嘉門タツオ(65)「粗品よりもひどかった」30代を振り返る。八代亜紀、桑田佳祐、中島みゆき…大御所の名曲を“笑いのネタ”に

今年3月に活動を再開し、7月に霜降り明星・粗品とのバトルで注目を集めた嘉門タツオ(65歳)。30歳以上も年下の芸人から「老害」「おもんない」と言われたことについて、本人は意外にも「ムカついてない」という。

高校卒業後に笑福亭鶴光へ弟子入りするも破門を言い渡され、叔父弟子・笑福亭鶴瓶のアドバイスで日本全国を放浪するなど、波瀾万丈に歩んできた嘉門タツオの人生とは。

「サラリーマンにはなりたくない」という思いだけで転がり続け、試行錯誤を繰り返しながら築き上げてきた無二のポジション。桑田佳祐、八代亜紀、中井貴一、中島みゆき、山口百恵など、そうそうたるミュージシャンや大物たちと渡り合ってきたその歴史に迫った。

◆器の大きさを見せてくれた八代亜紀

――嘉門さんはこれまでたくさんの替え唄やコミックソングをつくってきましたが、先方から怒られたことは?

嘉門タツオ(以下、嘉門):『替え唄メドレー』の「♪誰も知らない素顔の八代亜紀~」は、元歌の『リバーサイドホテル』を歌ってる井上陽水さんと八代亜紀さんに許可を取る際、八代さんのマネージャーさんから「嘉門さんだからいいですけど、うちの八代は化粧薄いんですよ」って言われました。

これは今でもエピソードトークとしてあちこちで話してますが、八代さんも昨年この世を去られましたね。寂しいです。

僕は当時33、34歳で、こんな若造から「替え唄を唄っていいですか?」って尋ねてこられても、すでに演歌の大御所だった八代さん的にはおそらく「これを『ダメ』って言うのも私たちの器が……」と考えられたんでしょうね(笑)。快くオッケーいただきました。

でも、その後、NHKの生番組で、ステージの上からロープで吊るされて「♪誰も知らない素顔の八代亜紀~」って歌いながら降りてくると、そこに八代さんがいてハリセンで頭をバシーン!って叩かれました。

さらに後日、八代さんが出されたエッセイ集のタイトルが『素顔』。怒られたというか、自分の替え唄から生まれたストーリーが面白かったですね。

◆中井貴一の事務所にいきなりFAXを送った

――ほかの人たちはどうでしょう。

嘉門:中井貴一さん。サザンオールスターズの『チャコの海岸物語』に合わせて「♪海パンの中井貴一が腰を振る物語~」って唄ったんですけど、30年以上経ってもミキプルーンのCM見るたびにあの歌詞を思い出します(笑)。

実は許可をいただく際、うちのマネージャーが中井さんの事務所に何の説明もなくいきなりあの歌詞だけをFAXで送ったもんだから「なぜうちの中井が海パンを履いて腰を振るんですか!」って。そういう仕事のオファーだと思われたんですね。

中井さんとはずっと面識なかったんですが、15年ほど前、たまたま何かのパーティーでお会いして。中井さんから「そのとき横にいて僕、笑ってたんですよ」と言われました。

――時を経てちょっといい話になってますね。

嘉門:かぐや姫の曲で、今年の紅白にもでるイルカさんがカバーした『なごり雪』の替え唄の『なごり寿司』にしても、伊勢正三さんから「こないだも銀座の寿司屋に行ったら、いつも『なごり寿司』唄ってますねってオヤジに言われたけど、オレ歌ってないからね!」って(笑)。

◆替え唄をハモってくれたチャゲ


――総じて昔の大御所の人たちは寛容な印象があります。

 

CHAGE&ASKAの『SAY YES』で「♪何度も言うよ~君は確かに金を借りている~はよ返せ~千円~」っていうのがあるんですけど、僕がチャゲさんのラジオにでたとき、チャゲさんはハモってくれましたよ。

――そういった替え唄はすべて先方の許可を取った上で発表されているんですよね。

そうです。ちゃんと順を踏んで筋を通しているので、むしろ好意的に対峙してくれるのはありがたいです。

――許可をもらう段階で断られたケースもありましたか?

それはご本人の意向だったり事務所の意向だったり、まちまちです。体感的に昔は6:4でオーケーだったのが、今は4:6といったところでしょうか。今は配信だったりメディアも複雑化しているので、CDはいいけど映像はダメとか、ケースバイケースです。

◆味の素、アデランス…企業ソングの替え唄も

――やりづらくはないですか。

嘉門:いや、そこはもう時代に合わせてやるだけですから。逆にライブとかで「これはNGだったんですけど」という形で唄うことはできますので。「もういいや」とはならないですね。

――「♪カツオ風味のふんどし~」は味の素さんから許可をもらってるわけですよね。

嘉門:企業さんの場合はもう当時の担当者さんの立ち位置とか発言力とか、いろいろな奇跡が重なった結果です(笑)。「♪閉まってま~す、田舎のローソン」のときは「うちは田舎でも開いております」って言われましたし。完全に向こうの言い分が正しいので、ライブでしか唄いません(笑)。

――個人的には「♪私の私の彼は~アデランス~」が狂気じみていて好きです。

嘉門:“歌が途中で変わるシリーズ”ですね。アデランスさんはひょっとしたらうやむやだったかもしれないなぁ……。なかには「だしてまえ!」ってだしたけど何も言って来なかった、というパターンもあるんですよ。

――そう考えると「不寛容」と言われる今の時代、替え唄って「寛容」の象徴なのではないかと思えてきました。

嘉門:中島みゆきさんは全部ご本人がチェックされるんですね。『空と君とのあいだに』の替え唄で「♪鼻~と耳との間には~今日~もモミアゲ生えている~」はオッケーでした(笑)。

◆替え唄も時代に合わせてやればいい


――時代的に今、替え唄やパロディーがやりづらいみたいな空気は感じますか?

嘉門:そこは規制があればあるところでやればいいだけの話であって、特に感じませんけどね。20代の頃に『恋人は新興宗教の教祖』っていう曲をつくったんですよ。隣のお姉さんのところに8時になったら迎えが来る、その人が新興宗教の教祖だった、っていう内容の(笑)。

――今聴いてもなかなか攻めていますね。

嘉門:かれこれ30年くらい寝かしてましたが、国会で統一教会のことが問題になったじゃないですか。ちょっとアレンジしたら現代でもいけるんじゃないかと。CD化は無理でもライブなら。20代の頃より自分のスキルは上がっていると思いますし。

◆65歳。やりたいことはいっぱいある

――改めてここまでの人生を振り返って、自分でも波瀾万丈だったな、みたいな感はありますか。

嘉門:いやぁ、特に違和感もなく、全部通るべき道だったなと思ってます。小学校の作文で「将来はサラリーマンにはなりたくない」って書いてるんですよ。「決まった時間に会社に行って、土日は家族団らんで……そんな暮らしなんて反吐が出る!」って。粗品さんみたいなトーンで(笑)。

よく田町のサウナに行くんですけど、朝の通勤時間、会社に向かう人たちの流れに逆らってサウナに行くのは気持ちいいですよね。もちろん、そういう人たちによって社会が支えられているんですけど、僕にはできなかった。

――現在65歳。新しいことをすることに不安や恐れはありませんか?

嘉門:それはほぼないです。これから売り出すわけでもないですし、やりたいことはいっぱいありますから。今はまだ記憶がレアですけど、亡き妻と過ごした14年間のエピソードがたくさんあるのでいつか曲にしたいとは思ってます。

こないだ高校の同窓会があったんですけど、60代ともなると人生の結論がほぼでてるじゃないですか。僕はまだ変わりたいと思ってますが、みんなそれなりに歳を取ってるもんだから、クラスメイト10人のLINEをつなげるのに1時間かかりましたよ(笑)。そんな面白いやりとりも唄えるじゃないですか。

◆あいみょんの替え唄も作ってみたい


――今、流行っているヒット曲はどれも同じに聴こえて替え唄にしにくい、みたいな感覚はありますか。

嘉門:国民的なヒット曲であればそんなにないです。近年だと中島みゆきさんの『糸』とかは時代を超えた名曲だと思うんで、ゆくゆくは触れたらいいなって思ってますけど(笑)。

YOASOBIとかOfficial髭男dismとか……あいみょんも好きなんでよく聴いてます。『マリーゴールド』なんかどう替えようか触発されますよね。

謹慎中はサブスクばかり聴いてました。邦楽だけでなく洋楽も。ですからブルーノ・マーズとエド・シーランの違いとかもわかるようになりましたし、テイラー・スイフトが影響を受けたフェイス・ヒルというカントリー歌手の存在もこないだ知りました。

◆替え歌で印税はもらえない

――素朴な疑問ですが、替え唄の印税って……。

嘉門:もらえません。一切。すべてオリジナルを書いた人のところに行きます。

――じゃあ、なんでやるんですか?

嘉門:山下達郎さんにも言われたことあります。「なんでそんな効率の悪いことやってるの?」って(笑)。実際、僕がつくる曲のなかで替え唄が占める割合は15%くらいですけどね。まあ、ギターを弾いて唄うのが好きなんですよ。

今「歌ネタ四銃士」と題して、テツandトモ、どぶろっく、AMEMIYAと一緒にコンサートもやっています。みんなギターを弾いて歌ってるところがポイントです。

◆自分なりに大阪万博を盛り上げていきたい


――来年開催される大阪万博の応援ソングとして、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の替え歌『大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~』が12月18日に配信リリースされます。

嘉門:まぁ、飲酒運転で事故を起こしたということで、公式にはなかなかオファーは来にくい立場にはありますが(笑)、自分なりに盛り上げていけたらなとは思ってます。

――今年3月の復活ライブにもゲスト出演してもらうほど、元ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童さんとは親交が深いんですよね。

嘉門:宇崎さんは僕のなかで一番かっこいい存在ですよ。高校時代につなぎを着てコンサート見に行きましたから。

宇崎さんといえば、山口百恵さんと僕は同い歳で、高校の春休みに百恵さんが通っていた日出学園へわざわざ会いに行ったことがあるんですよ。(※宇崎氏は山口百恵の楽曲を多く手がけたことでも知られる)

――百恵さんには会えたんですか?

嘉門:はい。でも「サインしてください!」って言ったら「学校と仕事場は違いますから……」と断られて、すれ違いざまに僕の左足を踏んで去って行きました(笑)。

――うらやましいんだかうらやましくないんだか微妙なエピソードですね。

嘉門:宇崎さん、阿木燿子さん、さだまさしさん、谷村新司さん、三浦友和さん、三浦祐太朗さん……周りの人たちにはほとんどお会いしているんですけど、本人だけちゃんと会えてないという(笑)。

――改めて最後に聞きますが、粗品さんに対してムカついてないんですか?

嘉門:全然。30代前半なんて自分のほうがもっとひどかったと思いますよ(笑)。

<取材・文/中村裕一 撮影/スギゾー>

【嘉門タツオ】

’59年、大阪生まれ。’83年『ヤンキーの兄ちゃんのうた』でレコードデビュー。『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』『替え唄メドレー』『鼻から牛乳』など多くのヒット曲を持つ。『鼻から牛乳〜令和篇〜』が9月に配信され話題に。『大阪・関西万博エキスポ~港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~』が12月18日配信リリース、ニューアルバム『至福の楽園〜歌と笑いのパラダイス〜』が2025年3月19日発売。来年3月からは、東名阪ライブツアーも決定している。

【中村裕一】

株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Twitter⇒@Yuichitter