行スタッフが作ったものだ。
「では、いただきます。まずはこのタンドリーチキンを…」
板垣がおかずに箸を伸ばし、口に運んだ。
萌絵は横目に見ながら様子を窺う。
今までであれば、口に入れた途端に発するくらい勢いよく、「うまい!」の言葉が聞かれたが、それがない。
― あれ…。味の違いに気づいちゃったかな…。
「あ、そうそう。今回はちょっと時間なくて急いで作ったから。あんまり…だよね?」
萌絵が、もっともらしい言い訳で取り繕う。
「ううん。そんなことないよ。美味しいよ」
「本当に?」
「うん。このエリンギのバター焼きも、ほんのりレモンがきいてて爽やかだし」
板垣が目を細めてニコッと微笑む。
箸でつまんで口に運び、「うんうん」と頷きながら咀嚼を続ける。
― う~ん。やっぱりいつもよりリアクション薄いなぁ…。
過剰なまでの反応を知っているだけに、物足りなく感じる。
見栄えに差はなくても、微妙な味の加減の差が影響を及ぼしているに違いない。
― ああ、須間さん。早く戻って来て~!
萌絵が訴えかけるように空を見上げると、覆っている雲がさらに厚みを増していた。
萌絵の願いも虚しく、翌週も、須間は戻ってこなかった。
2週続けて別のスタッフの作った弁当を板垣に差し入れたが、やはり反応はイマイチ…。
だが昨日、家事代行サービスの事務所から連絡があり、今日から須間が戻ってくると聞いていた。
仕事を終えた萌絵は、帰宅するとすぐに冷蔵庫を覗いた。
作り置きのおかずの入った容器を取り出し、味を確かめる。
「うん!これこれ!やっぱり、須間さんの料理は美味しい!」
具体的に何が違うとは言い難いが、舌を魅了する特別感がある。
弁当の中身も確認すると、色彩豊かで心弾むような仕上がりになっていた。板垣の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
そのとき萌絵は、リビングのテーブルの上にまたしても手紙が置いてあるのに気づく。
― ええ…。また休むとかじゃないよねぇ…。
萌絵は、恐る恐る封筒を手に取った。
便箋を取り出すと、中にもうひとつ別のものが入っていた。
― USBのメモリースティック?なんだろう…。
ひとまず、手紙の内容に目を通す。
そこには、どうして2週間も休暇を取ったのか、理由が記されていた。
『父親が体調を崩したため、しばらく実家に戻っていました。』
須間の実家は、四国の香川にあると聞いていた。
さらに読み進めると、重大な言葉が目に飛び込んでくる。
『実は、やはり父親の病状が芳しくなく、仕事を辞めて地元に戻ることにしました。』
萌絵は、思わず「ええっ!」と声をあげてしまった。父親の体調を考慮すれば仕方がないが、東京で仕事を続けて欲しいという思いがこみ上げる。
だが、主な理由は弁当作りを依頼したいがためであり、萌絵の単なるエゴに過ぎなかった。
― で、このメモリースティックは…?
『私がこれまで作ってきた料理のレシピを作成して、保存しておきました。』
萌絵はメモリースティックをパソコンに差し込み、中身を確認した。
― うわっ。すごく詳しく書いてくれてる。
萌絵が料理を苦手としていることを察していたのだろう。
初心者でもわかりやすいよう分量なども細かく記され、詳しい解説も添えられている。
料理の数も30品目以上に及んでいた。
― 須間さん、家のことで大変だったはずなのに…。
忙しい合間を縫ってレシピを作成してくれている須間の姿を思い浮かべ、心苦しく感じた。
萌絵は、再び手紙に視線を落とす。
『私が料理を作って差し上げられるのは、今回で最後になります。美味しいと喜んで頂いたときの長濱様の笑顔が、私にとっての何よりの宝物です。』
萌絵は、しばらく手紙を見つめていた。
須間が、いかに心を込めて料理を作ってくれていたかが伝わってくる内容だった。
― 私は、須間さんをいいように利用していたんだ…。
須間の厚意をダシに使い、悪用していたかのような気分になる。
板垣に提供していた弁当も、自分を介すことで粗悪なものになってしまっていたような気がして、罪悪感に駆られた。
萌絵は立ち上がると、キッチンに向かった。
◆
翌日。萌絵は、昼休みに板垣とともに公園を訪れた。
「はい、これ。今日のお弁当…」
恒例の儀式となった弁当の受け渡しだが、萌絵の様子はいつになく控えめだ。
嬉しそうに受け取った板垣は、さっそく蓋を開ける。
「おっ…。え、ええ…?」
条件反射で、「美味しそう!」と言いそうになっていたが、すぐに戸惑う仕草を見せた。
弁当箱の中身が、思い描いていたものとだいぶ違ったからだろう。
まず、見栄えが良くない。
レンコンの挟み揚げは肉がはみ出し、玉子焼きも形が崩れてしまっている。
「なんか、いつもとちょっと違うね…」
「それ、私が作ったの」
「う、うん。わかってるけど…」
「違うの。それが本当に私の作ったお弁当なの…」
萌絵は、昨日須間の作ってくれた弁当を持ってこなかった。
須間の手紙を読み終えたあと、レシピを見て料理を始め、仕上げたものを持参したのだ。
そして、これまでの経緯を正直に話して聞かせた。
「そういうことだったか…」
「嘘ついて、ごめん…」
板垣が納得したように頷くと、弁当の中身を箸でひとつ摘まんで口に運んだ。
「美味しくないでしょう…?」
板垣が首を横に振る。
「そんなことないよ。美味しいよ」
「…本当に?」
「うん。これが初めて作るお弁当とは思えないよ…」
板垣はそう言いながら、次々と口に運んでいく。
「うん、うまいうまい」
今までも板垣の褒め言葉は嬉しかったが、今日の喜びとは比べものにならない。
「じゃあ、これからますます上達していくのが楽しみだな!」
「これからも作ってきていいの?」
「もちろん!それに俺、弁当のためだけに、2人で外に出てるわけじゃないし」
板垣が一旦箸をおく。
「こうやって過ごす時間って、職場にいるとなかなかないから…」
板垣は、少しはにかんだように呟くと、視線を萌絵の傍らに向けた。
「あと、それ」
ハンディタイプのウェットティッシュを指さす。
「いつもそれで、ベンチを拭いてくれてるよね。座るときだけじゃなくて、離れるときも。そういう気遣いって、あんまりできることじゃないと思うんだ」
「そう…かな…?」
― そんなところ、見てくれてたんだ。
萌絵としては無意識にとっていた行動なだけに、指摘を受けたのは驚きだった。気づいていてもらえたことに、嬉しさがこみ上げる。
「まあ俺は、そういうとこに好感を抱いたというか…」
板垣は、語尾を濁しながら再び箸を取り、弁当を食べ始める。
気づけば暑さも一段落している。秋晴れの澄んだ空気が2人のほほをなでた。
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