『ぷよぷよ』『はぁって言うゲーム』の生みの親が語る“人生が変わるゲームのつくりかた”「ゲームの面白さはルールで決まる」

 90年代、社会現象を巻き起こした落ち物パズルゲーム「ぷよぷよ」の企画・監督・脚本を手がけ、10年代にはテーブルトップゲーム「はぁって言うゲーム」をヒットさせたゲーム作家・ライターの米光一成氏(59)。

 コンピュータとアナログ、どちらのゲームの世界でも活躍する同氏が、このたび「ゲームづくりの奥義」を書き記した『人生が変わるゲームのつくりかた――いいルールってどんなもの?』(筑摩書房)を発表。

「ゲームも、君の人生も、 ルール次第でおもしろくなる!」と帯に銘打たれた本書には、社会人、学生、果ては中学生でも学びが得られる「場を楽しくするルール」が数多く紹介されており、人生の指南書にもなっている。現在、後進の育成にも取り組むゲーム作家が考えるルールの重要性、そしてアイデアを膨らませる秘訣とは?

◆鬱屈していた幼少期に衝撃を受けた“映画”

――数々の人気ゲームを生み出してきた米光さんの新刊ということもあり、読み始める前は「ゲームづくりを志す者」のための教科書のような内容だと思いました。しかし、実際は子どもでも読みやすいノンフィクションになっています。

米光一成(以下、米光):「ちくまQブックス」というシリーズは「14歳に向けたノンフィクション」をテーマにしているということを知り、それは僕が書きたいと思っていた内容と合致していたんです。そのため、筑摩書房から執筆依頼をいただいたときは「ぜひ、書かせてください!」と、二つ返事で快諾しました。

――なるほど。もともと、想定していた読者層が子どもだったのですね。それでは、米光さんが書きたかった内容とはなんだったのでしょうか?

米光:僕は子どもの頃、あまり明るい性格ではありませんでした。ずっと、鬱屈とした日々を送っており、「どうして、僕は生きているんだろう?」などと、考えていたくらいです。

 しかし、13歳のときに映画『スター・ウォーズ』を観て衝撃を受けたんです。しかも、「9部作ある」という噂まである。そのときに「よし! これを全部観るまでは生きてみよう」と思えたんです。もし、この世界に『スター・ウォーズ』が存在していなければ、僕はどうなっていたのかわかりません。

 そのこともあって、『人生が変わるゲームのつくりかた』は当時の僕のような子どもに向けて、「理不尽な『ルール』があったとしても、自分たちの力で少しずつでも変えることができるんだ!」ということに気づいてもらいたくて書きました。

◆「ルールを守って遊ぶ」ことでゲームは楽しくなる

――本書はシリーズということもあって、すでにページ数は決まっています。しかし、米光さんは予定されていた3倍くらいの文量を書いたと聞きました。

米光:深夜のテンションでポエムを書いてしまったので、そこは削りました(笑)。気持ちとしては13歳の僕に向けて書いていますが、読むのは今の時代の人たちのため、『スター・ウォーズ』の話は割愛したりして、ギュッと凝縮しました。それに、ページ数という制約があったおかげで、逆に冗長な部分を削ることができて、結果的には良かったなと思っています。

――まさにそれも「ルール」ですよね。本書を読んで改めて、ゲームの面白さはルールによって左右されるということがわかりました。

米光:僕はこれまでコンピュータとアナログのゲームを作ってきましたが、「ルールを守ること」で初めてルールが維持されて、ゲームは成立するのです。特にアナログゲームはみんなで遊ぶものなので、勝ち負けがあるとはいえ、実は協力作業なんですよね。守らなくてもいいルールを、みんながきちんと守ることで楽しさが生まれる……。つまり「ルールを守りながら遊ぶこと」自体が楽しいのです。

 手札を隠したりしてインチキができるルールのゲームもありますよね。しかし、そこであえてインチキをせずに遊ぶことで、「面白い場」が生まれます。

◆「ぷよぷよ」は驚きの少人数チームで生まれた

――本書では「ルールのつくりかた」こそが「ゲームの楽しさ」につながっていくと指摘されています。そのためのさまざまなノウハウが紹介されており、ゲーム好きでなくとも多くの学びが得られます。

米光:もともとはゲーム作りたい人向けに書いていたのですが、前出の動機があったため、書いているうちに「もっと広い人に届けたい」と思うようになりました。

 当初のタイトル案は『楽しいゲームのつくりかた』でした。僕もそのタイトルに沿って書いていたのですが、最終的に編集者から「この内容だったら『人生が変わるゲームのつくりかた』のほうが合っていると思います」と言われたのです。「ちょっと大げさかな」と悩みつつも、書き上げたときには「確かに『人生が変わるゲームのつくりかた』のほうがタイトルとして合っているな」と実感しました。

――「コミュニケーションがうまく取れない」という実体験が、ゲームにつながったというエピソードは印象的です。

米光:僕はコミュニケーション下手です。僕が最初にコンピュータゲームの制作を始めた頃は、所属していたコンパイルという会社も10人くらいの小規模なチームで、和気あいあいとした雰囲気で作業ができました

――そんな少人数で『ぷよぷよ』は作られたのですか……!

米光:しかし、1990〜1995年以降、PlayStationなどの登場で制作人数がどんどん増えて巨大化していき、スタッフ数は150人以上に膨れ上がっていました。その規模になると、ディレクターには統率力が求められます。しかし、コミュニケーションが得意でない僕のような人間が上に立つと、すれ違いや誤解がたびたび起こりました。

◆コミュニケーション下手から誕生した大ヒットゲーム

――職人気質の人間が管理職に就くと、うまくいかないとはよく言いますよね。

米光:当時の僕はとても無愛想でした。「これ、良いよ!」なんてわざわざ言わなくても、仕事なのだから過剰に褒める必要はない。みんなプロフェッショナルだから、「『良いものは良い』と伝えれば十分」と思っていたんです。

 ところが、あるとき部下がグラフィックを持ってきた際に、「オッケー」と軽い感じで返答したところ、「やり直します……」と返してきたのです。驚いて「いや、『オッケー』と言ったよね?」と伝えると、部下から「でも、その『オッケー』の言い方、米光さんが『納得している』ときの言い方ではなかったです」と言われてしまった。そのとき初めて、言葉だけではなく、伝え方やニュアンスがどれだけ重要なのかということを痛感しました。

 その後も、同じような体験は続きます。そこで、コミュニケーションのズレを楽しみながら、みんなで改善・実感してほしいと思って作ったのが『はぁって言うゲーム』なんです。このゲームでは、実際に「自分が伝えたつもりでも伝わらない」ということを、楽しく体験できます。

――少しマイナスな気分からゲームが生まれたのですね。

米光:なにかあったら「ゲームにしよう」と考えるタチなんですよ。

◆新しい発想を生み出す「自分マトリクス」とは?

――本書では自分が興味あることについて制限時間を決めて、ひたすらキーワードを書き出す「自分マトリクス」というワークを紹介されています。いわゆる、ブレインストーミングに近いですが、米光さん自身はこのメソッドをいつくらいから考案されて、ゲームづくりに取り入れられたのでしょうか?

米光:自然と生まれてきた方法なんですよね。「ぷよぷよ」をつくったときには、すでに使っていました。当時、「テトリス」が大ヒットしていたため、会社から「落ちゲーを作れ」と言われたんですが、「テトリス」の二番煎じになるのは嫌だったんです。そこで、最初に「テトリス」の特徴や魅力をキーワードとして書き出してみました。

――「きっちりとハマったときが気持ちいい」ということや「BGMの『コロベイニキ』がかっこいい」などでしょうか?

米光:僕にとって「テトリス」はその「ソリッドさ」が大きな魅力でした。固いブロックが落ちてきて一直線に消えるという、非常に数学的で論理的なデザインですね。一方で、当時の多くのゲームは、かわいいキャラクターや柔らかい雰囲気が中心でした。そこで、「『テトリス』のソリッドさを禁じ手にして、柔らかくて親しみやすい雰囲気をテーマにしたらどうだろう」と考えたんです。そうして生まれたのが「ぷよぷよ」でした。

――「自分マトリクス」で『テトリス』のソリッドさを削ぎ落として、ぷよの柔らかさに着目したことで、大ヒットに結びついたのですね。

米光:このときは、まだ方法論としてまとめてはいなかったのですが、キーワードを自由に書き出していくことで、新しい発想が得られるということに気が付きました。それが徐々に、自分の中でメソッド化されていって、今の「自分マトリクス」ができあがったのです。

◆アイデアを出す秘訣はない「ただ考えるだけ」

――アイデアは一瞬のひらめきではなく、何度も考え込むことでようやくかたちになるのですね。

米光:よく「アイデアを出す秘訣はなんですか?」と聞かれますが、正直「秘訣はなくて、ただ『考える』だけです」と答えたくなります。結局、「考える」ということを続けるほかありません。多くの人は、アイデアがひとつ浮かぶと、そこで満足して考えることを辞めてしまいます。しかし、考え続けることで、さらに良いアイデアが出てくることもあるんです。

――考える続けることが、ゲームづくりの秘訣なのですね。

米光:ただ、「ずっと考えろ」と言っても、実際に考え続けられる人は少ないんですよね。だからこそ、紙にキーワードや要素をひたすら書き出す作業が重要になります。無駄だと思えるくらい書き出してみる……。そのプロセスを経ることで、普段ぼんやり考えているときでも、なにかしら考えられる状態を作り出せるんです。つまり、「考える」という行為を具体的な手順に落とし込んでやりやすくしたのが、「自分マトリックス」なのです。

◆考案したメソッドのせいで教え子が仕事を辞めた!?

――米光さんはデジタルハリウッド大学をはじめ、オンライン講座「ゲームづくり道場」などで、教鞭を執っています。受講生たちにもこうしたメソッドを教えているのでしょうか?

米光:もちろん、やってくれる人もいれば、やらない人もいます。「1日5分で良いから続けることが大事」とは伝えています。ただ、ある受講生は毎日、一生懸命取り組んでくれたのですが、6〜7年ぶりに偶然再開した際に「私、『自分マトリクス』のせいで会社辞めちゃいました!」と言ってきたんですよ。

 詳しく話を聞いてみると、その子は文章や活字が好きで、ワークショップ以降も毎日たくさん「書くこと」を続けていました。ところが、仕事が忙しくなっていき、書く時間がなくなったんですね。そんなときに、昔書いた「自分マトリクス」をたまたま見返してみたところ、「今、自分は好きなことを書けていない」と気付いた。そして、そのまま仕事を辞めて校閲の仕事を始めたそうです。去り際に「あのとき、仕事を辞めたおかげで、今はやりたいことができています」と言ってくれました。

――受講後もワークショップで米光さんから学んだことが生きたということですが、まさに「人生が変わるゲームのつくりかた」ですね。

米光:そのとき、「書くこと」の力を改めて感じました。書いているときは自分で気づいているつもりでも、意外と気づけていないことがある。そして、あとで書いたものを見返すことで、改めて新しい発見ができる……。だからこそ、「5分間でいいから書き出してみる」というのは効果的です。

 この時間制限には「自己検閲を取り払う」という効果があります。時間内に100個も書くことを目指していると、「これは書いていいかな?」などと、考えている暇がなくなります。その結果、落書きのように自由に書けるようになり、普段は書かないことや言わないようなことが自然に出てくるのです。これを繰り返すことで、意外な発想や面白いアイデアにつながることもあるため、ぜひみんなにも試してみてほしいですね。

<取材・文/千駄木雄大>

【米光一成】

1964年生まれ、広島県出身。『ぷよぷよ』『トレジャーハンターG』『バロック』など、数々のコンピュータゲームの企画・監督・脚本を手がけてきたゲーム作家・ライター。2014年からはテーブルトップゲームの制作をはじめ、『はぁって言うゲーム』などをヒットさせる。最新作『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』が絶賛発売中

【千駄木雄大】

編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある