いま、自称“日本一強いアナウンサー”として話題になっているフリーアナウンサーの堀江聖夏さん。SNSで公開した「チャイナドレス姿で“瓦割り”をする動画」が大きな反響を呼んだ。
堀江さんは空手黒帯。小学校1年生の頃から空手を始めたそうだが、これまでに公開した瓦割りの動画の中には、なんと4000万回再生を超えるものまである。
そんな彼女は、アナウンサー業以外にも訪問型の保育事業を手がける会社を経営するなど、多方面で精力的に活動している。
学生時代のエピソードや瓦割り動画に目覚めた理由、将来のことなどについて堀江さんに話を聞いた。
◆小学4年生から芸能の世界へ
堀江さんは、小学4年生の時にバラエティ番組「ザ!世界仰天ニュース!」(日本テレビ系)の再現VTRに出演し、芸能界入りを果たした。
「歌ったり踊ったりするのが好きだったので、学生時代から芸能活動に力を入れてきました。小学生の時は、浅草花やしきを拠点にした『花やしき少女歌劇団』や、『AKB48 チームB 研究生』といったアイドルグループに所属していましたし、中学生からは歌手を目指してエイベックス・アーティストアカデミーに通っていました。
高校時代には下北沢の本多劇場でミュージカルに出演するなど、表舞台に立つことが多かったなと感じています」(堀江さん、以下同)
◆いじめで不登校になったとき、祖母の言葉が支えに
しかし、幼少期には同級生からいじめを受け、一時は不登校になるくらいの苦痛を経験したこともあるという。
「小学生から芸能活動を始めたのもあり、周囲からはちょっと“目立つ”存在だったんですね。テレビに出た次の日からいじめが始まって。自分の机や椅子がなくなったり、休み時間も無視されたりと、蚊帳の外に置かれたような感覚でした」
そんななか、心の支えになったのが祖母の存在だったと堀江さんは続ける。
「学校に行くのが辛くなってしまった時期に、祖母から『いじめっ子にウジウジしないで、学校に行って自分の好きなことをして過ごせばいいのよ。そうすれば、いじめている方も面白くなくなるから』と背中を押してもらったんですよ。そのときに祖母の力強さやたくましさを感じましたね」
自分の好きなことは何なのか。自問自答するなかで、堀江さんは小学1年生から始めた「空手」と「絵」という答えにたどりついた。
「いじめを受けながらも、自分の好きなものを見つけ、それを強みに変える。自分の好きなことに没頭している瞬間は、周りを気にせず集中できるので、それが自分の武器になると思ったんです。そう確信できたのは祖母のおかげで、今でも本当に感謝しています」
◆10年間毎日続けたブログで身についた「言語化能力」
堀江さんがアナウンサーを志したのは、高校3年生のときだった。
高熱にかかって入院した際に、お天気キャスターの皆藤愛子さんをテレビで観たのがきっかけになったそうだ。
「事務所の先輩である皆藤愛子さんの笑顔にすごく癒やされて。将来はだれかに元気を与えられるような大人になりたいと思ったんです。大学ではミスコンでグランプリに輝き、そこからセント・フォースに所属してアナウンサーを始めることになりました」
大学時代のミスコンも、社会人としての就職も「自分と向き合うことがたくさんあった」と堀江さんは振り返る。
自分が何を考えているのかという内側の思いを言語化し、相手に伝わるように発信していく。
アナウンサーの仕事を通じて「言葉に責任を持つ意識」を信条にしてきたという。
「コミュニケーションをしていく上で、言語化能力を高めるのが非常に大事だと思っています。なので、セント・フォースに所属してから10年間は365日毎日ブログを書いていました。『日々の出来事を記録して発信する』というのを欠かさずに繰り返したことで、言語化する力はだいぶ身についたなと感じています」
◆コロナ禍を機に国際医療NGOと関わるように
11月20日に行われた日本発祥の国際医療NGO団体「ジャパンハート」主催のビジネストークイベントでは、MCとして出演した堀江さん。
暗雲が立ち込めていたコロナ禍において、ジャパンハート最高顧問である小児外科医・吉岡秀人氏を中心に行われた「マスクを医療従事者に届ける」という社会貢献プロジェクトに感銘を受け、活動に参加するようになったという。
「当時はコロナ禍で25歳だったため、ボランティアに取り組むだけの心の余裕はほとんどなくて。自分の目の前のことをやるのに一生懸命だったんです。その一方で、ジャパンハートの皆さまが、時代が止まったような状況でも、社会貢献に動いている様子を見て『自分も何かできないかな』と思いました。
そんななかで、吉岡先生の行動力と熱意にすごく感銘を受け、ジャパンハートの活動に共感してくださる支援者のコミュニティ『ジャパンハート部』の立ち上げに参画して、月1でオンラインイベントの開催を手伝っていました」
現在、堀江さんはスポーツや企業イベントでのMCを務める傍ら、2024年7月には教育事業を展開する「株式会社JapanNanny.」を立ち上げ、経営者としても活動している。こうした二つの異なる顔を持ちつつも、本人にとっては「どちらも目的は一緒」だと語る。
「『子どもの個性を尊重した居場所を作りたい』というのが最終的なゴールだと考えています。実はアナウンサーとしても、教育関係の仕事で子どもと関わる機会が多いんですよ。
アナウンサーや経営者という立場が異なっても、子どもたちのありのままの姿を尊重し、才能を引き出していくというマインドセットを大切にしています」
◆空手技で挑む瓦割り動画で、驚異の“戦闘力”を披露
SNSによる情報発信にも力を入れており、2023年末から投稿している「瓦割り動画」は大きな話題を集めている。
“剛柔流空手初段の黒帯”としての実力を発揮しているわけだが、「瓦割りは以前からやっていた」と堀江さんは説明する。
「今から8年前、祖父が営む北品川の天ぷら屋さん(※現在は閉店)のご縁もあり、ケーブルテレビ品川の『じもトリップ!』という番組に出演させていただく機会がありました。実はお店の近くに空手道場があって、番組ロケ中に瓦割りをやって結構バズったんですよ。
そのときはお遊びだったのですが、去年の年末に友達と『年の瀬だし、気合入れて動画を投稿しよう』という話になって(笑)。そこで 久しぶりに行ったのが例の空手道場でした」
◆チャイナドレス姿で瓦割りをする意外な理由
堀江さんは現在、空手はやっていないものの、キックボクシングを続けるなど、毎日の運動は欠かさずに体を鍛えているそうだ。
その証拠に、ふくらはぎの筋肉は隆々としており、“アスリート顔負け”のたくましさ。
これまで瓦割りに挑戦してきたなかでの最高記録は16段。「次は20段を達成できるように頑張りたい」と堀江さんは意気込む。
また、チャイナドレスを着て瓦割りをするには理由があるという。
「自分の『強み』や『好きなこと』を発信するひとつの手段として、チャイナ服の姿で瓦割りに取り組んでいます。そうすることで、子どもたちに個性を大事にすることや、好きなことを続ける大切さを伝えたいなと思っています。
これからも『子どもたちの個性が尊重された居場所を作る』ためにがんばっていくので、応援よろしくお願いします!」
子どもたち一人ひとりが輝ける居場所づくりのために、堀江さんはプロの保育士と協力しながら事業に取り組んでいる。将来的には、学校のような形に残せるようなコミュニティを作っていきたいという。
“日本一強いアナウンサー”が見据える未来に期待したい。
<取材・文・撮影/古田島大介>
【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている