新聞人として「かつてない存在」

「渡邉氏に匹敵する人物は、戦前朝日新聞社の代表取締役・主筆を務めた緒方竹虎ぐらいのものではないだろうか」――『回顧録』で渡邉氏を長時間インタビューした政治学者の御厨貴氏は語っている。

緒方氏が最終的に政界に転じたのに対し、渡邉氏は、79年に取締役・論説委員長になってから40年近く読売の経営・社論の双方に深く関わり続けた。新聞人としてはまさに「かつてない存在」(御厨氏)だった。

そのパワーの源泉はどこにあったのか。『メディアと権力』で魚住氏は、「冷徹なマキャベリズムと、幼いときからたくわえてきた異様に強烈なエネルギー」を挙げる。

政治評論家の故・伊藤昌哉氏(池田勇人首相の秘書)は、「非常に鋭くて、権力をいかにしてつくり、運営するかということでは凄いセンスと勘を持っていた」(同書)。ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、「一言でいうなら恫喝と籠絡の歴史」(週刊ポスト2011年12月2日号)と手厳しい。

渡邉氏自身は、「新聞記者という仕事は、まことに恵まれた天職」(『人生記』)と語り、「私の歴史は、いろいろな変転があるが、ほとんど手抜きのない全力投球の記録だと思っている」(『回顧録』)。

そして、「起伏の多かった私の人生は数多くの偶然と果報に恵まれた」(『履歴書』)と振り返る。中でも大野伴睦氏と務台光雄氏という「父と仰いだ二人」には格別の感謝を込めている。大野氏との知遇が「政治記者としての情報源拡大の根本」になり、務台氏の存在がなかったら、「世界最大の新聞のトップには到底なっていなかった」と強調している。

旧制高校時代は軍国主義に抵抗し、戦後は、共産党の専制体質を嫌い、激しい論争のすえ決別した渡邉氏。青年期は異論を許さない強権的な体制や組織への反逆ぶりが際立っていた。

しかし新聞社に入り、権力の階段を上り詰めて支配が長期化すると、「終身独裁者」「老害」と陰口をたたかれ、『専横のカリスマ』(大下英治、さくら舎)とまで呼ばれるようになる。渡邉氏自身は戦争責任の検証にこだわったが、今後は渡邉氏が戦後のジャーナリズムや政治とのつながりで果たした役割が、「フェアな議論」(御厨氏)を通して検証されることになるのかもしれない。

参考文献
『君命も受けざる所あり――私の履歴書』(日本経済新聞社、2007年)
『渡邉恒雄 わが人生記』(中公新書)
『渡邉恒雄回顧録』 (中公新社)
『渡邉恒雄メディアと権力』(魚住昭 2003年8月、講談社→講談社文庫)
『専横のカリスマ』(大下英治、さくら舎)
『天運天職』(渡邉恒雄光文社)
週刊ポスト2011.12.2
週刊朝日2012・06・08