◆前回までのあらすじ
アパレル関連の会社を経営する翔馬(32)は、モテるが本気で恋愛をしたことがない。食事会で出会った香澄(31)に懇願され付き合うことになったが…。
▶前回:ズルい男の常套句。「将来は約束できないけど…」と前置きして、女と付き合う彼の本心とは
Vol.11 女の意外な一面
「この間は、素晴らしい別荘にご招待いただいたのに、あんなことになって…すみませんでした」
土曜日の17時半。秋山を食事に誘った俺は、店に入る前に謝った。一端の大人としてそのくらいは誠意を見せたかったのだ。
「いやいや、全然いいよ!若者が意見をぶつけ合うのってなんだか青春じゃん。気にしないで」
秋山のその余裕が羨ましい。
裕福であることが一因なのは間違いないと思うが、様々な経験をしてきているから、一つのことに執着しないのだろう。
― 秋山さんって、既婚者?独身?知る機会がなかったけど、今さら聞くのも違う気がするよなぁ…
そんなことをひとり思いながら、俺は秋山と入店した。
「ここ、来てみたかったんだよ。ありがとね翔馬くん」
元麻布にある『天よこた』に前回訪れたのは、7月。
その時も、次は必ず彼女と来てやる!と意気込んだのに、またもや男性と来てしまった。
しかし、結局美味しいものは誰と食べても美味しいのだ。そう自分に言い聞かせ、俺は秋山さんと冷えたビールで乾杯した。
シンプルな前菜の後は、名刺代わりとも言わんばかりの海老。
サクッとした食感とともに海老の甘みが一気に広がり、噛むたびにプリっとした食感が心地良い。
ほんの少しの塩で、その旨みがさらに引き立てられる。
「何歳になっても、やっぱり天ぷらは海老が一番好きなんだよね」
「俺もです」
目の前で揚げられる冬の味覚は、シンプルながらも、計算された温度と時間で仕上がっていく。
〆の天丼も大きめのどんぶりでいただき、大満足で店を後にしたが、時刻はまだ20時前。
「すぐ近くに行きつけのバーがあるんですが、そこ行きます?ウイスキーに詳しいマスターなので、秋山さんも好きかと」
「いいねぇ。でも、よかったらジャズバーに行かない?銀座に新しくオープンさせた僕の店なんだけど…」
秋山にそう言われたので、二つ返事で同意し、俺は道でタクシーを止めた。
彼が運転手に告げた場所で降り、ビルの地下へと潜る。
薄暗い照明に包まれた店内には、柔らかなレザーのソファとテーブルが程よい間隔で配置され、ピアノとサックスが低く響いている。
銀座のど真ん中なのに、外の喧騒とはまるで別世界だ。
客たちは静かに会話を楽しみながら、グラスを片手に音楽に耳を傾けていた。
「そこにしようか」
秋山がピアノのすぐ近くのテーブルを指差し、俺たちはそれぞれウイスキーをロックで注文した。
「何か、乾き物でも頼もうか。それとフルーツも」
「そうですね。お任せします」
そんなやり取りをしていると、女性のジャズシンガーの歌唱が始まった。
「彼女はベテランなんだよ」と秋山が教えてくれたとおり、ジャズのことがわからない俺でも、惚れ惚れしてしまう実力者だった。
3曲ほど歌っただろうか。女性が客に会釈すると拍手がおき、またピアノとサックスだけの演奏に戻った。
「ブルーノートは何回か行ったことあるんですけど、ジャズ聴きながらの酒、やっぱりいいですね」
俺が月並みの感想を述べると、秋山はなぜかニヤリと笑った。
「次は、ジャズは初心者のシンガーなんだけど…きっと翔馬くん驚くと思うよ」
と言いながら。
― 俺が、驚く…?
演奏が止まり、違う女性がステージに向かって歩いてくる。
「えっ?ミナちゃん…?」
俺が案の定びっくりしているので、秋山は満足そうだった。
スパンコールのワンピースを着たミナがステージに立つと、客たちの会話が止み店内が一瞬で彼女に集中する。
「あの子見たことあるかも」などという声がチラホラと聞こえた。
やはり、俺が知らなかっただけで、ミナはそこそこ認知度があるアイドルだったようだ。
俺はYouTubeでしかミナのアイドル時代を見ていない。しかし、その映像のミナとは別人だ。
アイドル時代の可愛らしい輝きはどこか影を潜め、新たなステージに立っていた。
ミナはマイクを軽く握ると、ピアノの前奏に合わせて歌い出した。
― すごい…。
その瞬間、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
柔らかくも芯のある声が、空間を包み込むかのように響く。
一音一音が、まるで彼女自身の物語を語るようで、その中に隠された感情や過去が透けて見えた。
きっと、ものすごく努力したのだろう。そう思うと、涙さえ出そうだった。
「ミナちゃんって、こんなに歌えるんだ…」
俺はグラスを握りしめ、視線を彼女から外すことができなかった。
彼女が、アイドルとして可愛らしさを振りまいていた頃を俺は映像でしか知らない。でも、あの時とは全く違う姿なのはわかる。
歌声はどこか切なく、それでいて力強い。
彼女が最後のフレーズを歌い終えると、店内は静寂に包まれた。わずかな瞬間の静けさの後、拍手が一斉に起こる。
俺は、ミナの存在感と実力に言葉を失った。
「秋山さん…ヤバいっす」
そう呟き、ミナに視線を向けると彼女と目が合う。
彼女は一瞬驚き、その後恥ずかしそうに微笑んだが、その笑みにはこれから進むべき道への覚悟がにじんでいた。
「どう?驚き、桃の木、山椒の木でしょ?」
「いや、秋山さん古すぎです。てか、死語すぎます」
俺はツッコミながらも、秋山に感謝していた。ミナの生歌を聞くことができたのだから。
「そういえば、香澄ちゃんと付き合うことにしたんだって?」
「はい。でも、実はあんまり気持ちが乗らなくて…」
俺は、香澄への正直な気持ちを秋山に吐露した。
「その気持ち、正しいかもね。あの軽井沢の夜、本当は何があったか話すね」
秋山が香澄を追いかけると、彼女は別荘の入り口にいた。みんなの元へ戻ろうと説得するが断られたため、秋山は遅くまで営業している和食居酒屋に、香澄を連れて行ったらしい。
― まぁ、そこまでは想定内だな。
俺は、2杯目のウイスキーを飲みながら静かに聞いていた。
「そこでね、香澄ちゃんが結婚に対して焦ってるって話を1時間くらい聞いたんだよ。でね…秋山さんでいいから、彼女にして〜って言われてさ。抱きつかれちゃったのよ」
― は?
なんとも言えない気持ち悪さと、怒りを感じ、全身に鳥肌が立った。
「で、秋山さんはどうしたんですか?」
俺は低い声で、でも感情を乗せずに淡々と聞いた。
「やめなさいって言って、身体を離したよ。誰でもよかったのかもね…。いや違うな。話を聞いた感じだと、お金持ちなら誰でもいいって感じだった」
香澄と付き合うことになった日、彼女は俺のどこが好きなのかを伝えてくれたのだが、イマイチ刺さらなかった。
それは、心から思っていなかったからなのだろう。
仕事を含めた今の生活に満足していない。だから、結婚することで、足りない何かを満たそうとしているのだ。
「はっ、ははは」
俺は思わず笑ってしまった。見抜けなかった自分がアホらしくて、そうするしかなかった。
「ちなみに…」
秋山はまだ何か言いたそうだった。
「僕は独身だし恋人もいないんだけど、恋愛対象が女性じゃないんだよね」
― !!?
「だから、どちらかと言えば香澄ちゃんよりも翔馬くんの方が好きなわけだよ」
「えっ!!!」
秋山が衝撃発言をした後、ミナがテーブルにやってきた。
「もう〜〜!翔馬くんと来るなら言ってくださいよ」
今日の仕事は終わりだそうで、彼女も一緒に飲むことになった。
それはもちろん歓迎なのだが、頭の中がパンクしている俺は、ちゃんと歌の感想も言えず、ひたすらパニクっていた。
「といっても、安心して。君がストレートなことは知ってるから、そういう目では全く見てないよ」
秋山が言い、ミナは店のスタッフにカンパリソーダを注文した。
俺は、秋山と出会った日を思い出していた。あれはやはり正真正銘の“ナンパ”だったのだな、と。
▶前回:ズルい男の常套句。「将来は約束できないけど…」と前置きして、女と付き合う彼の本心とは
▶1話目はこちら:「LINE交換しませんか?」麻布十番の鮨店で思わぬ出会いが…
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