14歳でメジャーデビューを果たし、その後は“現役女子高生アーティスト”として話題を呼んだ吉田凜音さん(24歳)。
アイドルにはじまり、バンドやラップなどの音楽活動、さらにはモデル、女優など幅広いジャンルで活躍してきた。だが、こうした華やかな経歴の裏には多くの挑戦とともに、今まで語ることのなかった葛藤や苦労もあったという。
10周年を迎えた今、自らの活動テーマを「Break All Borders」に設定し、次のステージに向けて決意を新たにしている。
彼女の歩んできた道や、芸能活動を通じて追い求めた自身のあり方、これからの展望について本人に話を聞いた。
◆“しょこたん”の影響で歌手を目指すように
北海道出身の吉田さんは、幼稚園の頃から両親とともに音楽アーティストのライブを身近で見る機会が多かったそうだ。
「北海道で開催される日本4大フェスの1つ『RISING SUN ROCK FESTIVAL』に連れていってもらった時は、ステージの前から3、4列くらいでアーティストのライブを観ていました。当時は子供の肩車がOKだったので、父親に担いでもらって、幼いながらに『将来はアーティストになれたらいいな』と思っていましたね」(吉田さん、以下同)
また、小学1年生から札幌アクターズスタジオへ通い、週6でダンスや演技、音楽のレッスンを受ける生活を送っていた。
歌手を目指そうと思ったきっかけは、テレビ番組「ポケモン☆サンデー」(テレビ東京系列)に出演していた中川翔子さんが、タレント活動だけでなく歌手としても活躍していると知り、そのワンマンライブに参加したことだという。
「中川翔子さんのライブツアーのスケジュールを見ると、地元の北海道でも開催予定があったので、母親にチケットを買ってもらって一緒に観に行きました。ファンの方はすごく熱量が高くて、衣装を自分たちで作って、ファン同士で写真を撮ったりしていたので、私も母親と一緒に衣装を作ってライブに参加したんです。
そしたら、ライブ中の“しょこたんと踊る”という企画に選ばれて。大きなステージで踊るという貴重な体験をさせてもらったのですが、舞台上から見る光景は本当にキラキラしていて、『私の将来の夢は歌手になる』と決意した瞬間でした」
◆「かっこいい女性でありたい」という思いが強かった
転機が訪れたのは、アクターズスタジオのオーディションライブに参加したときだった。レコード会社からスカウトされ、ソロアイドルとしてのデビューが決まったのだ。
中学校に進学してからは、アイドル活動と学校生活の両立が始まった。
毎週金曜日の午後に学校が終わると、そのまま新千歳空港に向かい、週末は東京でライブを行う。
そして月曜日の一番早い便で北海道に戻り、2、3時間目から学校の授業に遅れて参加していたとのこと。
このように精力的に活動していた一方で、「素の自分を貫き、意志を持って活動する」ことを意識していたと吉田さんは言う。
「正直アイドルにしか見えない年齢でしたが、本当はアーティストになりたかったんです。ただ、いきなりアーティストとして活動するのは厳しい。そう感じたので、まずはアイドルから頑張ってみようと思ったんです。
そのなかでも、アイドルに寄り添わずに『可愛さ』よりも『かっこよさ』を追求していました。アイドル自体は好きですが、自分を演じるアイドルは嫌だったんですよ。当時からずっとかっこいい女性でありたいと考えていました」
◆ラップの曲がネットでバズり、“現役女子高生アーティスト”としてブレイク
その後、高校1年生の時に発表した「りんねラップ」がSNSでバズり、一躍ラッパーとして話題を集めた。
「私自身、新しいことに挑戦するのが好きな性格で、ラップに関してはあまり知らなかったのですが、プロデューサーから『ラップやってみない?』と言われたので、じゃあ試しにやってみようと思ったんです。
そして『りんねラップ』のMV(ミュージックビデオ)をネットに上げたところ、ライムスターの宇多丸さんやSKY-HIさんなどに注目いただくなど、想像以上の反響がありました。それ以来、レコーディングするときも、ライブで『りんねラップ』を披露するときもすごく楽しくて舞い上がっていましたね」
高校時代から、アイドルという枠から飛び出し、バンドをやったりヒップホップの楽曲を出したりと、さまざまなことに挑戦するようになったという。
ABEMAの恋愛リアリティーショー「真冬のオオカミくんには騙されない」の出演や、ファッションモデルの久間田琳加さんと、映画「ヌヌ子の聖戦」 のW主演を飾るなど、活動の幅を広げていく。
「今まで無我夢中で歌手になるためだけに行動していたのが、気持ちに余裕が出てきたことで、女優のオーディションも受けられるようになりました。アイドル、ラップ、バンドなど本当にいろんな活動をして、ちょっと落ち着いてきたタイミングだったので、演技もしてみたいと思うようになったんです」
◆「何事も中途半端になってしまう」という不安と向き合い…
そんな吉田さんの多岐にわたる活動を見て、世間の人からは「何をやりたいんだろう?」と思われることもあったとか。
あれもこれも手を出さないで、ひとつのことを極める。
そうしないと全て中途半端になってしまい、固定のファンがつかない。
こうした悩みを少なからず感じていた吉田さんだが、「幅広い活動をしているからこそ、それが自分の武器になる」と腹落ちしたことで、前に進むことができたそうだ。
「さまざまなジャンルの音楽をやりたいし、演技やモデルもしたい。一時期は、周囲から“ふわふわ”しているように見られるんじゃないかという悩みもあったんですけど、私がやりたいことをしまい込む理由はないなと気づいたというか。
高校から上京してきて、自分の可能性を広げるためにいろんな活動をしてきましたが、どれも全身全霊込めてやっているし、それが私の個性であり良さでもある。そう思えたのが18歳くらいでした」
一方で、吉田さんは「嫌なことは全部忘れてしまう性格」だと話す。仕事やプライベートでの辛いことや悲しいことは自然と脳内から消え、今も心に残っているのは「とにかく楽しかった」という充実感だけだという。
◆コロナ禍は今までの自分を見つめ直すいい機会に
それでも2020年のコロナ禍では、決まっていたライブツアーが中止になってしまうなど、大変な時期だったと話す。
「今まではほとんど休まずに、ひたすら前へ突き進んできた人生でしたが、コロナで何もできずに1〜2ヶ月も自宅で過ごすのは初めてのことで。アーティスト活動が何もできず、焦りや不安も抱えていました。
こうした状況のなかで『今の自分に何ができるだろう』という風に自分と向き合う期間にしようと考えたんですね。そんなときに、マネージャーから中国のラッパーコンペティション番組のお話をいただいて。はじめは中国語も話せないし、受かるとは思ってなかったのですが、偶然にもオーディションに合格して、中国へ行くことになったんです」
◆中国での1年間は、精神的に大きく成長させてくれた
中国語は、ありがとうを意味する「謝謝(シェイシェイ)」しか知らなかったという吉田さん。半年間にわたって行われるオーディション番組「黒怕女孩(GIRLS LIKE US)」に参加するため、2021年から日本を離れて中国で1年間過ごすことになる。
結果として、最終3組まで残る健闘を見せた。だが、「時間が経つにつれて、相当しんどくなってしまった」と吐露する。
「行ったことのない国に滞在して、新しい人たちと出会い、刺激的な毎日だったんですけど、やはり“言葉の壁”だけはどうしても乗り越えられませんでした。もちろん半年間は中国語を勉強して、ある程度は喋れるようになったんですけど、3、4人から成るグループのメンバーと楽曲を作るにあたって、うまくコミュニケーションが取れないのが、もどかしく感じていました」
通訳も帯同はしていたが、音楽の専門用語まではわからないため、楽曲の細かい部分までは吉田さんの意見が伝わらなかったそうだ。
“なんとかなるさ精神”で臨んだものの、言葉が通じない現実に直面したことで、「だいぶメンタルが鍛えられた」と語る。
◆中国での活動から戻ってきたら「自分の居場所がない」
1年間の中国滞在を経て日本へ帰国。いざアーティスト活動を再開しようと思った矢先、吉田さんが感じたのは「自分の居場所がない」ということだった。
「これは初めて話すことなんですが、急に1年間も日本を離れて中国へ行き、久しぶりに帰ってきたと思ったら、『あれ、みんなどこ行ったの?』みたいに環境が大きく変わっていました。
その頃は、コロナも落ち着いてきて、アーティストもライブ活動を再開し始めていたので、自分だけ取り残されているような感覚だったんですよ。そこで最初はどうしようと思ったんですけど、『音楽活動をリ・スタートさせる』のにちょうどいいタイミングだととらえ、日本での活動を再び始めました」
吉田さんは、中国で好きになったヒップホップを自身の音楽性に取り入れるため、ラップユニット「Charisma.com」のMCいつかさんをプロデューサーに迎え、新たな楽曲をリリースしてきた。
◆死ぬまで芸能界でやっていくために“唯一無二”の存在を目指す
10周年を迎え、24歳になった今、今後の展望についてどのように考えているのだろうか。
「アーティストやモデル、女優などいろんな顔がありますが、どれも全力で頑張っていきたいですね。アーティスト活動の目標は『Zeppツアーとライジングサン出演』を掲げ、取り組んでいきたいと思っています。
映画やドラマだったら、『この役は吉田凜音ちゃんしかいない』と監督に言ってもらえるとか。別に主演じゃなくてもよくて、その横で輝いている人になれたらなと。“唯一無二”の存在を目指していきたいですね。
死ぬまでこの業界でやっていきたいので、今の自分の気持ちを大事にしつつ、応援してくれるファンの方を精一杯大切にしたい」
直近でも、女性誌『DIGVII』(主婦と生活社)が主催するオーディション番組「DIGVII AUDITION」で初代グランプリに輝くなど、これからの活躍がさらに期待される。
多彩な経験を武器に、20代を駆け抜ける吉田さんから目が離せない。
<取材・文・撮影(インタビュー)/古田島大介>
【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている