中山美穂の突然の訃報に衝撃が走っています。アイドル、歌手、俳優として、昭和、平成、令和にわたって活躍して、多くの作品を残してきました。
その中でも、今回は歌手としての中山美穂にクローズアップしたいと思います。
◆中山美穂が歌った曲が人々の心に残っている理由
1985年に「C」でデビューしてからは、「BE-BOP-HIGHSCHOOL」、「ツイてるねノッてるね」、「WAKU WAKUさせて」など、作詞・松本隆、作曲・筒美京平のゴールデンコンビによるヒット曲を連発。
そして90年代に入ると、WANDSとの共演による最大のヒット曲「世界中の誰よりきっと」が生まれます。また「ただ泣きたくなるの」などの名バラードも発表し、アイドル時代から成長した姿を音楽でも表現してきました。
ただし、中山美穂は決して上手ではありませんでした。音程や技術、声量の面からすれば、彼女より優れたシンガーは多くいたでしょう。今の時代ならばデビューすることすらままならなかったかもしれません。
それでも、不思議なことに中山美穂が歌った曲は聞く人の心に残っています。うまい歌手だったという評価よりも、良い曲を歌っていたと記憶されているからです。彼女の歌声は、それ自体が主張するのではなく、曲の良さを包み込む器のようなものだったのだと思います。曲の魅力を伝える媒介のような役割。それが歌手、中山美穂だったのではないでしょうか。
◆明るく陽気な声じゃないからこそ良い「世界中の誰よりきっと」
筆者が中山美穂の存在を最初に意識したのは、カーラジオから流れる「You’re My Only Shinin’ Star」を聞いたときでした。たしか小学校3年生ぐらいのこと。エネルギーとテンションを全開にした当時の他のヒットソングとは明らかに質感が異なる歌と音楽だったからです。
同時に、子供心にも、どこか頼りない、もろい歌に聞こえました。けれども、その弱さがギリギリのところでこらえて、角松敏生による美しいメロディの反語的な切なさを伝えていると感じました。それが9歳の心をキュンとさせたものの正体だったのでしょう。
この切なさは、「世界中の誰よりきっと」でも重要な要素です。これを根っから明るく陽気な声で歌うと、全く違った曲になってしまいます。ポジティブなラブソングの行間に潜む、ためらう心を表現することで、奥行きが生まれるからです。
それを中山美穂は技術ではなく、彼女自身の資質によって表現してみせたのです。
◆中山美穂の資質を全面に押し出した名曲
そして、その資質を全面に押し出した名曲が誕生します。それが「ただ泣きたくなるの」です。<ただ泣きたくなるの>という歌詞が感情の高まりを表すのにシンクロして、メロディも上昇していく。最後は裏声になります。
この危うげな綱渡りを成立させているのが、他ならぬ中山美穂の切なさなのです。儚く、壊れそうな声が、曲のコンセプトをたくましく支えているのです。
これらのヒット曲を、彼女より上手に歌える歌手はいくらでもいます。ひょっとしたら一般人でもいるかもしれません。
◆中山美穂は“ソウルシンガー”だった
けれども、上手さは天才の反対でもある。そう考えると、中山美穂の歌は天才的でした。資質や人格を声に託す能力は、小手先の技術を遥かに凌駕します。あえて言うならば、中山美穂は“ソウルシンガー”だったのです。
後に登場する華原朋美や中島美嘉などの歌手も、その意味での“ソウルシンガー”であり、中山美穂が切り開いた道を歩んだ歌手なのだと思います。
つまり、中山美穂は素晴らしい歌手ではなく、素晴らしい曲を歌った歌手なのです。
そして、それこそが歌の原点だと言えるのでしょう。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4