石油危機、バブル崩壊、リーマンショックといった数々の市場の逆境を乗り越え、50年間にわたり市場で生き抜いてきた85歳の現役投資家、経済評論家の石井勝利氏。石井氏の道のりは常に順調だったわけではなく、多くの試練がありました。本稿では著書『85歳、現役・投資家のお金の哲学』(SBクリエイティブ)から一部を抜粋・編集し、逆境をどう活かして自己実現を達成し、「好きなこと」で収入を増やすことができたのか、その1エピソードをご紹介します。

ボロボロの靴をはき…貧乏人だった過去

お金を増やす、投資で成功する。これで大切なのは、「一歩、前に踏み出す」ということです。マンション投資、株式投資、そのほか、リスクはあるが、チャンスもあることに、不安はあるがとりあえず挑戦する。その前向きの姿勢がないと、何も起こりません。

少し、興味があるという考えがあれば、とりあえずやってみるというのが、大切な姿勢です。私は、もともとは貧乏人です。妻と結婚する前にはいていた靴はボロボロでした。

それでも、気持ちで押しまくり、3年間付き合ってゴールしました。何しろ、高校からのマドンナでもてまくっていましたので、「なんで、あいつと結婚するんだ」というような嫉妬と、あわよくばと、人妻なのに近寄ってくる同級生は少なくはなかった。

この本を書いている時点で、妻を亡くして23年余り。最近、点と点がつながり、妻に関する不安を持っています。でも、「不倫の時効」は3年。いまさらという気持ちもありますが、なんだかやるせない気持ちは絶えません。しかし、その妻には、多少の汚点はあるものの、多くのチャンスをもらいました。

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本の年収は1,500万円。会社ではパワハラ、差別の毎日……

私は、もとはと言えば、政党機関紙の新聞記者。もともと文章を書くのは好きなので、文化放送から転職して23年。

新聞のコラムの常連であり、記事を書く速度はずば抜けていました。しかし、その職場は「パワハラ全盛」。出来ないやつでも、ゴマをすれば出世し、ゴマすりが下手なものは冷や水を浴びせられる。そんな会社で、私は次第にモチベーションを失い、精神的に落ち込み、不整脈の発作で苦しむようになりました。

そんな時に、妻の人脈で著作の下請けみたいなアルバイトが舞い込み、目次作りから、本を書く代行へと経験を積み、「本が書けるんだ」という自信を身につけるようになりました。

ただ、本一冊を書いても、編集プロダクションを通せば、代金は10万円。直に著作を書けばどうなのかと、関係の版元に連絡したところ、出版が可能な内容であれば最低でも30万円と聞き、ダメもとで売り込みました。

当時は、ノウハウの本では難しい理経書が多く、分かりやすい本は皆無。そこで、私は入門、やさしさに特化して書いたところ、重版となり、売れ行きが順調、他の版元にも売り込めました。

その時(退職後)の本の年収は1,500万円(副業禁止の時代、今は時効)、心に傷を負うサラリーマンとしての給与は部長職でも700万円でした。それに加えて、トップからは相変わらず、パワハラ、差別の毎日。 突然の心臓発作で、救急車のお世話になることが増えました。

そこで、妻からは「会社を辞めて、自分の好きな仕事で食べればよい」との後押し。「本を書く仕事は水物、将来の保証はないよ」この私の意見に対して「いいから、やめなさい」。