映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でレオナルド・ディカプリオ演じる主人公のモデルとなったジョーダン・ベルフォート氏が語る投資術。ある日、義弟のフェルナンドから「相談に乗ってほしい」と言われたベルフォート氏。なんとフェルナンドは、60日足らずで10万ドル近い投資額を失ってしまったのだ。60日のあいだに一体なにが起こったのか? ベルフォート氏が、彼に伝えたこれからの投資戦略とは? 本記事は、ベルフォート氏の著書『ウォールストリート伝説のブローカーが弟に教えた 負けない投資術』(久保田敦子訳・KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。
投資のコツだけを教えても何の意味もなさない
夜が更けると、フェルナンドは私にとても深い質問――そのときは彼自身その深さに気づいていなかったが――を投げかけた。「売るべきか、売らざるべきか」この先どうすればいいかばっかり気にして、過去の過ちを一切振り返ろうとしない義弟はその夜ずっと即効性のあるヒントばかりを求めてきたが、この質問もその一環だった。
義弟のこの態度は私には馴染みがある。痛みを避け快楽だけを求めるという人間の本質だ。こんなやり方を続けるのは、義弟のためにならないと私は確信していた。
投資についてアドバイスをするのはこれが初めてじゃない。過去三十年間、投資のコツを求めて大勢が私のもとにやってきた。そこで私が骨身に染みて理解したのは、「なぜそうなのか」を説明せずにコツだけを教えても、何の役にも立たないということだ。本当に変えるためには――つまり、継続的な変化を求めるなら―深い理解が欠かせないのだ。
すなわち、なぜこの投資は良くて、あの投資がダメなのか、その理由を学ぶ必要がある。そうでなければ、同じ破滅パターン――アグレッシブな短期売買や、損失を取り戻すためにさらに金をつぎ込むこと、ペテン師のアドバイスを鵜吞みにすることなど――にすぐに舞い戻ってしまう。そしてフェルナンドのように、ゴミクズで構成されたひどい投資ポートフォリオを手に、年度末の請求書の山に頭を抱える羽目になる。
義弟のこの質問が重要なのは、まさにそのような結果を招くからだけではない。「資産をいつ売るか判断する際に、購入時に払った価格を判断基準とする」という素人投資家がやりがちなミスの核心に触れるからでもある。
例えば、義弟のケースでは、10万ドルの投資の大部分が煙のように消えてしまったが、まだわずかにポジションが残っていた。細かく言うと、総額3000ドルに満たない、3件のクズ株、4件のクズコイン[何の価値もないクズのような暗号資産]、そして2件のほぼ無価値のNFT[非代替性トークンの略語で、特定の希少な品の所有権を表象するデジタル資産。現在のところ多くはデジタル化された芸術作品の所有権として用いられているが、収集価値の高い物品や不動産にも活用できる]から構成されていた。
特にNFTは、義弟がこれらを買うとき、一時的に正気を失っていたのではないかと問わずにいられないほどひどい芸術作品だった。猿がコンピューターとコラボしてデジタル化されたゲロを撒き散らしたとしか私には思えなかった。いくらNFTでも、ここまでひどいのにはなかなかお目にかかれない。
フェルナンドのように、賢く教養もあり、機知に富む人物が、なぜこんなあからさまなガラクタを買おうと思ったのか。その答えは端的に言うと、こうだ。買うときはいつも――最初にテスラの株を買ったときから、生かじりの知識で暗号資産の海に乗り出すまで一貫して――友達やオンラインからの情報、はたまた直感を信じたからかは問わず、実際に何かを買ったときはいつでも、その価値は上がると彼は考えていた。
いずれにせよ、義弟のポートフォリオには合計9件のポジションが残っていて、その市場価値の合計は3000ドルに満たなかった。それら9件のお宝のために支払った金額は? およそ4万9000ドルだ。それら9件のうち一番の失敗は? 一株18ドルで1000株買い、現在の取引価格が一株35セントの株だ。
一番マシなのは? 1トークン当たり1ドルで1万トークン買い、現在の取引価格が1トークン当たり40セントのクズコインだ。残りの7件は、その間にあり、現在の取引価格が購入価格に近いものはひとつもない。
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フェルナンド「すべてがすごく下がったから何も売りたくない」
ここで、フェルナンドとゴルディータはひとつの決断を迫られた。「売るべきか、売らざるべきか。それが問題だ」唯一の問題は、この2人の意見が一致しないことだった。
「それじゃあ」と我が通訳者は仲裁人の口ぶりで言った。「二人はどうすればいいの? フェルナンドはすべてがすごく下がったから何も売りたくない、今はそのまま持ち続けて、価格が戻るのを待つべきだと考えている。フェルナンドが言うには、単なる……」
「単なる紙の上のこと」と義弟が助け舟を出すと、クリスティーナが応じた。「それそれ。紙の上のこと。今のところ損失は紙の上だけだけど、一旦売却すれば、それでおしまい。お金は戻ってこない」妻は彼女自身、最後の言葉に半信半疑な様子で肩をすくめた。そして今度はもっと勢い良く付け足した。
「でもゴルディータはこう考えているの」そのときゴルディータは私の方を向いて、目を細めて視線を投げかけた。まるで「自分が可愛いなら、あたしの味方をするべきよ」とでも言いたげに。「全部売り払って、一からやり直すべきだって。えっと、英語でなんて言えばいいの?『丸ごと清算する』かな。あなた、どう思う?」
私はしばらく考えた。面白い、と私は思った。価格に関係なくすべてを売り払って悪夢を過去のものにし、最初からやり直したい、というゴルディータの欲求は、私にも充分すぎるほど覚えがある。つらい経験に区切りをつけて過去のものとしたい、それにまつわるあらゆるネガティブな暗い感情と縁を切りたい、という身を切るような欲求。それこそ、何年も前に私自身が体験した欲求だった。
私が逮捕されてから数年間の暗黒時代のことだ。スローモーションで死に向かうような、息苦しい感覚だった。富の象徴がひとつ、またひとつと我が身からゆっくりと引き剝がされるような苦しみ。なまくらの剣で緩慢に殺されるようなものだった。いっそのこと、すべてを一気に失い、牢屋に入り、服役するほうがどれだけマシかと思ったことを覚えている。
つらい経験の痕跡――私の場合は車、家、船、服、お金、妻、時計、宝石。義弟夫婦の場合はクズ株、クズコイン、ゲロNFT――がすべてなくなるまで、嫌な記憶に埋もれて、新しい一歩を踏み出すための深呼吸ができなかった。だから、ゴルディータの言うことも一理あった。
一方で、フェルナンドの考えもよくわかる。終わりにしたいという一時の感情に負けるよりも、理性的で論理的なアプローチのほうが最終的には得だ。結局のところ、みんな余りにも値下がりしてしまったのだから、売ったとしてもたかが知れている。3000ドルを取り戻したところで、焼け石に水だ。たったそれっぽっちなら、売っても売らなくても大して変わらないじゃないか。紙の上の損失を現実の損失にして、お金を取り戻すチャンスを失うことに何の意味があるのか。