人の行動は、選択を禁じることも、ご褒美をあげることもなく、“ちょっとした工夫”でより良い方向に変えることができます。「行動経済学」の考え方と効果について、グーグルのニューヨークオフィスの事例を交えてみていきましょう。橋本之克氏の著書『世界最先端の研究が教える新事実 行動経済学BEST100』(総合法令出版)より紹介します。

グーグル・ニューヨークオフィスの食堂に導入された“シンプルな工夫”

グーグルは、「食事はすべての基本だ」という考えのもと、社員に対する飲食物の提供に力を入れています。日本オフィスでも、豊富なメニューを取り揃えたランチが無料です。飲み物の自動販売機ではお金を入れずに、ボタンを押すだけでペットボトル飲料が出てきます。食後のデザートも豊富に提供されるので、新たに入社した社員の中には太ってしまう人もいるようです。

グーグルはかつて「社員の寿命を2年延ばす」と宣言して、計画を具体化させました。その一つとして知られているのが、ニューヨークオフィスにおける食堂のレイアウトの工夫です。改善の目的は、食べたい物を好きなだけ食べるのではなく、極力健康に良い食事を摂るよう社員に促すことです。

また、必要以上に食べ過ぎないようにします。具体的には、食べ物のレイアウトを工夫しました。例えば、野菜をできるだけ目立つところに置き、リンゴやバナナなど体に良い食べ物を取りやすい中央に配置します。逆に、デザートは目立たない場所に置きます。色とりどりのチョコレートが詰まった透明なディスペンサーは、不透明で取りにくい容器に変えました。

改善は決して複雑ではなく、むしろシンプルですが、開始早々に成果が出始めたと言われています。例えば、デザート一回分を小さいサイズとすることにより1週間で、菓子類によるカロリー摂取は9%低下しました。

さらに小さい取り皿を選びやすくして、置き場に「大きなお皿を使う人ほど、よりたくさん食べる傾向があります」と表示しました。その結果、小皿の利用率が1.5倍に上がり、全体の32%が小皿を利用するようになりました。

甘いソーダ飲料を自由に取って飲める冷蔵庫がありましたが、その中でミネラルウォーターを取りやすい場所に、ソーダ飲料は取りにくい場所に移動しました。この配置移動だけで水の摂取量が47%増え、飲み物からのカロリー量は7%減りました。

これらはすべて、強制や命令をすることなく、暗に良い行動を示すという発想です。この方法は行動経済学における「ナッジ(nudge)」と呼ばれるものです。次項では行動経済学とは何か、さらにナッジの活用についても解説します。

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男子トイレにシールを貼ると清掃費が下がる

ナッジの訳は「ひじで軽く突く」というものです。選択を禁じることも、インセンティブを大きく変えることもなく、予測できる形で人々の行動を修正する仕掛けや手法です。

これは、シカゴ大学教授のリチャード・セイラーらが発案したもので、「人々に必要な情報を提供すれば経済行動をより合理的な方向に変えられる」というものです。

そのナッジの典型的な事例が、アムステルダムの「スキポール空港のトイレ」です。

ここの男性用小便器の中には小さな黒いハエの絵が描かれています。中央ではなく少し左側に描かれ、自然に止まっているように見えます。用を足すときに利用者は無意識に、このハエを狙おうとします。



【画像】スキポール空港のトイレ 出所:『世界最先端の研究が教える新事実 行動経済学BEST100』(総合法令出版)より抜粋

非常に簡単な仕組みですが、飛沫による汚れ率は80%減少したそうです。結果的に、空港トイレの清掃コストが8%減少したと試算されています。

ハエの絵の代わりに「トイレをきれいに使いましょう」と張り紙をしても、おそらく効果は薄かったでしょう。利用者の良心に訴え、小言のようなメッセージを伝えても、人の行動は変わらないのです。

ナッジを活用して人々を無意識のうちに誘導することで、清掃費を削減し、多くの人々がメリットを享受しました。

今ではこの手法が、弓矢の的やサッカーゴールのデザインなど、様々に形を変えて世界中のトイレで役立っています。

橋本 之克
マーケティング&ブランディングディレクター/著述家