「ドラえもん」の声役を26年間つとめ、子どもから大人まで幅広い層に親しまれた声優の大山のぶ代(本名・山下羨代=やました・のぶよ)さんが2024年9月29日、死去した。90歳だった。10月11日にわかった。

2008年に脳梗塞になり、リハビリでかなり回復していたが、その後、認知症になって療養中だった。女優、声優、脚本家、歌手など芸能界の仕事のほか、料理研究家としても活躍し、多数の著作があった。夫はタレントで初代「たいそうのおにいさん」の故・砂川(さがわ)啓介さん。

「ブーフーウー」のブーも

1933年、東京都生まれ。都立三田高卒。俳優座養成所を経て50年代後半から女優としてテレビドラマに出演。そのかたわらの人形劇やアニメで声優の仕事も始め、「ブーフーウー」のブー(ウーは黒柳徹子さん)、「ハリスの疾風」「のらくろ」「サザエさん」「国松さまのお通りだい」などで活躍した。

特に1979年からスタートした「ドラえもん」のドラえもん役は爆発的にヒット。他の声優仕事をすべて断って2005年まで専念し、独特のドラ声で国民的な人気を博した。歌手としても「ドラえもん音頭」がミリオンセラーを記録した。

ドラマでは「じゃがいも」「熱中時代」「女弁護士 朝吹里矢子」などに出演。バラエティやクイズ番組にもしばしば登場し、「太陽にほえろ」の脚本も数本書くなど多才だった。ラジオも常連で、「全国こども電話相談室」の回答者もつとめた。特徴ある声を買われて多数のCMもこなした。

4世代が同居する13人の大家族で育った。子どものころから台所仕事を手伝っていたこともあって、料理が得意。『夕食ばんざい』『嫁と姑の面白クッキング』など約20冊の料理本も出している。

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アルツハイマー型認知症を、夫・砂川さんが公表

多くの子供や親に夢を与え続けた大山さんだが、自身は子供に恵まれなかった。最初の赤ちゃんは死産。38歳で授かった二人目は未熟児で、3か月の命だった。「次に妊娠したら、母体が危ない」と医師に宣告され、病院の床に崩れ落ちたという。

夫の砂川さんは、もし子供が元気に育っていたら、仕事を辞めて家庭に入り、「大山のぶ代のドラえもん」は誕生しなかっただろうと回想している。45歳で授かった「ドラえもん」について、大山さんはいつも「私たちの息子のようね」と言っていたという。

2001年にがんが見つかり手術。その後に患った脳梗塞も徐々に好転し、一時は再び声優の仕事をしていたが、12年、アルツハイマー型認知症の診断を受ける。砂川さんは親友の毒蝮三太夫さんのアドバイスもあり、妻の認知症の公表に踏み切った。

砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社、15年刊)によると、大山さんの症状はだんだん進み、記憶はおぼつかない。かつて自分が「ドラえもん」だったことも覚えてないかもしれないという。砂川さんは17年7月にがんで先立った。