2018年6月、東海道新幹線「のぞみ」の車内で乗客女性2人がなたで切りつけられ、止めようとした会社員の男性が切られて死亡した東海道新幹線車内殺傷事件。犯行当時は22歳で現在も服役している無期懲役囚が獄中から発していたある言葉とは? 最新刊『フォールンブリッジ』(徳間書店)で、行き場なき者たち、「無敵の人」による犯罪の背景や社会の深部を読み解いた御田寺圭氏による特別寄稿をお届けします。
人を殺め、幸福を手にした男
世間ではあまり話題にならなかったが、とても哀しい報せがあった。2018年、東海道新幹線で発生した無差別殺傷事件の犯人であり、現在は無期懲役囚として収監されている小島一朗受刑者からの手紙である。
多くは人の命を奪う重大な事件を起こしながら、刑が確定した後は社会から忘れ去られていく無期懲役囚。期限のない刑罰によって、人間はどう変わり、どう変わらないのか。
現在も服役している受刑者には、あえて無期懲役を狙って事件を起こし刑務所での生活を「とても幸せ」と表現する若者や、「有期刑なら深い反省はなかった」と考えを改め仮釈放の機会を自ら放棄した者など、様々な人がいる。彼らと手紙をやり取りする中で、無期懲役という刑罰の限界が見えてきた。
(弁護士ドットコム『無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは』2024年9月4日より引用*1)
この事件は「最初から無期懲役を狙うつもりで事件を起こした」と語る男によって引き起こされたことが明らかになり大きな波紋を呼んだ。そして裁判によって(被告人の希望通り)無期懲役が確定したとき、彼は法廷で大きな声で万歳三唱したことで世間を震撼させた。覚えている人も多いのではないだろうか。
彼は幼少期に発達障害と診断されていた。家族とくに父親との折り合いが悪かったらしく、中学卒業後には家を追い出されるように自立支援施設に入った。定時制高校を出てから職業訓練校に入り、そこで得た技能をもとに機械点検の会社に入った。
だが職場の人間関係に馴染めずに早々に退職した。その後は一人暮らしをしばらく続けるも、生活資金が底をついて以降は祖父母の家に転がり込んだ。しかし一向に実家には帰らず、ホームレスのごとき暮らしを送っていたという。
メディア向きには実家に帰らないことから『家出状態』と記述されていた。先の見えない破滅的な日々をさまよい歩いてきた彼はやがて「無期懲役になって、刑務所で暮らしたい」と考えるようになっていった。
取材に応じて書かれたという小島受刑者の手紙には、以下のように記されていたという。
<信じられないかもしれないが、私は今とても幸福です。こうなることは人を殺す前から分かっておりました>
<日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある>
<刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ。ところが刑務所は努力しなくてよい。社会にいる時にあれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは食べないと食べてください(と)お願いされる>
<仮釈放は怖い。もう二度とシャバには出たくない>
(弁護士ドットコム『無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは』2024年9月4日より引用*1)
取材した記者の神経を逆なでしてやろうとか、世間を挑発してやろうとか思ってわざと露悪的なことを言ったのではなく、小島受刑者の偽らざる「本音」だったのだろう。
(広告の後にも続きます)
刑務所より生きづらかった「一般社会」
学力的には問題がなかったとしても、コミュニケーション能力や社会性に著しい困難を抱えていた彼にとっておそらくこの社会は耐え難いほどに「生きづらい」ものだった。
少なくとも、刑務所で囚人として生きるほうが「ひとりの人間として尊重されている」と感じられるくらいには。
一般社会であれほど望みながら手に入れられなかった衣食住や友人や娯楽や仕事が当たり前のように提供され、しかも自分のことを心配して看てくれる人が常に傍らにいる――彼にとっては一般社会こそが「刑務所」で、刑務所こそが「一般社会」のような表情をしていた。
私が小島受刑者の手紙を「皮肉で書いたのではなく本心からの言葉だ」と感じるのは、私自身もかつてそういう道に堕ちてしまった旧友から、小島受刑者のそれとまったく同じ主旨の言葉を聴かされたことがあるからだ。
私のある旧友もまた、生きることには不器用すぎて悪の道に堕ちていき、犯罪に手を染めて捕まり、刑務所で過ごしていた時期があった。彼が出所したのち偶然に再会して話をしたとき、彼は私にこう言った。
「刑務所は間違いなく底辺。だけど、それ以上落ちることはないから安心できた。シャバは地獄。落ちる人はどこまでも落ちるから。」
刑務所では最低限とはいえ衣食住が保証されているし、仕事が与えられ、テレビを観たり本を読んだり勉強したりもできる。それらは彼にとって、シャバでは望むべくもなかったものだった。
彼がシャバで得ていた仕事は、機械工作とか家具の組み立てとか、そういう世のため人のためになる“まっとう”なものではなく、他人を騙して陥れ、ときに暴力を振るってカネを不当に巻き上げる非道な営みだった。
だがそういう非道を「仕事」にするしか、彼には選べなくなっていたのだ。
ある一群の人びとにとって、実社会のほうがもはや刑務所よりも冷たい。
人間関係からも社会経済からも徹底的につながりを断たれ、社会の正式なメンバーとして見なされていない、いわば“透明な存在”として浮遊しているような虚無感や孤立感ばかりが募ってくる。
普段は自分のことを社会の正規メンバーとしてはまったくカウントしていないくせに、しかし自分がなにか“わるさ”をしたときにだけ、社会の正規メンバーに適用される「法」を持ち出して裁きを与えてくる。
彼らにとって、社会は自分を包摂するときではなく、排除するときにだけ、自分たちを視界に入れるような感じがするのだ。
自分たちが社会から無視され無化される「透明人間」でなくなるのは、包摂されるときではなく排除されるときだけ。そういう理不尽と疎外感がますます「シャバに生きていたくない」という感覚を強める。
<死ぬまで刑務所に居てもよい無期でこそ、私と国は一つとなる。無期なら国が死ぬまで面倒を看てくれる>
(弁護士ドットコム『無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは』2024年9月4日より引用*1)
なんの恨みもない人を殺し、裁判にかけられ無期懲役囚になって、それでようやく彼は国(社会)から「メンバーシップ」を与えられた実感を持ったというのは、残念で哀しい。