元卓球日本代表・石川佳純さんが、お茶目な素顔をのぞかせてくれました!パリオリンピックキャスターの裏話では、実はすごく緊張していたことを告白。好きなおにぎりの具や、現役引退後のオフの日の過ごし方など、プライベートのこともたっぷり教えてくれました♪卓球への情熱は昔も今も変わらない石川さんに、スポーツを通じたこれからの取り組みについても伺いましたよ~!
【画像を見る】明るい年の訪れを感じさせるとびっきりの笑顔が素敵!石川佳純さん
——今回は、振り袖での撮影でしたが、いかがでしたでしょうか?
とてもきれいなお着物を着せていただいて、楽しかったです! 卓球選手としての現役を引退してから、さまざまなお仕事をさせていただく機会が増えて、毎日が新鮮です。
——カメラマンのリクエストに応じて、堂々とポーズを決めていただきましたが、さすが世界の舞台で活躍してこられた方だと思いました。緊張しないコツはあるのでしょうか?
誰でも、ここ一番というときは緊張するものだと思うんです。わたしもカメラの前に立つと緊張しますし…。選手の頃は、ほどよい緊張が、良いプレー、良いパフォーマンスに繋がると思っていました。ただ、緊張しすぎも良くないので、そういうときは、いつもやっていることを淡々とこなすことで緊張をコントロールしていました。
——たとえば?
わたしの場合は、好きな音楽を聴くことが多いです。みなさんも、何かルーティンを持って、緊張しそうなときはそれをやってみるといいかもしれませんね。とはいえ、パリオリンピックでのキャスターはやっぱり、すごく緊張しました。
——テレビで拝見していたときはとても落ち着いていらっしゃるように見えたので、さすがだなと思ったのですが……。
いやいや、全然落ち着いてなかったですよ!毎回、生中継がある日は朝からドキドキしていましたし、生放送ならではのハプニングやアクシデントもありました。
でも、キャスターという形でオリンピックに関わって、選手の活躍をお伝えするのは、とても貴重で幸せな経験でした。緊張しましたけどね。
現役時代は「常に戦闘態勢」!引退後の今は「完全に脱力」!
——選手としてではなく、人前に出るお仕事が増えたせいか、どんどんおきれいになっていますよね。
とんでもないですよ!表情というか、目が変わったなとは思います。現役の頃は常に戦闘態勢で、その中で少しだけ休む…という生活だったんですね、いま思うと。お休みの日も、とにかく体調を崩さないように気を張っていました。現在は、オフの日は完全に脱力。 元々テレビっ子なので、連ドラを一気見したりして、のんびりしています。
——食事の面ではどうですか?
現役の頃に比べると、食べ過ぎに気をつけてます。カロリーの消費量が激減したのに、以前と同じだけ食べていたら大変なことになってしまうので…。わたしはとにかくお米が大好きなので、朝食は白いご飯に納豆、目玉焼き、みそ汁が定番。あ!故郷山口のご飯のお供「しそわかめ」も欠かせません!おにぎりは、鮭、昆布、めんたいこ、ツナマヨが好き。最近はいろいろと面白い具材のおにぎりも販売されていますが、わたしは冒険せずに、好きなものをひたすら食べるタイプです(笑)。
——以前のインタビューでは茶碗蒸しと焼き肉が好物だとおっしゃっていましたが、相変わらずお好きなんですか?
変わりません!好きなものはブレないんです。
読書も子どもの頃から大好きで、東野圭吾さんの小説は中学生くらいの時からずっと読んでいます。
これからもずっと「卓球」に関わっていきたい
——では、卓球にもずっと関わっていたいですか?
はい、もちろん。引退後に、さまざまな経験をさせてもらったからこそ、改めて「やっぱりスポーツ、卓球に関わっていきたい」と思えた気がします。
——ライフワークの、JA全農などが主催する『石川佳純47都道府県サンクスツアー』では、全国の子どもたちと卓球を通して交流していらっしゃいますね。
自分がずっとやってきたことを伝えられる喜びを感じています。参加してくれた子どもたちに修了書を渡すんですけど、そのときの笑顔がすごく素敵で。サンクスツアーを通して、子どもたちが夢中になれるもの…卓球じゃ無くてもいいんです。心から楽しい!と思えるものに出会ってくれたら、こんなに嬉しいことはないですね。子どもたちのキラキラした瞳からたくさんの元気をもらっているので、これからは彼らのためにできることを見つけていきたい。そして、もっともっとスポーツを愛していきたいです。
※石川佳純さんのインタビューは、月刊誌『家の光』2025年1月号にも掲載されています。
https://www.ienohikari.net/press/hikari/
いしかわ・かすみ
1993年、山口県生まれ。全農所属。7歳で卓球をはじめ、小学校6年生のとき全日本卓球選手権で3回戦進出、中学2年生でベスト4入りするなど注目を集め、11年に女子シングルスで初優勝。オリンピックには、12年のロンドン、16年のリオデジャネイロ、そして21年の東京も出場。23年5月に現役を引退し、現在はスポーツキャスター、解説者などで活躍中。