NHK交響楽団のコンサートマスターとして活躍する篠崎史紀氏は、弟もチェリストと、まさに音楽一家です。2人の息子をプロの演奏家に育てた篠崎家の教育は、史紀氏いわく“独特”だったといいます。篠崎氏の著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)より、詳しくみていきましょう。

独特な父の教育法あれこれ

サンタクロースから仮面ライダー自転車をもらったとき、もう一つ大きな袋があった。中に入っていたのは自分の背丈と同じぐらいの巨大なヴァイオリン。「これはヴァイオリンの親分です」というサンタさんからのメッセージがついていた。親分となればやっつけなくてはいけない。単純な私はすっかりやる気になり、練習した。

実は、これはヴァイオリンではなくチェロだった。その後5年ぐらい、ヴァイオリンと並行してチェロも練習した。最初は子ども用だったけれど、最終的に大人用のフルサイズになったとき、チェロを持っての移動がたいへんになった。今はもっと軽いものもできているけれど、13歳だった当時のハードケースは7キロほどだった。

チェロは8歳下の弟、由紀が5歳だったときにあげることにした。幸い、彼は気にいったようでめきめきと上達し、後にプロのチェリストとなった。

両親は相変わらず、練習しろとは言わなかったし「どこそこのなになにちゃんはこの曲弾けるから、あなたも頑張りなさい」などと比較したりもしない。

私と弟も育て方が違ったようで、弟は桐朋学園大学音楽学部を出て、その後ウィーン市立音楽院を経て、ドイツ国立トロッシンゲン音楽大学を卒業している。弟の方が丁寧に育てられているのでは? という気もするが、それぞれの個性に合った育て方だったのだろう。

子どもの頃、練習がうまくいかなくて頭がぐちゃぐちゃになっているときに、ふと気づくとテーブルの上にさりげなく音階教本が置いてあったりした。

「なるほど。パガニーニは音階でできあがっているのか……あれ、一緒やん。音階さらえばこれ弾けるようになるやん」

と、気づく。教本は父か母が置いておいてくれたのだろう。知らん顔しながらも、親は私のことをよく見ていた。

[画像1]子どものときにチェロを弾く私 出所:『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)より抜粋


[画像4]大人になって子ども用のチェロを弾く私 出所:『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)より抜粋

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よい子は真似しないでください!?…篠崎家流「やる気」の出させ方

父は、将棋やカードゲームなど、人との駆け引きを楽しむことが好きだった。私に練習させることもゲームの一環として楽しんでいた。

私に新しい曲の楽譜とお金を見せて、たとえば「チャイコフスキーのコンチェルト、2週間でどうだ?」などと尋ねてくる。父が決めた期限で弾けるようになれば報酬がもらえる。2週間を超えてしまえば、逆に罰金を払わないといけない。目の前にニンジンをぶら下げられている状態だ。父はいつだって、私の好奇心や競争心をくすぐるだけくすぐった。

もちろんお小遣いが欲しいし、もともとが負けず嫌いなので受けて立つ。でも相手はプロ。「史紀の実力ならこの曲をマスターするにはこれぐらいの期間かかるだろう」と、わかっている。たとえば「2週間でどうだ?」というときは、2週間はきついけど3週間あればできるという、ギリギリのところをついてくる。

父はポーカーや花札も好きだった。ヴァイオリンを弾いていた叔父も一緒にやった。

子ども相手なのに、父も叔父も勝負には容赦ない。手加減もしない。平気で高度な作戦を仕掛け、欺いてきたりする。

でも負けた悔しさは意外にすぐ忘れ、駆け引きをするときのドキドキした気持ちや、勝ったときにアドレナリンがあふれる感覚を覚えた。

どんなに勝っていても、調子に乗って一歩歯車が狂わせると転落する。ベットの意味やベットを使うタイミングも教え込まれた。ここまでは楽しいけれど、ここから先は楽しくないという感覚も覚えたし、引き際の大切さも学習した。そのおかげか、外で博打をやりたいという願望はいっさいなくなった。

父独特の教育法で、私の性格には実に合っていた。とはいえ「よい子は真似しないでください」と、注釈をつけておかないといけないだろう。
 

 

篠崎 史紀
NHK交響楽団特別コンサートマスター/九州交響楽団ミュージックアドバイザー