私は、人生の折り返し地点を過ぎた55歳の主婦。30年以上もの付き合いがある親友がいます。しかし、なんとなく関係がうまくいかなくなってしまいました。なぜ?と悩む私のもとに、ある日彼女から1通の怒りのメールが送られてきたのです。とても怒っている様子で、このままでは友人を失ってしまうと思った私は、関係改善しようと話し合いました。その結果、たどり着いたのは、ある1 つの結論でした。

友人からの届いた怒りのメールに私は…





彼女とは30年以上もの長い付き合い。お互いの長所も短所も認め合い、困ったときには助け合えるとても良好な関係でした。お互い子どもは1人でパート勤務、夫は出張がちなどの境遇が似ており、同じような悩みを持っていました。そのためか、2週間に1度の電話では話がはずみ、通話時間が2時間を超えることもしばしば。住まいが遠いので、会えるのは年に1回ほどでしたが、その時間はとても充実していました。しかし、そんな2人に加齢によるお互いの価値観の変化がもたらす心のすれ違いが生じ始めたのです。

当時、世間ではコロナ禍の影響による失職という話題も取りざたされていました。失職が心配な私は、在宅ワークを始めることに。運よく仕事も受注でき、パートと在宅ワーク、定年退職後の夫の世話で大忙しの毎日。一方、彼女の夫は現役で帰宅も遅い上、子どもも結婚で独立をされ、寂しかったようです。そんな心の隙間を埋めるべく頻繁に連絡を取りたがる彼女に、忙しさであまり連絡を取れない私。それでも関係を保ちたいと、短時間でも連絡をしましたが彼女には不満だったようです。そのうち、なんとなく2人の間に隙間風が吹くようになっていきました。

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彼女からの怒りのメール、その内容は

彼女との関係に悩んでいたある日、1通のメールが。私は、2人の間に流れる空気がおかしいと感じつつも、時間を見つけてはなるべく連絡を取るようにしていました。「コロナ、お互いに気を付けようね」などの会話を交わしながら関係を維持していたのです。しかし、維持できていると思っていたのは、残念ながら私だけでした。

メールの文面には、加齢によるお互いの価値観の変化で、子どもの独立により寂しがり屋になり、友人とは頻繁に連絡を取り合いたいと思う彼女が、年齢を重ねるごとにやりたいことがたくさんで自分の生活を優先させあまり積極的に連絡を取らなくなった私に、付き合いが悪くなったという不満がつづられていたのです。親友なのにこんなに連絡を取り合えないのはおかしい。これが親友と呼べるのか、といった内容でした。

私自身も大切な友人である彼女と満足にコミュニケーションを取れないことを悔やんでいる一方で、在宅ワークで始めたライティングが楽しくなり、もっと仕事の幅を広げたいし、いろいろな人たちと知り合いたい。習い事などもして自分の世界を広げたいという思いを捨てることができませんでした。