パワハラ、体罰、過労自殺、サービス残業、組体操事故……。日本社会のあちこちで起きている時代錯誤な現象の“元凶”は、学校教育を通じて養われた「体育会系の精神」にあるのではないか――。
この連載では、日本とドイツにルーツを持つ作家が、日本社会の“負の連鎖”を断ち切るために「海外の視点からいま伝えたいこと」を語る。
第2回目は、“ブラック体質”につながる「皆勤賞」、そして学校校則をはじめとする「同じ=平等」という感覚から生まれる弊害についてである。
※この記事は、ドイツ・ミュンヘン出身で、日本語とドイツ語を母国語とする作家、サンドラ・ヘフェリン氏の著作『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)より一部抜粋・構成しています。
「皆勤賞」という欺瞞
子どもの「個」を無視しているものに「皆勤賞」があります。
「毎日元気に学校に通うのはいいこと」を前提にしたものですが、現代の価値観に合わなくなってきていることは否めません。「休まなかった子ども」を表彰すれば、必然的に「学校を休むのは悪いこと」という価値観が子どもたちに刷りこまれてしまいます。
小学校の6年間、一度も風邪をひかず、ずっと元気いっぱいの子がいることは否定しませんが、もしも風邪やインフルエンザでも無理して学校に通っているのだとしたら、それこそ問題です。皆勤賞の存在は「風邪でも無理して学校に行く」という行為を生み出すのです。
たとえば私の出身のドイツでは風邪を引いた時に「病気です」と言うのが普通ですが、日本では「風邪は病気じゃないだろう」とツッコまれることが少なくありません。風邪は万病の元とも言いますし、風邪をこじらせていいことは何もありませんので、風邪を引いた時は子どももちゃんと休むのが健全です。
逆に風邪を引いても無理して通学するということに慣れてしまうと、それこそ社会人になった時に「インフルエンザなのに出勤した」という周りにとって迷惑な大人になってしまうかもしれません。
現に日本ではインフルエンザだと分かっているのに出勤する人がいますが、そういう人の話を聞くと、本人には「周りにうつるかもしれない」という罪の意識が薄く、むしろ「出勤している自分は偉い」という感覚に取りつかれていることが多いのです。こういった価値観になってしまうのは、小学校のころからの「皆勤賞」が一因ではないでしょうか。
ただ「皆勤賞」に見られる「どんな時でも休まないのは偉い」といった価値観は、最近日本でも問題にされ始め、「皆勤賞」を取りやめる小学校も増えているというのはちょっといいニュースかもしれません。
(※コロナ禍があったことで、日本でも最近「具合が悪い時は休む」ことが以前よりも受け入れられるようになりました。喜ばしいことです。)
「同じ=平等」の妄信
日本社会では、「全員が同じルールに従わないと不公平」という感覚が強いです。校則も同じ感覚に従って作られています。
しかし外国人や外国にルーツのある生徒も増えた今、髪の毛について「色は黒で直毛」をスタンダードにすることは平等でもなんでもありません。平等どころか黒人の血が入った生徒にも直毛にすることを求めたり、髪の色が明るい白人系の生徒に黒髪に染めさせたりすることは人種差別です。
多様なバックグラウンドの生徒が増えている今、「みんな同じにすれば平等だ」という発想は間違いです。
最近は世間でも、「同じにすることがすなわち平等とは限らない」という声が聞かれるようになりました。次に掲げるような絵がウェブ上では多く見られ、盛んに議論されています。全員に同じものを与えるのではなく、全員が同様に幸せになれるように工夫して、それぞれに合わせたものを与えることが真の平等です。
図「平等と正義」(『体育会系 日本を蝕む病』光文社新書より)
今の日本の現状は図の左側です。「人間はそれぞれ違う」ということが無視され、とにかくみんなに同じものを与えておけばいいという状況です。
でも学校で長年、「個」としての自分を抑えつけたまま社会に出ると、不自由な大人になってしまいます。欧米人と比べると日本人は自尊心が低いと言われていますが、学校がその一因でしょう。
自尊心をやられて一種の「学校後遺症」になってしまう大人もいる一方で、厳しい校則を疑うことなく「過剰適応」してしまった結果、理不尽なルールであっても「誰であれそのルールを破ることは許せない」人が日本には多くいます。
日本の電車で「携帯で話していたから殴った」というような事件がたびたび起きているのはそのせいです。そこには「ルールを守らない人には何をしてもいい」という思考が垣間見えます。
日本の学校の校則は生徒が一方的に守るべきもので、生徒自身の発言権が重んじられていないことがそもそも問題です。
「国連子どもの権利委員会」は、1998年6月以降、日本政府に対し数回にわたって、「日本の学校制度では子どもが参加する権利(条約12条)が制限されている。子どもの意見の尊重が十分でない」と警告しています。