税務署から「税務調査をしたい」と連絡が…

電気が止まり、やがてガスが止まるなか、季節は初冬を迎えました。澄江さんの生活は、暗くて寒い自宅のなか、自身の乏しい年金と預金のみを頼りとする、厳しいものでした。

そんなある日、澄江さんのもとへ税務署から手紙が届きました。そこには「宏さんの相続税が申告されていないようなので、税務調査に伺いたい」と書いてありました。電話がつながらないので手紙を送りました、とも。その頃には、澄江さんの家は電話も止まっていたのです。

手紙を読んで、澄江さんは心底驚きました。宏さんの死にあたって、葬儀も出したし年金も止めたし、やるべきことはきちんとしたつもりで、税金の申告など頭の片隅にもなかったからです。

不安でいっぱいになった澄江さんは、藁にもすがる思いで古新聞に載っていた税理士事務所へ電話をかけました。澄江さんの依頼を受け、税理士は代理人として税務署と対応することとなりました。

税務署によれば、澄江さんの自宅は大きく、相続税評価額で1億5,000万円は下らないため、それだけでも相続税の申告義務があるとのこと。

そして、澄江さんは初めて相談できる相手が見つかったとばかりに、税理士に対して、ここ数ヵ月どれだけひどい生活を送ってきたか窮状を訴えました。

「こんなに寒くなったのに、暖房だってつかないのよ! 夜は暗いなか手探りで……」

その後、税理士は戸籍の収集をして宏さんの兄弟と連絡をとり、同時に自宅にきていた郵便物から銀行や証券会社とやりとりし、残高証明書を集めました。

その結果、銀行預金が総額2億円、証券会社に1億円もの財産があったことが判明しました。宏さんは多数の金融機関に財産を分けており、各金融機関では大口顧客として認識されていませんでした。そうした事情もあり、宏さんの死亡を金融機関が把握するのが遅れたようです。

宏さんの兄弟とは、遺産についてはすべて澄江さんが相続する旨の遺産分割協議書を交わすことができました。金融機関の手続きも滞りなく進み、ほどなくして宏さんの全財産を澄江さんの銀行口座へ振り込むことができました。もちろん公共料金等の自動振替手続きも済ませました。

当初、税務調査の連絡に脅えていた澄江さんでしたが、結果として、それをきっかけに正常な生活を取り戻すことができたわけです。澄江さんは「税務調査が入ることになってよかった。ありがとうございます」そう感謝したのでした。

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妻も知らない財産への税務調査が来た理由

ところで、澄江さんが何も知らせていないのに、なぜ税務署が「相続税の申告が必要なのではありませんか?」と調査にきたのでしょうか。 

実は、死亡届を区役所へ提出すると、自動的に税務署に通知がいくようになっています。その通知を受けて、税務署はあらゆる情報を収集し、亡くなった人の財産額を想定します。

国税庁は国税総合管理(KSK)システムにより、国民1人ひとりの所得や相続した財産の状況などを一元的に管理しています。つまり、個々人がどれだけの財産を持っているかは、おおよそ把握されているのです。

その想定財産額が基礎控除額を上回っているのに相続税の申告がない場合は、無申告案件として調査に入る可能性が高まります。また、相続税の申告をした場合でも、申告額と税務当局の想定財産額とに大きな隔たりがあれば、タンス預金を疑われ調査が入る可能性があります。

無申告案件は、税に対する公平性を著しく損なうものとして、税務当局としてはその把握に積極的に取り組んでいます。令和4事務年度においては、実に705件の無申告案件の実地調査が行われています。

澄江さんの場合は、税務調査が来てくれたおかげで、これまで自分1人では滞っていた様々な手続きを済ませることができ、また、相続税やペナルティは払うことになりましたが、それを払っても十分なだけの財産を得ることになりました。

これからの日本では、こうした澄江さんのような高齢者が少なからず発生することが予想されます。大切な人にこのような思いをさせないために、どのような備えをしたらよいのでしょうか?

まずは、きちんと遺言を書いて、遺言のなかで遺言執行者を指定しておくことをお勧めします。そして、「もし自分が亡くなったら遺言執行者に電話を1本かけること」と配偶者によく言い聞かせ、分かりやすい場所に連絡先を貼っておくとよいかもしれません。

高齢化と認知症割合の増加が進むなか、澄江さんのケースは他人ごとではありません。ぜひ、皆さんも自分ごととして取り組んでみてください。

井口 麻里子
辻・本郷税理士法人
税理士、1級ファイナンシャル・プランニング技能士