同じ遺伝子を持つ一卵性双生児の研究からは、遺伝と子育てに関する数々の興味深い研究がおこなわれています。一卵性双生児の研究には、遺伝に関する画期的な発見がなされる可能性を秘めているのです。本記事では、日本における双生児法による研究の第一人者である安藤寿康氏の著書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、遺伝と子育てについて解説します。
違う環境、同じ性格
別々に育ったふたごの事例を数多く紹介しているピーター・ヌーバウアーとアレクサンダー・ヌーバウアー親子の著書『遺伝と子育て 人は「生まれ」か「そだち」か』(小出照子訳、TBSブリタニカ、1995)にこんな興味深い話が載っています。
現在30歳になる男性の一卵性双生児は、誕生時点で別れ、それぞれの養父母を得て、異なった国で育った。2人はどちらも几帳面だったが、それも病的なまでに几帳面だった。
身だしなみはきちんとしており、約束の時間は正確に守り、しょっちゅう手を洗い、それも皮がむけるほど赤くなるまでこすった。なぜそんなにきれい好きなのかという質問に対して、1人はつぎのように答えた。
「母です。私の小さかったころから母は、家中をいつでもきちんと整頓していました。どんな小さなものでも、必ず決まった場所におかなければいけないといつも言われていました。家には時計が数多くありましたが、毎日お昼の時報に合わせてセットしました。これも母の意向だったのです。私は母のやったとおりにしているだけです。そのほかに理由が考えられますか?」
一方、この男性と同じように石鹼と水をたえず気にしていた双子のもう1人は、自分の行動をこう説明した。
このように、子どもが本人の意識できるところではどちらも「親のせい」と認識していますが、それは本人の意識を超えたところで働いている遺伝的特徴を、ただ「合理的に」説明しようとしたときの後づけにすぎないことがわかります。子どもの行動が親の与える環境によって説明できるような気がしても、環境がそのまま子どもの行動を形作るのではないのです。
このふたごの事例のように、実は親の作る環境の影響の背後で、その環境を見る側がそれをそう解釈しているにすぎないことが多いといえます。
親のパーソナリティから生まれる言動を、子どもは親の意図通りに受け止めるのではなく、子ども自らの遺伝的素質を通して受け止め、解釈しているのです。
「親の心子知らず」とは、もちろんふつうは、経験の浅い子どもが大人である親の思慮には思い至らないこと、ましてや親の子に対する愛情からそれがくることなど気がつかないものだという意味で使われます。
それはその通りですが、それに加えて、子どもがそもそも親と異なる遺伝的素質をもって親の言動を受け止めていることからも、それは生ずるのです。
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同じ特徴でも親の受け止め方次第で、親子関係が変わる
また次の例も、子育てを考えるうえで示唆に富み、私の好きな話です。
双子の女子が幼児期に別れ、それぞれ異なった養父母に育てられた。(中略)2人が2歳半になったとき、1人の子供の養母に、いくつかの質問を試みた。母親は養女のショーナについて、何の問題もないと言った―食習慣を除けば。
「この娘はどうしようもありません。私が与えるものには手も触れません。マッシュ・ポテトもバナナもだめなのです。シナモンがなければ何も食べません。何にでもシナモンをかけるのです。私の我慢も、もう限界です。食事のときはいつも闘いです。何にでもシナモンをかけたがるのですもの」
この子の家からずっと遠くに住んでいたもう1人のほうの養母は、養女の食習慣に問題があるとは一言も言わなかった。
「エレンはよく食べますよ」と言って少し間をおいた母親は、こうつけ加えた。
「シナモンさえかけてやれば、何でも食べてくれますから」
遺伝的なものから生まれてくる全く同じ特徴も、それを育てる親がどう受けとめるかで、親子関係が異なったものになることが、この例からうかがわれるでしょう。
親が子どものために自分の行動を変えようとしても、思い通りになんかいかないのだとすれば、子どもに対する親としてのあなたの生き方が変わるのではないでしょうか。
安藤 寿康
慶應義塾大学名誉教授・教育学博士