ファッションデザイナー稲葉賀惠さんのブランド「yoshie inaba(ヨシエ イナバ)」が2024秋冬シーズンで終了する。1981年に誕生して以来、多くの大人の女性に愛されてきた。稲葉さんがこのブランドに込めた思いを明かした。
「目指したのは、決して派手ではないけれど、素材を吟味し、知的で、あると便利なもの」────稲葉賀惠
ブランドのコンセプトは「美しさと心地よさにこだわり、トレンドを意識しながらもそれに流されない定番の服」。
「私の服はオーソドックスなものが多い。流行をちょっと入れて、ずっと着てもらいたいという思いで作ってきました。目指したのは、決して派手ではないけれど、素材を吟味し、知的で、あると便利なもの。料理でいえば、絶品の家庭料理、かしら」
1939年生まれ。横浜や鎌倉で育ち、戦後、アメリカの雑誌や映画を通しておしゃれを知った。普段着は母親が縫うか、近所の仕立屋に頼み、よそ行きは母親に連れられて、銀座で仕立てたという。
「サンドレスを着たくても、母が『肌を出しちゃいけません』とか『ボレロを着なくちゃいけません』というので、自分で着たい服を作ったら、友だちからよくほめられました」
文化学院を卒業後、原のぶ子アカデミー洋裁学園に進み、本格的に洋裁を学んだ。1970年に株式会社ビギを設立。ブランド「BIGI」を、1972年には「MOGA」を始め、両者は大人気のブランドに成長。1981年に「ヨシエ イナバ」をスタートさせた。
撮影:鋤田正義
美しさと着心地の良さを形にするため、こだわり続けたのが、布選びだ。肌に触れた時の感触を大切にした。そのため、ブランド設立当初から「ロロ・ピアーナ」や「アニオナ」など、イタリアの高級生地を取り入れていたことも特徴のひとつ。メンズで使われていた最高級の素材であるビキューナの感触が好きで「女性にも着せたいな」と、いち早く使ったこともある。
「とにかく布が大好き。いい素材は肌が覚えているから」
自身の「好き」を形にしてきた稲葉さんは、今まで自分のブランドの服しか着たことがないという。しかも10年前、20年前の服も直して着ている。自分のブランドの服が古びず、長く着続けられるものだということを自ら証明している。
ファッションデザイナーという仕事。飽きることはなかったのだろうか。
「デザイナーという仕事は飽きない。でも自分のデザインには飽きることもある。飽きることは必要。だから、次のことを考えるのが楽しいのです」
お客様と接するのも大好きで、イベントで店頭に立ち、アドバイスをする。
「お客様がこれまで着たことのない服に挑戦し、自分自身の新たな一面を発見する。そして、うれしそうな表情を見せるのが、私にとっても何よりうれしいんです」
多くの女性にとって身近な存在であり、着ることで、ちょっと楽しくなったり、魅力的になったりできた「ヨシエ イナバ」の服。「最後にメッセージはありますか」と尋ねると、こんな言葉が返ってきた。
「私の服を好きでい続けてくれて、ありがとうございました、としか言いようがありません」
1990年代前後に製作し、稲葉さんが約35年着続けていた定番のイブニング。「ヨシエ イナバ」を代表するような、メンズの要素を取り入れたデザインが特徴。タキシードからインスパイアされたロングジャケットにロングドレスを合わせた着こなしに。
撮影:岡田昌紘/写真提供:国立新美術館
聞き手:マリ・クレール デジタル編集長 宮智泉
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yoshieinaba.com